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文豪と〆切 ⑥高見順「『赤字つづきだ』と妻が言った」

夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。

イラスト:堀道広

日記 昭和二十五年/昭和三十五年  高見順

❖ 四月十二日(水)
 仕事場。
 仕事できぬ。
 平野君のところへ行ったが留守。仕事場の帰りに小泉さんに会い、本多君のところへ行く。平野君がいる。やがて堀田君来る。
 夜、三雲祥之助夫妻と会食。

 ❖ 四月十三日(木)
  臥床。
  夕方、鎌倉に妻と散歩に出、市民座で「愛の調べ」を見る。シューマン夫妻の物語。

 ❖ 四月十四日(金)
 仕事場。
 どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社に行く。
 熱海の大火で、北原武夫君の家がどうかと、スタイル社に寄る。無事だったという。広津さんの家は類焼。(新宅は無事。)

 ❖ 四月二十日(木)
  仕事場。文春別冊の原稿、どうしてもといわれるが、筆が進まぬ。
 午後、大佛次郎氏の芸術院賞受賞祝賀会(もみぢ)に出る。

 ❖ 四月二十一日(金)
  仕事場。三時までいる。
  夜、五所平之助、島の両氏来宅。好々亭で会食。(姫田君も呼ぶ。)両氏、好々亭に泊る。

 ❖ 四月二十二日(土)
  好々亭で五所氏と話す。

 ❖ 四月二十三日(日)
  仕事場。
  午後、池田君を見舞う。緒方君と会い、ともに菊岡君をヒロ病院に見舞う。手術後の経過良好。
 「権五郎」(すし屋)で緒方君と飲む。鎌倉駅に酔っ払いのアメリカ兵横行、無抵抗の日本人にさかんにいたずらをする。私も生卵をぶっつけられた。口惜しかった。 

❖ 四月二十四日(月)
 臥床。
 平野君来宅。ともに本多君のところへ遊びに行く。 

❖ 四月二十五日(火)
  朝、文春の山本君来宅。その案内で築地の「清水」へ行く。カンヅメである。カンヅメなる ものを非難拒否していたが、やむにやまれずカンヅメされることを受諾。
 発病以前に「新潮」のために書いた小説を手に入れて「文春」別冊に渡すことにした。かきかけの小説は放棄。
 夜、山本君、中戸川君と飲み、私は「清水」に泊る。 

❖ 四月二十六日(水)
 「清水」で仕事。

 ❖ 四月二十七日(木)
  原稿渡す。
  高鳥君と会い、「よし田」で飲む。文春に電話し、稿料を貰う。筈見、伊藤基彦君、ブーちゃんと会い、貰った稿料で飲む。

 ❖ 二月十五日(月)
 「三喜」へ行く前にコーヒーを飲むくせがついていて、今まで西銀座の「コロンビア」(七十円)か、新橋交叉点のコーヒー店(名を忘れた。ここは六十円。モーニング・サービスと言って午前中は五十円)か、どっちかへ寄っていたが、後者は店内改装で休業。この間、大久保君と東銀座の「ブラジル」へ寄ったが、五十円でもおいしいコーヒーなので、昨日も、そして今日もここへ寄った。
  風強し。陽気は暖かになったが、風は冷たい、

 『現代』第三回にかかる。
 この仕事は、ことわろうと思えばことわれたのだが、こういう中間小説の仕事をしないと、生計がなりたたないのである。去年の末から今年はじめにかけて、『世界』『文学界』『群像』だけの仕事をしていたら、これらは一枚千円なので(しかも一月かけて一誌に三十枚ぐらいしか書けない。『文学界』の稿料は枚数を多くして計算してくれるという特別の計らいで一枚千五百円ぐらいだが)
 「赤字つづきだ」と妻が言った。

 大久保君(『群像』編集長で同時に『現代』編集長)が、去年の暮、冗談の口調で、こう言った。
 「文学雑誌ばかりに連載とは、よほど貯金がおできになったんですな」
『世界』は文芸雑誌ではないが、まじめな雑誌なので稿料は安い。—やはり、中間小説を書かないと、食えない。よその人のように、月何百枚と書けるのだったらいいが(この間死んだ火野葦平君は月三百枚から四百枚だったという。これでも多い方ではない。)私みたいに遅筆の人間は、ほんとに困る。
  遅筆の人間が、時間潰しのこんな日記書いている。
  時間が潰れると思って、今まで書かなかった。
  今、これは、仕事にかかる前に書いている。頭のウォーミング・アップのためにかえって、いいかもしれない。

 『世界』の小説は今まで、実に書き渋って、苦しんだ。もうすこし楽に書けるようにしたいと思って、『文学界』の仕事をはじめたのだ。仕事がふえて、いけないようだが、『文学界』の仕事は、思い切って乱暴に書いてみたいと思ったのだ。抑制で疲れないようにして、強い主人公をのびのびと書いて行こうと思った。そして『世界』を書くときの抑制の苦渋から私を救おうとしたのだ。

  日記を書くのも—時間潰しのようでも、筆の滑り出しのための効果があるかもしれない。

  さあ、仕事にかかる。


1907年生まれ。小説家。おもな作品に戦時下の良心的知識人のあり方を追求した『故旧忘れ得べき』、『如何なる星の下に』など。今回収録した日記からはマイペースな人柄があらわになる。1965年没。

日記 昭和二十五年/昭和三十五年  底本『高見順日記 第八巻』勁草書房


▼【3万部突破!】なぜか勇気がわいてくる。『〆切本』
「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!


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「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…


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