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夢判断の資格を取る夢と「良い夢を見る方法」の科学への夢

とてもややこしい、変な夢を見ました。

夢の中で私は、何か国家資格を持ったプロフェッショナルとして、地方都市とおぼしき、のんびりした街で個人事業をやっていました。

私の事務所には続々と相談者がやってくる、どうやら私は、その街ではかなり信頼されている「有資格者」らしいのですが、

来る人来る人がみんな、見た夢についての相談をしてくるので、ようやく私は理解した、

その夢の中の私はどうやら、人々の「夢」についての相談に乗ってあげるという、いささかファンタジー小説的な仕事をしていたのです!

事務所に飾られていた資格認定書を見ると、私の肩書は、「夢判断士」の国家資格保持者でした(※現実世界にはそんな国家資格は存在しません、悪しからず)。

そしてこの肩書きで活動していた私、

夢の中で現れた人々から、実に面白い「夢に関する相談」を複数受けたわけですが、その詳細はここでは省く。

それよりも、なぜ私がこんな夢を見たのか?を考えてみました。

まず、私自身が、夢日記とか、夢判断とか、あるいは「夢がキーワードになっている文学」とかに激しい愛好を持っていること。

何せ、「特に好きな世界文学」にいつも私が挙げる本は、ボルヘスの『夢の本』ですからね、、、!

ふたつめは、ぶっちゃけ精神分析には懐疑的な私が、唯一、強く愛好し興味を持っているのが、フライトの『夢判断』である、ということ。

そして最後に、どうも悪夢障害に陥りやすい心を持っている私にとって、

できるだけ悪夢を見ないようになりたい、そしてできるだけ良い夢を、それも何かしら心に効く有意義な夢を多く見たい

というのは、切実な願望であるから。

だが私の知っている限り、「悪夢を避ける方法」「良い夢を見る方法」というものは、あまりバリッとした科学メソッドになっていないように思う。研究している科学者はいるだろうけど、少なくとも人口に膾炙するような「大成果」は、まだ聞いたことがない。。。

ということは、私としては、

できるだけ悪夢を避けて良い夢を見る方法

の科学がこれからきっと完成されてくると未来に期待しつつ、今は、古今の文学作品や、民族信仰に伝わる方法に依存するしかなさそうだ、まあそれはそれで、古典読書好きな私にはお得意かもしれないけど。

ともあれ、そんな変な夢を見たばかりの、私の気持ちとしては、

科学理論とかいうオオゲサなものではなくとも、「良い夢の見方」を自分の生活の中で工夫して獲得し、人にもある程度、教えられるような、「夢見のベテラン」みたいなものになれたらいいなあ、と適当な夢を見るのでした。

もちろん「夢見のベテラン」などというと、たちまち擬似科学やオカルトの罠に取り込まれそうな危なさがあり、うかつなことはできないが、

私が信じている限りにおいては、仏教のとくに密教系とか、あるいはアメリカ大陸先住民の祈祷師なんかは、まさに「瞑想によって、良い導き手のイメージに出会う」ことを開拓しているところがあるように見えて、

現代社会が「ばかばかしい」として放置しがちな、「良い夢を見る習慣」というもの、いや、本当は、「ばかばかしい」どころではなく、現実の生を豊かに、穏やかで、平和なものにしてくれるキーにすらなっているのではないか、と思うのです。

以上は、すべて、いま考えていることの試論。とりあえず私はまた、ボルヘスの『夢の本』を読み返して、いろいろ、夢なるものについて、考え続ける。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!