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【読書録】『経営センスの論理』楠木建

今日ご紹介する本は、楠木健氏の『経営センスの論理』(2013年、新潮新書)。

楠木氏は、経営学者であり、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。ご専門は、競争戦略とイノベーションだ。

この本は、会社をよくするために必要な「経営センス」を中心に、競争戦略についての楠木氏の考えを幅広く紹介するものだ。

2011年から2012年にかけて連載されたビジネス誌のオンライン記事を編集したものだというが、10年経った今でもその内容は全く色褪せない。ビジネス書であり、固いタイトルではあるが、カジュアルで軽快な読み物として楽しめる。

特筆すべきは、楠木氏のウィットや洒落の効いた文体だ。いかにも痛快で、読んでいて何度も、思わず笑ってしまった。そして平易な言葉で大変分かりやすく、本書のエッセンスはすんなりと腹落ちした。

以下、特に印象に残ったくだりを記しておきたい。

すぐれた戦略をつくるために一義的に必要なものは何か。それは「センス」としか言いようがない。

p14

・・・スキルとセンスを区別して考える必要がある。アナリシス(分析)とシンセシス(綜合)の区別といってもよい。スキルというのはアナリシス的発想の産物だ。(中略)担当者レベルで必要となるのがスキルということだ。
これに対して、戦略の本質はシンセシスにある。スキルをいくら鍛えても、優れた経営者を育てることはできない。スーパー担当者になるだけだ。

p16

センスは他者が「育てる」ものではない。当事者がセンスある人に「育つ」しかない。

p17

ひとつの救いは、全員がセンスあふれる経営者になる必要はまったくないということだ。(中略)商売丸ごとを動かしていくセンスとなると、100人いたら2、3人の本当にセンスがある人がいれば十分だ。そういう人に経営をやらせる、戦略をつくらせる。逆に、センスのない人は経営なり戦略の仕事に近づけないことが大切だ。お互いが不幸になる。

p17

・・・どうすればセンスが磨かれるのか。もちろん即効性のある答えはない。しかし、物事に対する好き嫌いを明確にし、好き嫌いについての自意識をもつ。これがセンスの基盤を形成するということは間違いない。(中略)鋭敏な直観やセンスの根っこをたどると、そこにはその人に固有の好き嫌いがある。好き嫌いを自分で意識し、好き嫌いにこだわることによって、経営者として重要なセンスが磨かれるのではないかというのが僕の仮説だ。

p21

結局のところ本当に役に立つのは、個別の具体的な知識や情報よりも、本質部分で商売を支える論理なのだ。戦略構築のセンスがある人は、論理の引き出しが多く、深いものである。他社の優れた戦略をたくさん見て、抽象化するという思考を繰り返す。これが引き出しを豊かにする。独自の戦略ストーリーを構築するための王道だ。

p42-43

制約や弱点を克服しようとせず、積極的に受け入れることによって、自分の競争優位や劣位についての認識ががらりと変わる。制約なり弱点と思われていたものに、思いがけない機会や強みが潜在していることに気づく。これが新しい次元を切り拓き、防御を攻撃に転化させる。そこから新しい展開が波状攻撃的に生まれてくる。ここに「攻撃は最大の防御」の本領がある。

p85

追求する競争優位の次元が(多分に意図せざる成り行きで)転換する、その結果、従来の文脈では弱みだったことが弱みではなくなり、あまつさえ新しい強みの源泉になったりする、ここに「攻撃は最大の防御」という論理の本質がある。

p88

経営破綻と離婚は似ている。そのココロは「どちらもクセになる」ということだ。

p101

・・・グローバル化時代に求められるコミュニケーション・スキルは、英語力ではない。文字どおりコミュニケーションそのもののスキルだ。(中略)ブロークンな英語でも構わない。コミュニケーションがうまくいくこと、一緒に仕事ができること、仕事をして成果を出すことが目的なのであって、話と気持ちが通じればそれでよい。この当たり前のことを忘れないことが大切だ。

p109

グローバルな文脈では、英語ネイティブの人は、非ネイティブの人に対して配慮しながら話すべき。それがむしろグローバル化のマナーだと思う。だから配慮なくバンバン話すネイティブの人々とやり取りするときには、「ということで、ゆっくりめでヨロシク!」とこちらから「正当な要求」をするぐらいでちょうどよい。

p112

企業の中に多様性を取り込めば、それで何かよいことが次々に起きるかのような安直な議論が少なくない。(中略)しかし、多様性それ自体からは何も生まれない。多様な人々や活動をひとつの目的なり成果に向けてまとめあげなければ意味がない。ようするに多様性の先にあるもの、つまり「統合」にこそ経営の本領がある。経営の優劣は多様性の多寡によってではなく、一義的には統合の質によって左右される。

p118-119

グローバル化が難しい真の理由は、言語でも多様性でもない、本当の因果関係は「ビジネスが直面する非連続性が大きくなるほど、商売人としての経営人材が必要になる。グローバル化の本質は非連続性の経営にある。しかし、経営人材が希少なので、グローバル化が困難になる」ということにある。(中略)非連続性を乗り越えていける経営人材の見極めは多くの日本企業にとって最重課題である。

p131

日本は「中小企業の国」といってもよい。(中略)横に幅広いポートフォリオを抱え、システマティックに事業評価をしてポートフォリオを最適化するのは苦手。しかし、これだと決めた領域に長期的にコミットし、商売をどんどん深堀していくのが得意。その商売をしていること自体が従業員のアイデンティティになり、求心力にもなる。これは中小企業の経営スタイルそのものだ。

p157-158

ようするに、無理してGE、サムスンのような「ビッグ・ビジネス」を目指さないほうがいい、というのが僕の言いたいことだ。実際の規模の大小にかかわらず、専業をテコに競争力を高めている中小企業的な経営のほうが日本企業は力を発揮できるのではないだろうか。

p158

(注:大学生が選んだ就職人気企業ランキングについて)考えてみれば、これほど長期にわたって「有名な会社」が変わらないということのほうが、「ラーメンを食べたことがない人によるラーメン店ランキング」の存在よりも不思議である。就職人気企業ランキングが2012年の今になっても相も変わらぬ顔ぶれで占められているということは、若者の労働市場において需要と供給のミスマッチがあるということを示唆している。ここに問題の本質がある。
ランキングにあるような確立した大企業にはすでに優秀な人があふれている。(中略)真の需要は、それほど多くの人が知らない会社のほうにある。伸び盛りのベンチャー企業ばかりではない。昔からあるような会社でも、独自の価値を創造しているよい会社が日本にはまだたくさんある。そうした企業に優秀でやる気のある若者が入っていかないとすれば、それは日本の産業社会にとって大いなる損失になる。

p188

・・・日本の若者には「周囲の人(その中心にいるのが親)が喜ぶ」ということを、暗黙裡にせよ、会社選びの基準としていまだにわりと重視しているように思う。自分自身に「よい会社」の基準がなければ、周囲の反応を自己の基準とすり替えてしまうというのは、日本に限らずどこの若者にも必ず見られる傾向だ。ただし、そこに親が出てくるというのは(中略)日本の活力にとって確実にマイナスに作用している。いつの時代も前世代の価値基準は世の中の実際とちょっとズレている。ズレた基準に引きずられると、新陳代謝が進まない。

p201

・・・相当に高い確率で、「働きがいのある会社」と「戦略が優れた会社」は重なっているといえる。
(中略)
経営者が骨太の戦略ストーリーを構想し、それを会社全体で共有することは、「働きがい」の最強のドライバーになり得る。「働きがいのある会社」と「戦略が優れた会社」が自然と重なってくるという成り行きだ。

p204-205

抽象と具体を行ったり来たりする振れ幅の大きさと往復運動の頻度の多寡さ、そして脳内往復運動のスピード。僕に言わせれば、これが「地アタマの良さ」の定義となる。

p211-212

抽象と具体の往復運動ができない人は、いまそこにある具体に縛られるあまり、ちょっと違った世界に行くとさっぱり力が発揮できなくなってしまう。また、同じ業界や企業で仕事を続けていても、抽象化や論理化ができない人は、同じような失敗を繰り返す。ごく具体的な詳細のレベルでは、ひとつとして同じ仕事はないからだ。必ず少しずつ違ってくる。抽象化で問題の本質を押さえておかないと、論理的には似たような問題に直面したときでも、せっかくの具体的な経験をいかすことができなくなる。

p217

抽象度の高いレベルでことの本質を考え、それを具体のレベルに降ろしたときにとるべきアクションが見えてくる。具体的な現象や結果がどんな意味を持つのかをいつも意識的に抽象レベルに引き上げて考える。
具体と抽象の往復を、振れ幅を大きく、頻繁に行う。これが「アタマが良い」ということだと僕は考えている。

p218

・・・洪水のような情報量の増大が果てしなく起きているということは、注意の貧困もまた果てしなく広がっているということだ。今後もその傾向が続くことはまず間違いない。そこに注意がなければ、たくさんの情報に接してもほとんど意味はない。

p220

・・・情報をインプットする目的は大きく分けて2つある。ひとつはインプットそれ自体のため。もうひとつはアウトプットを生むため。前者を「趣味」、後者を「仕事」といってもよい。趣味と仕事の違いは明確だ。趣味は自分のためにやること、仕事は人のためにやること。

p221

あらゆる仕事はアウトプットを向いていなければならない。本当に自分が達成したいと思っているアウトプットがあり、それが注意のフィルターとなっていれば、あらためて膨大な情報を精査しなくても、本当に大切なことはだいたいわかっているものだ。すでにカギとなる情報は頭の中にインプットされているわけだから、すぐにアウトプットの生産ラインを動かすべきである。

p225

・・・知識の質は論理にある。知識が論理化されていなければ、勉強すればするほど具体的な断片を次から次へとつまみ食いするだけで、知識が血や骨にならない。逆に、論理化されていれば、ことさらに新しい知識を外から取り入れなくても、自分の中にある知識が知識を生むという好循環が起きる。

p233

以上、引用部分が長くなってしまった。それだけ、本書を読みながら、腹落ちして思わず膝を打つくだりが多かったのだ。

まず、本書のテーマでもある「センス」について。「スキル」と「センス」の違い。センスを伸ばせる人材は希少。センスを磨くためには好き嫌いにこだわることが有効だという仮説。

そして、日本企業のグローバル化が難しいのは、非連続性に耐えうる経営人材が希少だから。でも日本企業には中小企業の専業スタイルで生き残る道があること。

大量の情報に翻弄されることなく、注意のフィルターをかけ、アウトプットに結び付けること。具体と抽象を行き来して、情報や知識を論理化すること。

いずれも、なかなか辛辣で手厳しいが、論旨明快で鋭い指摘ばかりで、とても良い頭のエクササイズになった。スッキリと爽快な読後感だった。

そして、先にも触れたが、楠木氏の文体は、軽快でウィットに富んでいて、読んでいて、シンプルに無茶苦茶楽しかった。

経営破綻と離婚が似ていること。「ラーメンを食べたことがない人によるラーメン店ランキング」の例え。こういったくだりに、楠木氏の、それこそ「センス」が光っていた。

特に、「攻撃は最大の防御」というテーマについて、ご自身の身近なご経験を惜しみなく語ってださるくだりには、大笑いしてしまった。楠木氏を襲った「H&Dコンビ攻撃」。H攻撃に対する、発想の転換による一発逆転勝利。そしてD攻撃に対する「DKK大作戦」。これについては、この場でネタバレささせるにはあまりにももったいない面白さなので、是非本書を手に取って読んでみていただきたい。

経営について、これほど楽しく、肩の力を抜いて学べる一冊は、他にはなかなかないだろう。経営戦略について興味があるけれど、難解な本を読むのは躊躇する、という方には是非お薦めしたい。

ご参考になれば幸いです!

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