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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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2022年8月の記事一覧

7月30日(2011年)全員で掴み取った勝利

なかなか成績が上がらないシーズン。 ペトロじゃ厳しいのかな、クラブはレジェンドを支えることはできているのかな。 ギドからオジェック、ゲルトと戦ってきた中で、何度目かのリセットボタンを押した浦和。それでも「これで良いのかも知れない」という気持ちになりつつもあった。 等々力の立見席は風通しが悪く、夏の試合はとても蒸し暑い。 対人バトルのえげつなさと中盤のパスワーク、前線にはジュニーニョと小林悠。川崎とはどういうクラブでどういうサッカーをするのか。浦和とは違ってあっという間に確立

7月31日(1993年)浦和の街に浦和があった

この頃は浦和には住んでいなくて、途中下車することもあまりなかった。 たまに訪れるのはレッドボルテージに何かを買いに行くときくらい。 伊勢丹とコルソの間を抜け、マックとシェーキーズを通り過ぎ、ヨーカドーの前を西に進む。スター銀行とローソン、向かいに吉野家、右に曲がると須原屋の先にレッドボルテージ。 1993年7月31日の記憶は定かではないが、マリノスに勝ったこと、そもそも勝ったことが嬉しくて、その翌日だったか数日後に浦和の街を歩いていた記憶が残っている。

7月31日(1993年):トリビソンノ

この日は、何の記憶も残ってません。なんか手がかりないかと出場選手を眺めてて驚いたのですが、先発で3人、サブで3人、全く覚えがない選手がいました。93年頃は、ワタクシはまだレッズサポとは名乗れないレベルだったし、在籍が93年だけだったり、出場機会が乏しい選手がたくさんいた時期だったです。 そんな中、DFにトリビソンノを見つけました。サッカー強国アルゼンチンから移籍してきて、守備の要になることを期待されていました。長髪をなびかせながら、守備に奔走して、ピッチを離れると笑顔が素敵で

7月29日(2006年)冷たいワインと灼熱の太陽と

2000年の対戦では芝生席だったゴール裏は、市原臨海のような仮設スタンドに変わっていた。 「いつもと同じかな、客の入りは」 通路まで溢れるアウェイ側ゴール裏。駒場ならそれも普通の光景だが、甲府のスタッフには初めての経験のようで、明らかに驚いているスタッフもいた。 アイスワインが美味い。 ビールも旨い。 ハンドルを握らなくていい開放感と真上から照りつける太陽に、気分は上々だった。 ガムシャラに向かってくる甲府。受けて立つような形の浦和。いつもこのパターンで自分たちで自分たちを苦

7月28日(2018年)豪雨の傷跡と大量得点と真夏の花火

集中豪雨被害の傷跡も生々しい広島。高速道路の復旧が1週間前。特に何もできないのなら、食べて飲んでお金落として勝ち点貰って帰ること。そんな広島に向け台風接近中。 そもそも飛行機飛ぶのか?という状況の中、定刻通りに現地入り。 メインスタンド寄りのゴール裏が指定に変わった影響で、アウェイ側売店は長蛇の列。ここも一部サポーターのおかげで規制が厳しくなってしまった。 戦い方が整理されたというのだろうか、戦術的に特長がある感じはないが、勝つサッカーとはこういうものかと、名将に教えてもらっ

7月27日(1994年)僻地の隅から起こる歓喜

旧カシマスタジアムもチケットの入手が困難な会場のひとつ。 1994年はアウェイどころかホームもほとんど現地には行っていなかったが、この試合のことはよく覚えている。 それまでアルゼンチン人を始め、ドイツからも代表経験のある選手が次々と来浦していたが、戦術に合わなかったり怪我ばかりだったり、そもそも助っ人なの?というような選手もいただけに、現役代表と待望のトップ下をこなす選手の加入は、新聞記事になってからずっと、デビューの日が楽しみだった。 Jリーグ開幕とともに瞬く間に強豪チーム

7月26日(2003年)3年計画

どうしてオフトさんを招聘したのか。 クラブ主催のトークイベントで理由と将来像を聴き、3年間は我慢しようと思っていた。 なるほど、ワールドカップアメリカ大会予選で何度も耳にしたフレーズが、浦和関連の誌上で語られるようになり、ひとつひとつステップを踏むように成果となり、結果に繋がり始めた。 今度は信じていいんだよな。 やっと信じられるものに出会えた気がしていた。 醜いサッカーを演じる仙台。 ガツガツじゃなくゴツゴツ当たりに来る。まるでJ2のよう。カードも乱発される荒れた試合。得

7月25日(2015年)狭い動線と全力ダッシュのレッドカード

本当は慣れ親しんだ瑞穂運動場西駅から向かいたいところだが、待機列に近いのは東駅。梅雨明け太陽の光は痛いほど暑い。入場したら飲むぞ!と喉を涸らしていたのに、入退場の導線が最悪。もぎりがふたり、出入り口直ぐに小さな売店ひとつ。酷い運営だった。おかげで売り子のお姉さんがビール欲しさのおっさんたちに囲まれてしまう、可哀想に。せめて以前のようにメイン側への往来を開放してくれればいいのに。 幸先よく先制するもあっという間に追いつかれ同点、得点者は川又。どうもああいうゴツいFWは苦手だな