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私が地元にいたい理由

以前、「その場所に住む価値を見い出すことは難しい」という記事を投稿しました。

住む場所について問題提起していますが、私自身、田舎に住んでいることに一切の迷いはありません。

今回はこの場所に住んでいたいと思う理由を考えてみたいと思います。

旅行をしてみて思った事

先日、大阪・京都に行きました。
観光名所や美味しい物がたくさんあって本当に最高でした!

たこ焼き3回も食べて、嵐山や清水寺に行って大満喫。

でも、それで完結。
楽しかったけれど、ずっとここにいたいとは思いませんでした。

観光や美味しい物を食べるということがその場所に求めていた目的。
それが果たされたので、私がそこに居続ける理由はありません。

この町に住んだらどうなるんだろう?
きっと便利だし、毎日がカラフルになるんだろうな、、、
とか思いましたよ。

でも、私の中にあったのは
「早く帰って家族や友達、教授に話を聞いて欲しい!」
という思いでした。

私の居場所

「早く旅行の話がしたい」「お土産を渡したい」
楽しみながらもずっと根は地元に張っていました。

自然とこう思えるのであれば私の居場所は田舎だろうが地元しかないんだと思います。
話したい人、認めて欲しい人がそこにいる。

例え何年か地元を離れようとずっと根は地元に張ってあって、みんなに話を持ち帰ることをモチベーションにするんだと思います。

さらに、もう一つ。
私の興味が地域・地元に向いていることです。

もちろん地元だけにこだわらずに色々な地域のことを勉強したいです。

ただ、この場所にこだわりたいと思っている理由があります。
私は大学で東日本大震災についても学んでいました。実際に福島県の沿岸部に訪れたり、インタビューをしたり、自分の震災経験をまとめたり。

その経験を元に思った私の勝手な解釈があります。
(失礼な言い方でしたら本当に申し訳ありません。)

地域を追われた方、大事な人を亡くした方が流す涙は、家が倒壊したこと、大事な人を亡くしたこと自体を悲しんでいるだけでなく、守れなかったことへの後悔の涙なんだろうなと思いました。

なぜ守れなかったのか、なぜ防げなかったのかと自分を責めて流す涙があると感じました。守れたかもしれないという可能性あるから。

この解釈を地元地域に置き換えました。

もし、この地域がなくなったとしたら私はきっとなぜ守れなかったのかと後悔すると思う。そんなの絶対に嫌だ。
何の前触れもなく突然なくなるわけではなく、じわりじわりと消滅しかけていることに気がついている。みんな気がついている。
だったら守れるように行動したい。後悔しないように。
万が一なくなったとしても、行政だの国だの誰かのせいにしたくない。
だって、自分の育った地域だから。

時代の流れだとしても、地図上から自分が生まれた場所が消えるって怖いことだと思います。
現に私は育った保育所、幼稚園、小学校はもうありません。

上手く説明が出来ないのですが、この場所を見続けなければならないという謎の責任感があります。それが私がこの場所にいたい理由。

何をするのか

何をするのかはよくわかっていません。
本当に決まっていない口先だけ一丁前人間状態です。

大学院に進学して引き続き地域の勉強をすることは決まっています。

院には地域のスペシャリストがたくさんいます。
私の学部から院に進学する人はほっとんどいないので、教授とマンツートゥーメン?マンツースリーメン?って感じで講義が受けられます。

それが楽しみで楽しみでしょうがない。

私の大学4年間はエゴの塊でした。
もっと地域をこうしたい!そんな政策嫌だ!みたいに決まった角度からしか見ていませんでした。幼稚だったな。
もっと多角的に物を見ることできっと私は成長すると思います。

地域には私の大事な人達、興味、責任、楽しみなどが色々と詰まっています。こんなハッピーセット状態になっていたら私のいるべき場所、根を張るべき場所はここなんだと思います。

最後に

みんな色々な目的でそれぞれの居場所に旅立っています。

地元が好きだから地元
学びたいことがあるから学べる場所
推し活できるように推しの近く

なんとなく好きとかやりたいことで場所は決まっていくんだと思います。

ただ、目的もなくその場所にいても何も変わらないです。
楽しさや変化を受動的に待っていてもなかなかね、、、

場所はあくまで場所。
その場所でどうするかは自分次第なんだろうな。

読んでいただき、ありがとうございました。





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