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真夏の夜の餃子

彼からの連絡はいつも突然だ。
なのに決まって絶妙なタイミングで、遠隔で観察でもしてんのか?ってくらい絶妙なタイミングで、スマホは彼の名前を表示して震える。

「今なにしてんの?」

聞き慣れた声は笑いを含んでいた。
顔は見えなくても、電話口でニヤニヤしている姿が容易に想像できる。

「……家にいるよ」

「じゃあ餃子食い行くぞ」

なんで餃子、と訊ねると、俺が餃子食べたい気分だから、とのこと。
まぁそりゃそうか。餃子はいつだって突然食べたくなるものだ。そして食べたいと思ったら最後、その日のメニューを他のもので妥協するなんて絶対に考えられない。餃子とはそういう食べ物だ。

もうすぐ仕事終わるから現地でね、と言って電話は切れた。
つい1時間前に着替えたばかりの部屋着を脱いで、最近買ったボタニカル柄のシャツに袖を通す。
化粧を直して、仕上げにUVスプレーを顔に吹きかける。柑橘系の爽やかな香りが鼻をくすぐる。

外に出ると、途端にじめじめした湿気が肌にまとわりついた。
少し歩いただけで、すぐ額に汗が滲む。UVスプレーがわたしの眉毛を守ってくれる。
家から約束の店までは一駅ぶんの距離だから、徒歩で行こうと思っていたけれど、あまりの暑さに耐えかねて冷房の効いた地下鉄に駆け込んだ。

電車を降りて地上に戻ると、さっきまでかろうじて顔を出していた夕日も沈みきって、あたりはすっかり暗くなっていた。
相変わらず湿度の高い夜道を進んで、目的地にたどり着く。

人通りの少ない路地にこぢんまりと佇む中華屋のドアは、開きっぱなしになっていた。
狭くてごちゃごちゃした店内に足を踏み入れる。
森田で予約してると思うんですけど、と奥に立っていた初老の女性に声をかけると、はいはいりょうちゃんの友達ね、ここでいい?と隅の席に案内される。四角形のテーブルのうち二辺が壁に密接している。

「クーラー壊れちゃったのよ。暑くてごめんね」

そう言われてあたりを見まわすと、至るところに設置された扇風機がフル稼働している。
ぜんぜん大丈夫ですよ、と笑みをつくりながら生ビールを注文した。
状況からみるに、連れの到着を待つより喉を潤すことを優先したほうがよさそうだった。

一杯目を飲み干すころ、仕事着のままの彼がやってきた。白いワイシャツの袖を肘まで捲っている。
わたしを見つけると、斜め向かいの位置にある椅子に腰かけた。

「おっす、お待たせ。ママ、俺もビールね!」

「おっす。お疲れ」

「ありがと。それにしてもあっちーな!」

言葉に反して涼しげな彼は、大して汗もかいていないように見える。こっちはさっきから汗拭きシートが手放せないというのに、うらやましい限りだ。

「腹減ったしどんどん頼もうぜ。焼き餃子? 水餃子? 両方いくか」

「……わたし、あんまり食欲なくて」

「なんで? 失恋でもした?」

そう言って彼はニヤニヤ笑う。知っていて呼び出したくせに、意地が悪い奴だ。

彼からの連絡はいつも突然だ。
でもそれは決まって絶妙なタイミングで、誰かと会って話したいのに自分からは連絡できなくて家にひとりで篭っているような、そんなときに限って電話が鳴る。

「大体の話は風の噂で聞いたけどさ。どういう経緯? もう話し飽きたかもしれないけど」

確かに、ここ1週間会う人会う人に同じ話をしていて、その内容はちょっとしたストーリー仕立てになりつつあった。
初めはとにかく混乱していて、実際に元恋人とのあいだに起こったできごとも、わたしの主観が生み出した空想もごちゃ混ぜになり、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。

でも繰り返し話すたび、第三者からの意見を取り入れるたび、自然と頭の中が整理され、きちんと順を追って事実を説明しつつ、それとは区別したうえで自分なりの見解も示せるようになっていた。

少し長めのあらすじを話し終わるころ、ニンニクの匂いを漂わせながら餃子が運ばれてきた。
彼はたっぷりの酢とラー油を垂らした小皿に、こんがりと焼き色のついたそれを浸し、勢いよく口に運んだ。
あつっ、と声をあげながら、幸せそうに喉を鳴らしてビールを飲んでいる。
ひと通り喋り倒してすこし精神を消耗したわたしは、それをぼうっと眺める。

でもさ、と餃子を頬張りながら彼は切り出した。

「いい経験になったじゃん。そういうダメな男もいるんだなって」

ダメな男、か。そうやって括るのは簡単だけど、それを言ったらわたしだって大概ダメな女だ。

「元気出しなよ。餃子食わないの?」

彼に促されるまま、薄茶色に広がった羽根を箸で裂いて、酢と胡椒でいただく。
もちもちした皮と焦げてパリっとした羽根の食感が、絶妙なバランスを保っている。
肉汁がじゅわっとあふれて、口の中へ広がる。

おいしい、と呟くと、おぅもっと食え、と背中を叩かれた。
シャツに汗が滲んで湿っていたのが恥ずかしかったけれど、彼は気にするそぶりも見せなくて、それが逆に落ち着かない。
最大の力で一生懸命に働く扇風機が起こす風は、それでも生ぬるい。

「今はあいつに執着してるだけで、他に好きになれる男なんて星の数ほどいるよ。俺も含めて」

ふたくちめの餃子を無言で咀嚼して、すっかりぬるくなったビールと一緒に喉の奥へ流し込んだ。
もう慣れたけれど、こういう歯が浮くようなせりふを平気で言う奴だ。彼女いるくせに。

「ていうかお前痩せたな。もっと食ったほうがいいぞ。炒飯頼む?」

「……あるなら、たべる」

この罪深い香りを放つ食べ物のせいで、気がついたら食欲が沸いていた。
小汚い中華料理屋で、餃子とビール。わたしは汗だく。あまりにも色気がなくて笑える。

開け放された入り口のドアから、ふいに風が吹き込んできた。
誰かが気まぐれで吹いた口笛のように、その威力はささやかで控えめだ。
それでもひどく蒸している店内を扇風機のみで過ごすより、断然涼しい。

わずかな風をすこしでも取りこもうと、彼がシャツの襟元をぱたぱたさせている。
その白い首筋を目で追ってしまい、慌てて手元のジョッキに視線を落とす。
ビールおかわり?と彼が悪戯っぽく訊ねる。

こんな夜も、たまには悪くない。




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この物語は実話をいくつかサンプリングしたフィクションです。
素敵な企画ありがとうございます!



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