見出し画像

長風呂おとなこども哲学会・誕生

息子と長風呂をしてみたいアニメもなかったので「時間とは何か」みたいなYouTubeを見た…オカルトチックでもあるがアインシュタインの相対性理論の話や見応えがあり、11歳の息子と時間って何なんだろう?と考えていた。

そういえば僕も子供の頃、祖父と風呂に入り「宇宙って何なん?」と長風呂したことを思い出した。モビーディックの話とか、なんか色々面白い話をしてくれたのがいい思い出だ。

大人ですらわからないことを子供と一緒に考えるのはとても豊かだなと思った。祖父もそういうことに思いを巡らせることを大切にしていた人だった。ずっと何かの物語を読んでいた。

昼間、映像のプロデューサーと遅めのランチをしていた。
死ぬまでにどんなレジェンドと仕事したい?という話にもう亡くなられているが「水木しげる」と答えた。おそらくほとんどの作品を見ている気がするが、妖怪を中心に在不在の曖昧模糊とした、しかし、確かに存在するものを捉えようとしていた人だと思っている。

僕の仕事は何かしら答えを出していく仕事でもある。
ただ、その根本にあるのは「わからないものへの渇望」「答えのないものへの解答」のようなモチベーションがある。

同時にもうわかってるものを焼き回しで作って欲しいというオーダーに中指を立てる性格でもある。わからないからこそ、まだ結末がわからないこと向き合うのであって、すでにある物に対して同じアプローチを踏むことは僕に取って最もやりたくないことの一つだ。

アインシュタインがビックバンで全てが誕生したと言っていたらしい。あまりに高度で全然追いついてないが、時間も宇宙も空気も始まりも終わりも全て生まれているのだという。つまり僕らが生まれて死ぬまでの時間も実は全て描き切られている可能性があるというのだ。

そんなことあるかい!と思いながらも、始まりから終わりまでを一気に見させられると僕らはそれを処理できない。なので時間軸で順を追って処理できる物量だけの今を脳が認識している。寝ている間に今を認識しないように意識が時間を呼び出している。はぁ、オカルトチックなロマン。

だとしたら…と僕と息子は同じ着想に至る。
明日、どうしても仕事/学校行きたくない!行かない!という選択は僕らの自由意志ではあるが、それも全て決められた時間なのか!なんかザワザワする。同じ血流れてるな〜と思いながら、息子が「だったら、自分が楽しい未来を選ぶ」と言葉を添えて、「今、むっちゃいいこと言うたな」とヘラヘラ風呂を出る。

アニメ上映会の次は、大人子供哲学会が誕生しようとしている。
どうせなら、楽しい未来を選ぼう。僕もそう思う。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。