ヤマシタトモコ先生_竹

雪舟えま訳『竹取物語』(BL古典セレクション①竹取物語 伊勢物語 より)

八、帝の恋

 さてそれからーー。
 この世のものとも思われぬ美貌のかぐや彦と、五人の貴公子たちとの求婚騒動のてんまつが、ついに帝の耳に入るところとなった。
 帝は内侍の中臣薔薇房(なかとみのばらふさ)を呼びつけて、こういった。
「その美しさでおおくの人の身を滅ぼし、だれとも結婚せずにいるとかいうかぐや彦……いったいどれほどの美少年だというのだ。内侍よ、おまえの目で確かめてきてはくれぬか」
 薔薇房は承知して退出した。
 ふいにあらわれた帝からの使いに、オキナとジジの家は騒然となった。ふたりは薔薇房を家のなかへ受け入れ、会談の場をもうけた。
「帝は、かぐや彦どのにご興味をおもちです。絶世の美少年と評判なそのおすがたを、この目でよく確認するようにとの勅命でございます……」
 薔薇房は、恐縮しきっているジジの心をほぐすようににっこりと笑い、このように告げた。
「さようでございますか。では、かぐや彦にそう伝えてまいります」
 ああ、このときがきてしまった。ついに帝がうちの息子をーー。
 ジジは緊張のあまり、足がしびれているのも忘れて立ちあがろうとしてよろけ、召使いに支えられながら退出した。
 ジジはかぐや彦の部屋へゆき、そっと声をかける。
「彦や、帝のお使いがいらっしゃいましたよ。はやくお会いしてさしあげなさい」
紙で折った鳥をいくつも室内に飛ばしていたかぐや彦は、その遊びをやめぬまま、いう。
「僕、そんないいもんじゃありませんって。うわさの美少年でございま~す、だなんて、まぬけにもほどがあるでしょう」
 息子のこの反応は、予測していたことではあった。ジジはふしくれだった両手を胸の前でぎゅっとにぎりしめ、
「またそんな、こまらせるようなこといって。帝の、帝のお使いなんですよ、わかってるのっ?」
「わかんないです」
 紙の鳥をひろって、つばさの角度を変えて折りなおすかぐや彦。しなやかな指で鳥をつまみ、こめかみの脇からヒュンと放つと、すいっと飛んだ。
「うん。やっぱりこっちのが飛ぶ」
「彦や、まじめにお聞きなさい!」
「どうしてそんなに父うえたちがびびってらっしゃるのか、わかんないです。帝のいうことだからって、放っておけばいいでしょう。僕はなんとも思いません」
「ひい」
 あまりの言葉に、ジジはまた、ひよどりのようなするどい声をあげた。
 見れば、かぐや彦が折って鳥にしている紙は、これまでに届けられた恋文を再利用しているのであった。そのなかには、かぐや彦にふられたために失脚したり命を落とした貴公子からのものもまじっているであろう。わが息子ながら、どういう神経をしているのか、なにを考えているのかわからない。別室に帝の使いを待たせていることも、ぼうぜんとしているジジのことも、忘れたというかのように、かぐや彦は部屋のすみにたまった紙の鳥をかき集めている。
「僕、いやなんです」
 自分の世界に入ってしまったように見えた息子が、いきなりいったので、ジジははっとした。
「えっ?」
「あの公家の人たちとか、帝の使いとかいう人がくると、父うえたち、緊張して人が変わっちゃったみたいになるのが……。僕たち、三人で、ずっと楽しかったのに」
「彦や」
「大すきな父うえたちが、朝から晩まで働きづめだったのが、家でのんびりしてくれるようになって。美味しいものが食べられて、体が楽になったって、よろこんでくれたのがうれしかったんです」
「…………」
「なんだかずいぶん、変わっちゃったな」
 といって、かぐや彦はため息をついた。
 思いがけなく優しい言葉を聞き、ジジは、これいじょう強引に息子をせき立てることもできず、内侍薔薇房の前にもどった。
「ざんねんでございますが、あの子は未熟で、ひどく強情者でございまして、ご面会はしないと申すのです」
「んん―んんん……」
 薔薇房はいかにもおどろいたという顔をしてみせ、くすっと微笑していう。
「しかし私も、かならずお顔を見るようにいわれていますから。子どもの使いじゃありませんしねえ……うわさがほんとうか確かめるまでは帰れないのですよ」
 帝の使いはいかにもおっとりと優しい声をしていたが、ただで帰ると思っているのかというすごみがあった。オキナとジジには、この人たちのこういうところがこわいのである。
 薔薇房は、かぐや彦の、貴公子たちへの異様な冷たさについては、情報を集めてひととおり調査ずみである。出てこいといって、ほいほいと顔を見せるとは期待していなかった。
 さてここからすこし、攻勢をかけてみようか。ほんとうは、すでにこんなにおびえている老父をおどしてもしょうがないのだけどもーー。
「国王のおっしゃることを、この国に住む民がきかずにすむ……ということは考えられませんね……? 息子さん、未熟でとおっしゃいましたけど、そろそろ道理というものをわからねばならぬお年でしょう?」
 内侍の口調はつぶやくようにしずかなものながら、その真意は蛇のようにさらさらと畳のうえを迫りきて、ジジは首をしめられるような心地になる。「はっ、はい、おおせのとおりにございます。甘やかして育ててしまいましたもので、いつまでも頑是なく……」
 ジジはふたたびかぐや彦の部屋へゆき、帝の使いに会うように説得する。しかしかぐや彦は聞く耳をもたない。
「国王の命令にしたがわないということが、どういうことかわからないのですか、かぐや彦よ!」
 ジジの言葉はもう悲鳴のようであった。
 かぐや彦は散らばった紙の鳥たちのまんなかに座り、頬杖をついて、
「はい、僕はしたがいませんから、はやく殺してください。ーーそういうことでしょう?」
 少年からの返事を伝えられると、さすがの内侍も絶句してしまった。
「殺せ、とな」
大きな肩をすくめて縮こまっているジジを眺め、薔薇房は、午後をすぎてざらついてきた青いあごを指先でなでながら、すこし考えた。
「…………」
 かぐや彦とかいう少年、なにもわかっていない大ばかなのか、ほんとうにおそれを知らぬ豪胆なのか。胸のざわつくようなーーあぶないにおいがするが、本人に会えないのならば、これいじょうは測りかねる、と、内侍薔薇房は考えた。そして、オキナとジジの家を去った。

 薔薇房から面会は不成立であったと伝えられると、
「その心が、おおくの人を殺したのだな……」
 と、帝はうめいた。
「おそれながら、わたくしの勘でございますが」
 薔薇房はいう。
「なにか、あの少年は危険……ほんとうに人の心があるのかと、うすら寒いものをおぼえます」
「ふむ」
「親たちに話を聞けば、彼が強硬に拒否するのは結婚にかんしてだけで、あとのすべての面では理想てきな息子だというのです。こういわれて、わたくしもすこし混乱しました。優しく情も深い孝行息子ーーしかし、なにかはわからないけども、人間としてとうぜん備わっているべきものが、決定てきに欠けている」
「ほう」
「はじめは、甘やかされて育った、多少度を超えた世間知らずなのかと思ったのです。いや、そうであったら助かると。しかし、そうではないようです。両親がおよそ凡人であるだけに、いやがおうにもきわだった印象をもちました」
「まるで、もう会ってきたかのようにいう」
 帝は苦笑した。
「本人に会わなくても、びりびりと伝わってくるものが……」
「おそるべき少年ということだな」
 帝はひたいに指を立ててため息をついた。
 いったんは、かぐや彦のことを考えるのはやめにしようと思った帝だが、やはり思い切ることができずにいた。美しいだけでなく、人間を見る目においては一目おいている内侍が危険とまでいうその心。かぐや彦について知れば知るほどに、ひかれてしまう気持ちをとめられない。
 帝はオキナを呼びつけて、このようにいった。
「おまえの家のかぐや彦を参内させよ。容貌がすぐれていると聞いて使いをやったが、ずいぶんなまねをしてくれたものだ。こんなことをゆるしておいては、くせになるのではないか」
 オキナはひれ伏して、声を震わせて答えた。
「あ、あの子は、どうにも宮仕えをし、しそうにありませんで、親としても、もてあまして、おるのでして。ですが、帰りましたら、おおせにしたがうように申し伝えます」
 帝はいう。
「そうせよ。かぐや彦を参内させたら、おまえに五位の位を与える」
「はっ?! わ、わたくしめを五位に」
 飛びあがらんばかりにおどろくオキナ。
 ついに貴族の仲間入りにーー?!
 いままでは、庶民あがりの成金にすぎないことが後ろめたく、貴公子たちにも対等の口をきくのがはばかられていたが。自分も官位を授かれたなら、もうびくびくしなくてもよくなる。
 かぐや彦を参内させることができても、できなくても、未来が激変してしまいそうな予感に、オキナは何度もめまいをおぼえながら帰宅した。

「ーー……と、帝はおっしゃるのだが、やはり、君はお仕えなさらぬでしょうな……」
「はい、よくおわかりですね」
 かぐや彦はにっこり笑い、
「宮仕えする気はありません。むりやりさせるというのなら、一瞬だけそうして、父うえが官位をもらうのを見届けたら、死ぬだけです」
「なんてことを」
 オキナは悲しい顔をしていう。
「官位をいただいたとて、わが子に死なれてなんになるというんです。でもなぜ、そこまで宮仕えをいやがるのですか。死ぬとまでおっしゃる、そのわけは」
「父うえーー僕は、たくさんの人の愛情をうたがって試すことをして、むだにしてしまいました。こんなまねをしておいて、いまさら帝のものになるなんて、世間の人にどう思われることでしょう」
 と、かぐや彦がしんみりという。オキナは腹が決まり、うなずいていう。「この天下で、かぐや彦、君の命に代わるほどだいじなものなどないのです。よし。お仕えはできないということを、帝に申しあげよう」

 オキナは帝のもとへ参上し、いう。
「参内せよとのお言葉を伝えましたが、あの子は、宮仕えをするくらいなら死ぬつもりだと申します。かぐや彦は私どもから生まれたのではなく、むかし、山のなかで見つけた子でして、おそらくそのために、性格が、どうもふつうではないようなのです」
 人と変わった心をしているーー内侍がいっていたこととおなじだ。帝はすこし考え、このようにいう。
「おまえの家は山のふもとにあるな。狩りに出るときにでも立ち寄って、かぐや彦を見てしまおうか」
「それはよいお考えでございます。あの子がぼんやりしているすきに、ふらりとおいでにおなりませ。きっとご覧になれるでしょう」
 帝はすぐに狩りの日程を決めて出かけ、通りすがりにオキナとジジの家にそっと入りこんだ。そして、その人のいる部屋はすみずみまで陰がないという情報を頼りに、建物のなかをさがしまわり、ついに、うわさに聞くとおりのすがたを視界にとらえた。
 あの少年であろう、と、帝はすばやく近づき、こちらに気づいて逃げだしたその袖をつかんだ。恥ずかしがって顔をかくすかと思いきや、かぐや彦は帝の目をきりりと見かえしてきた。
 なんという目をしているのか。
 物おじせぬつややかな黒い瞳に、帝は一瞬で胸のなかのすべてを吸いあげられたようになる。少年の顔や手からだけではない、着ている衣服からも波のように光はあふれ、強く輝くそのまばゆいすがた。
「き、君が」
 君がかぐや彦かーーそうたずねるのもおろかに思えるほど、これがかぐや彦いがいのなにものでもあろうはずがなかった。
 あの男もあの男もこの少年のために身を滅ぼした。
 少年について聞いていたことにすこしも誇張はなかったのだと、すべてに納得がいく。苦しいほどに男たちの気持ちがわかる。いまや帝自身が、かぐや彦のあまたの求婚者たちとおなじ気持ちに―はげしい恋におちいっていた。しかし帝が彼らとちがっていたのは、男たちのだれもかぐや彦のすがたを間近に見たことはなかったが、自分はいま、少年とひとつ部屋におり衣服の触れあうほどに近づいているということである。
 どう口をきいたらいいのか、言葉が通じるのかと、帝はかぐや彦の黒い瞳をさぐるように見つめるが、その赤いくちびるが、光の肌のしたにも人とおなじ色の血が流れていることを示していた。帝は白く輝く手首をつかんでひきよせる。
 顔をそむけるかぐや彦。
 帝はいう。
「放さないぞ」
 そして、かぐや彦をつれていこうとする。
「あなたは僕をつれていくことはできない」
「私にできないことなどないのだ、かぐや彦」
 少年を抱きかかえたまま帝が輿を呼びつけると、その腕のなかからふいに重さがなくなり、かぐや彦のすがたが消えてしまった。
「なんと」
 帝はおどろき、うす暗くなった部屋のなかを見まわすが、自分のほかにだれもいない。
「かぐや彦、どこだ」
 ほんとうに、ふつうの人間ではないというのかーー。
 そうだとわかっても帝には、おそろしいとは思えず、美しいすがたをもういちど見たい、まだ見たりない、と、飢えたように求める気持ちがあるばかりだった。帝はもう、かぐや彦が恋しくてたまらなかった。
「わかった! かぐや彦、いまは君をつれていきはしない。せめてすがたを見せてくれ! そうしたら……私は、おとなしく帰ろう」
 暗がりに向かってそういうと、かぐや彦はふたたび帝の目の前に立ち、室内には明るさがもどった。
「よかった」
 帝はほっとして言葉をもらした。そして、ひと目で心うばわれた愛らしく美しい顔を、こんどはぞんぶんに見つめる。
 かぐや彦はなにもいわずにこちらを凝視している。
「君がーーいないと、こんなに暗い部屋だったとは」
「…………」
「約束だった。帰ろう」
 帝は思い切ってかぐや彦といる部屋をあとにし、オキナにたいし、少年と会わせてくれたことに感謝を伝えた。オキナはこれをよろこび、帝のおつきの百名もの人びとに酒と食事をふるまった。
 かぐや彦を残したまま帰らねばならぬことは、帝には過去に経験のないほどの苦しみであった。叶わぬ恋などしたことのない人なのである。この山すその家に魂をおいていくかのような、おぼつかない気持ちで輿に乗る。
 目をひらいてもとじても、顔の前にちらつくあの顔、あの光景ーー。
 強引につれ去ろうとして、かぐや彦が腕のなかから消えてしまうまで、天井にも床にもどこにも陰はなく、ふたりきり満月のなかに入ってしまったと錯覚するような時間であった。あんなに目も耳も、だれかのことを感じようと必死になったことはなかった。
 これまでの歳月、自分はほんとうに生きていたといえるのだろうか―あの透明な光のなかの燃えるようなひとときだけが、生きている時間といえるのではないか……。
 帝は輿のなかで、ため息をつきつつ歌を詠み、かぐや彦に贈った。

帰るさのみゆき物うく思ほえてそむきてとまるかぐや彦ゆへ
(帰りの行幸の物憂さといったらない……何度も輿をとまらせて振りかえってしまう。私にしたがわず、家にとどまるというかぐや彦、君のせいだ)

 かぐや彦は返歌をした。

むぐらはふ下にも年はへぬる身のなにかは玉のうてなをも見む
(雑草の生い茂る貧しい家にすごしてきた僕です。どうしていまさら宮仕えなどして玉台のような御殿に暮らそうだなんて夢を見るでしょうか)

 帝はこれを読んで、自分の帰る場所はどこにもないような感覚におそわれた。
 かぐや彦との一瞬ともいえる短い出会いをしてから、時間や場所の感じかたがどうにもおかしい。生まれてからというもの、自分はほんとうにいるべき場所にいたことはいちどもなく、まだ人生が始まってさえいないような気がしてくるのだ。
 泣きたいような、この気持ちはなんであろう。
 これはほんとうにただの恋なのか。これまで恋だと思っていたものとは、なにもかもがちがう。

 帝には、もとの暮らしのすべてが色あせて見えた。
 身のまわりに仕える者たちを見ても、かぐや彦に感じたようなときめきや感動はなにもない。容姿が気に入ってそばにおいていた人たちのことも、かぐや彦を知ってしまったあとではどうとも思わない。あの光輝く、にらむように自分を見つめかえした少年だけが恋しく、帝は弟たちのもとへもいかずにひとりですごすようになった。
 それからは、かぐや彦へ手紙を書いて贈ることが帝のただひとつの楽しみとなったが、少年からの返事は、いがいにも、それほどつれないものでもなかった。すこしは望みがあるかと思うと帝の心は若き日のように躍った。恋をするまなざしで見れば、変哲のない木や草も風情がありおもしろいものに感じられ、新しい発見がある。それらを、すべてを分かちあいたい恋人へいそいで報告するように、歌を詠んでは手紙を贈る帝であった。

(前後は『BL古典セレクション①竹取物語 伊勢物語』でどうぞ!)


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2005年設立の、人文書・文芸書を中心に刊行する出版社です。左右社という社名は書家の石川九楊先生に付けていただきました。亀のかめ吉&かめ坊ペアを飼っています。

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