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「書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ。」

 

夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。

「書けない原稿」  横光利一

 私は朝はぼんやりとする。何かの本に三月生れのものは、朝の数時間は孤独でゐなければいけないと云ふことが書いてあつた。その通りである。私は朝誰かに訪問されると、その日はもう何も出来ない。朝の数時間の間に浸入するべき事柄の総てに私の頭は浸入を続ける。午後になると私は此の浸入から解放されてぐつたりとなる。かう云ふときには私は訪問者の聞き手となるだけだ。二十五六までは私は気候や其の日の天候のために気色の変るやうなことはなかつた。しかし、此の頃は天候が身体の細部に亙(わた)つて影響する。してみると、天候は三十を過ぎた人間の運命を支配して行くと云つてもいい。私は頼まれると、一応頼まれたものは引き受ける。が、殆どそれを実行することが出来ないで不義理をかける。こんなことはあまり前にはなかつた。が、天候が身体に影響し始めてからは、殊にそれがひどくなつた。私は頼まれたものは一応その人の親切さに対しても、引き受けるべきだと思つてゐる。が、引き受けた原稿は引き受けたが故に、必ず書くべきものだとは思つてゐない。何ぜかと云へば、書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ。執筆者を殺してまでも原稿をとると云ふことは、最早やその人の最初の親切さを利慾に変化させて了(しま)つてゐる。引き受けて書かないでゐると、多くの場合、後で品格下劣な雑誌は匿名で悪戯をする。しかし、さう云ふ雑誌は必ず朦朧雑誌に限つてゐる。しかし、それとは反対に、気質の高邁な記者に逢ふと、例へ書けなくて不義理をかけても、必ずいつか気に入つたものの書けたときこちらから送らねばすまなくなる。かう云ふ意味でもいい原稿の集まつてゐる雑誌には、必ずどこかに清朗な人格者がひそんでゐるにちがひないのだ。人格者のゐない所に、いい雑誌の生れる筈はない。私は或る雑誌から頼まれ、然も毎月三度ほど足を運ばせ、一年ほど書けないことがあつた。その記者を見ると、どうかして無理にでも書かうとしたくなるのだが、これほどまでにされて、無理をしてまでも下らない原稿を出すと云ふことは、その人に対して失礼でもあり心苦しくさへなつて来るので、ますます私は書けなくなり、たうとう一年間原稿を出さなかつた。しかし、一年の後、その年で書いたものの中、一番気に入つたものが出来たとき、早速私から持つて行つたことがある。私はそれで長い間の負債を払つたやうな気になつた。或る人になると、「どんなものでもいいから」と云ふが、どんなものでも良いなら、何もわざわざ天候まで見はからつて書かなくてもよい。こちらとしては、若い癖にどんなものでもそのまま拠り出すと云ふやうな傲慢な心掛けには、なかなかなれるものではない。実際、一つのセンテンスにうつかり二つの「て」切れが続いても、誰でも作家は後で皮を斬られたやうな痛さを感じるものである。記者の苦心も分らぬではないが、それは向うの苦心でこちらの苦心ではない。こちらの苦心が向うの苦心に引き摺られたら、金ではとり返しのつかない不快さが後に残る。私は小説を書くときは締め切り一週間前に出来上つてゐないと出す気がしない。出来上つたときは自分の作に対する客観性が少しもないので、人の批評を聞いた時すぐぐらぐらする。が、書き上げてから一週間眼の届かぬ押入へ入れておき一週間其の作については盡(ことごと)く忘れ、そこから取り出して読み始めると、漸く欠点が見えて来る。しかし、その時にはもう書き直しが出来ないほど締切が迫つてゐる。結局、てにをは位を訂正して出すやうな始末になり、一週間の忍耐が何の役にも立たなくなるが、その一週間の後押入から出して窃(ぬすみ)に読んでゐるとき、偶然誰か訪問者があつたりして家の者に声をかけられる。すると、今迄読んでゐた作に対する客観性が中断される。もう駄目だ。再びもとの客観性を取り返す迄には又更に一週かからねばならぬ。然し、かう云ふ様な事をしてゐるといつ迄もきりがない。が、其(その)きりのないことをきりのない迄遣(や)りたくてならぬ。もし悠々とさう云ふことをしてゐられれば、私はさも子供のやうに幸せになれるだらうと思ふ。が、生活がある。金が必要だ。だから我々は生活の方が芸術よりも大切だ、と自分に意見をし始める癖もふと出るのだが、そんな意見がそれ程大切なものであるならば、私はこんな生活なんかはしたくはない。ここに理論と感情がプロレタリアの芸術のやうに滅裂を来し出す。もしも生活に重きを置くか、芸術に重きを置くか、其どちらかに定めてかかれば運命もそれと一緒に定つて了(しま)ふ。だが、私は自分の運命を定めたくはない。此のたつた一度よりない人生の上へ、其やうに簡単に自分の運命を乗せたくはないとしてみれば、生活と芸術とを両足に履いて、跛(ちんば)を引きながら歩くより仕方がない。此の跛を引き摺つて歩くリズムの音階から、濁つたり澄んだりしながら作品が生れて行く。その間に天候と雑誌記者が踊つてゐる。例へば、今迄私の坐つてゐた此の部屋の空間は汗の出るほど暑かつた。が、突然雷電が閃き、雨が沛然(はいぜん)として降つて来た。すると、私はくしゃみをした。もう私は筆を持つのがいやになつた。「ああ、涼しい。」と云ふ。私は必死にペンを動かしてゐた間、全く暑さを忘れてゐた。が、くしゃみをして涼しさを感じると、此の涼しさだけなり感じてゐたいと思ふ。試みに見給へ。此の文章は必ずここから調子が変つて行くに違ひない。調子が変ればそこから私の運命も変化して行つてゐるのにちがひない。かう云ふとき、私はいつも風の威力を感じる。風は実に意志を変化させる上に此の上もなく力を持つてゐるものだ。私は今そはそはとしてゐる。風がいつの間にか雨を含んで吹き込んで来たからだ。私は風が嫌ひだ。それ故に平和を愛する素質が十分にあるとも云へる。が、(かう云ふ平和を愛する心を確かめてゐるときに、今、雨の中を、例の雑誌記者が駈け込んで来た。)私は応接室へ出て行つた。彼は率直で勇敢で若々しくて善良だ。彼は私の詰らぬ一篇の小説をとる為に、是で三ケ月前から六度目の足を運んでくれた。それにまだ私は一日に一枚づつで漸く五枚より書いてない。彼の事を思ふと私は先日から机の前へ坐り込むのだが、どうしても頭は蒸気のために動かないのだ。六度目の彼の足数に対してでも私は書きなぐりたくはない。彼は正宗白鳥氏の小説が到頭(とうとう)駄目になつたから参つたと云ふ。正宗氏の様な優れた作家が私と一緒に出てゐれば、私は少々詰らぬものを書いても楽な気がする。が、さう云ふ安心の出来る作者が脱(のが)れると、又こちらは書けない時であるだけに困つてしまふのが常である。が、書けない時と来た日には、どうしても書けるものではない。私は家の中を歩き廻る。用もないのに、ふと気が付くと便所の中へ這入つてゐる。おや、こんな所へ何をしに来たのかなと思つて又出て来る。と、今度は格子に頭を叩きつけながら、「うーん、うーん、」と云ふ声を出してゐる。しかう云ふことを書いて何になるのか。これは只(ただ)労働の記録に過ぎない。


(『〆切本』掲載)

横光利一(よこみつ・りいち)
1898年生まれ。小説家、評論家。菊池寛に師事し、『日輪』『蝿』で鮮烈なデビューを果たす。代表作に『機械』など。ストイックな一面がある一方、本エッセイではそれが期せずして得も言われないユーモアをかもし出している。1947年没。
書けない原稿 底本『横光利一全集 第十三巻』河出書房新社

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「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
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