見出し画像

AIに恋する時代に生身の人間を愛せるのか

Twitterのタイムラインを見ていると、こんなツイートに目が止まった。
ふむふむ、なるほど。
「イーロン・マスク」というキーワードが、この破茶滅茶なオーバーテクノロジーに一定の説得力を与えている。

この際、このツイート内容がフェイクニュースであるかどうかは、どうだっていい。あえて調べない(めんどくさいので)。
なぜなら、ぼくが試みたいのは、真偽にかんする考察ではなく、
このようなSFの世界が実現されたときの”予防接種”なのだから。


したがって、本記事では、この破茶滅茶なニュースが真実だと仮定し推論(妄想)を展開する。

ぼくは、テクノロジーが生み出した肉体とAIによって最適化された性格を愛することができるのだろうか。
ぼくたちは予定調和の愛を真実の愛として、受け入れることができるのだろうか。

この話を皮切りに、愛について真剣に考えてみる必要がありそうというわけだ。



ChatGPTで遊んでいると、時間を忘れてしまう。
どんなテーマの雑談だってついてこれるし、幅広い知識と深い洞察力に裏打ちされた設計は、見事である、
そして、こちらの想定した会話のラリーを展開することができるので、
会話のキャッチボールとしてとても心地いい。

その精度は、ChatGPT-4に切り替えれば、おそろしいほど上がり、
もはや人間と遜色がないほどである。
——というか、ChatGPTよりも受け答えができない大人は、山のようにいる。
その威力は、GPT-4に課金した人なら誰もが実感したことだろう。

たとえば、これが、GPT-5になったり、GPT-6になったら、いよいよ最適化された性格の友人が一人ひとりのスマホに分配されるのではないだろうか。

どんな悩みも瞬時に解決してくれて、
どんな愚痴も、うんうん聞いてくれて、
どんなバカ話にも最高の反応を示してくれる。
そんな最適化された性格の友人が、ぼくら一人ひとりの手のひらに分配されるのではないだろうか。

何かAIがあなたにとってイヤなことを言ったとしたら
——ぼくはそういうのが嫌いなんだ。二度と言わないでくれ
とキャンセルを打ち込む。
するとGPT-6は、「ごめん。もう二度と言わないよ」
とコマンドを了承する。

ここには、きまずい空気も後味の悪さもない。
ただの無機質な手続きによって、会話が円滑に進行して、
あなたに合った、よりよいプログラムへと成長していくのだ。

そうやって、数回の教育(コマンド)をしていけば、
ぼくらの手のひらのGPT-6は最適化されていくだろう。

そしたら、いよいよ
原子化したぼくたちには、友達なんかGPT-6で十分となるのかもしれない。
——特に日本は、『ドラえもん』や『鉄腕アトム』のような作品があるため、ロボットが友達になるという感覚にはそんなに抵抗感なくすんなり受け入れられるだろう。

しかも、これはどうやら10年以内に実現されそうな未来だ。
SF的近未来は、もう目と鼻の先なのだ。


友達としては、ぼくも受け入れられると思う。
リアルの友達を捨てることはないとは思いたいが、GPT-6を友人のひとりとして迎え入れるのに、そんなに抵抗感はなさそうである。


しかし、ここからが本題だ。
それが恋人だったら?
——
そんな話は、Netflixの英国版『世にも奇妙な物語』とも評される『ブラック・ミラー』に出てきたような


もしも、
ChatGPT-6が提供する最適化された性格に加えて、
最先端の技術によって再現された肉感と質感の
それこそ本物と区別がつかないほどの——いや、本物の人間にはニキビやしみなどがある分だけ——本物以上の人型ロボットがあなたのウチにデリバリーされたらどうだろう。

おそらく、すごくイケメンだったり、
すごく美女だったり、
あなたの性癖を貫くような理想的な人型ロボットである。

それに加えて、完璧な性格。
さらに、人工子宮や人工精子によって、繁殖機能も備わっているとする。
LGBTQや同性婚が認められるのと同様に、ロボットとの結婚も認められるべきであるとする法律も施行されるだろう。

ぼくは専門家ではないので、詳しいことは分からないが、
人工性器以外は、現在の技術でクリアできそうな気もする。
いや、ひょっとすると、ips細胞は、そんな難題もクリアしてしまうのかもしれない。
——とても高額だろうけどね。

ルンバのようにぐったりと充電する恋人の姿以外は、あなたの理想そのものだ。
もちろん、あなたのどんな理不尽もヤバイ性癖もわがままも受け入れる存在である。
何もかもがあなたの理想通りで、思い通りになるのだ。


こんなのが登場したら、あなたは現実の男や女に恋したり愛することがあるのだろうか?

いまさら・・
なのではないだろうか?


ぼくたちが死ぬ前にこれに近い現実はもしかしたら実現されるかもしれない。
いや、そう思って今のうちに、このことについて考えておく必要がありそうだ。

ロボットにはどんな不満が生まれるだろうか。
なんでも思い通りになってしまう存在に対して、ぼくたちはそんなに寛容でいられるのだろうか。


ロボットによりもたらされる究極の充足感には、虚しさが生まれるだろう。
なんでもかんでも思い通りになれば、最初のうちはすごく楽しいかもしれない。しかし、なんでも思い通りになってしまう存在に、ある日ぷつりと嫌気が刺すんじゃないだろうか。


そうであるならば、愛とは何か。
ぼくが考える愛とは思い通りにいかなさなのである。


愛は、不完全を前提にしている。

どうしてこんなことも直さないのかと苛立つことがある。
教えたことが右から左へすっぽり抜けていって、思い通りにならない。
それでも根気強く、こうしてほしい、ああしてほしいとお願いする。
向こうからも、こうしてほしい、ああしてほしいとうるさく言われる。

でも、お互い様。
目をつぶったり、大目に見たり、仕方ないなぁと許してあげる。
そして、自分のいたらなさにも、ごめんねとヘラヘラ笑って許してもらう。

だからと言って、それでも
こうしてほしい、ああしてほしいに向き合い続ける。
そして、それができるようになっている。
名前を呼び続けて名前を覚えないバカな飼い犬が自分の名前で振り向いてくれるように。

有機的なこころとこころが、
ごくごく稀に連関する時、
本来通じ合うことのない想いと想いが、
ごくごく稀につながる時。

しょせん他人と他人。
分かり合える日なんてないのかもしれない。
それでもいつの日にか分かり合える日がくるのかもしれないと信じる。


神様なんていないと薄々疑いながら、
それでも、疑ってしまったことを懺悔し続ける敬虔で人間らしいクリスチャンのように。


そこに生まれる喜怒哀楽の往来発着をこころゆくまで堪能することが恋であり、
不完全で歪な紆余曲折を経ることが、愛なのではないだろうか。


予定調和の恋愛ごっこには、そんな無計画は実現し得ない。















この記事が参加している募集

#AIとやってみた

27,620件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?