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どうしてSFホラーの「科学者」はステレオタイプな憎まれキャラばかりなのか

皆さん、こんにちは!

『ターミネーター2』におけるダイソンさんの死に方に対しいまだに釈然としない想いを持っているヤシロと申します。

それにしても最近、ふと気になったことですが、

どうしてこう、ハリウッドのSFホラーにおける「科学者」というのは、傲慢で強欲で頑固で、クライマックスでいちばん残酷なタヒに方をするものとステレオタイプ化されてしまっているのでしょうか。

まあ目くじらを立ててもしゃあないとは思いますが、「そんな絵に描いたような悪辣な科学者なんぞ現実にはいねえよ」w。

当たり前な話ですが、科学者と言うてもいろいろであり、しかもリアリティを求めるなら、たいていの科学者というのは(当たり前だが)ただ仕事をしてるだけの人たちであるw。

しかもこれだけ論文捏造者や擬似科学者とレッテルを貼られただけで何もさせてもらえなくなるほど相互監視の厳しい世界で、世界を滅ぼしかねないポテンシャルを持ったタコ型バイオテクノロジー新生物を自宅の沼で飼うなどというリスキーな老人がいるとも思えない。

けど、そんなことを言う私とて、わかってますよ?わかってるんですよ?「悪の科学者」というキャラが立っていてくれないとSFホラーてしばしばハナシが始まることすらできないwってことはね。

とりわけバイオハザード系列なSFホラーでは「悪の多国籍企業に雇われているマッドサイエンティスト」は絶対に必要なキャラだ。いくらステレオタイプと呆れたところで「でも…でもねホントはね…あなたがいてくれないとみんな困るわ♡これでもあたし感謝してるんだから♡」とヒロインのミラジョボビッチだって本心では思ってるに決まってるのだ。

しかしそういうハナシがまた過ぎてくると、アメリカ発の陰謀論界隈では「企業と結託する悪の科学者ガー」という、映画そのままの構図が蔓延してて、、、しかもそういうのを本気で信じて、よくわからずにネットで見つけた適当な科学者に炭疽菌郵便物を送りつけたりする人も出てきかねないから困ったもんです。

フィクションをフィクションだと思って楽しめるというのも決して万人に与えられてる平凡な能力というわけじゃなさそうだ。フィクションをフィクションとして楽しむためにも教育レベルの充実は必要な様子です。結局はそういうことかしら。

それはそうとしても、思いつきながら、「ハリウッド映画における科学者キャラの描かれ方の歴史1900-2020」なんて大研究を誰かやってみてくれたら、ステレオタイプにもそれなりに時代的なイメージの変遷はあったりして、面白いかも、ですね。もう既にそういう研究あったらスイマセン、、、。

※にしてもしつこいようだがダイソンさんの扱い方は私は今でも許せん。。。サラ・コナーめ。「人殺しをプログラムされればその通りに動くが、プログラムを改善すれば博愛主義者にも成長し得るロボットがいるならば、、、私たち人間もきっと学べるはずだ!」って、お前が言うなやw人間サイドの中でいちばん荒れてたキャラはあなた!


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!