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文豪と〆切 ②太宰治「義務として、書くのである。」

 

夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙、漫画など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、バルザックからさくらももこ、川上未映子まで収録した続編『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。

「義務」  太宰治

 義務の遂行とは、並たいていの事では無い。けれども、やらなければならぬ。なぜ生きてゐるか。なぜ文章を書くか。いまの私にとつて、それは義務の遂行の為であります、と答へるより他は無い。金の為に書いてゐるのでは無いやうだ。快楽の為に生きてゐるのでも無いやうだ。先日も、野道をひとりで歩きながら、ふと考へた。「愛といふのも、結局は義務の遂行のことでは無いのか。」

 はつきり言ふと、私は、いま五枚の随筆を書くのは、非常な苦痛なのである。十日も前から、何を書いたらいいのか考へてゐた。なぜ断らないのか。たのまれたからである。二月二十九日までに五、六枚書け、といふお手紙であつた。私は、この雑誌(文学者)の同人では無い。また、将来、同人にしてもらふつもりも無い。同人の大半は、私の知らぬ人ばかりである。そこには、是非書かなければならぬ、といふ理由は無い。けれども私は、書く、といふ返事をした。稿料が欲しい為でもなかつたやうだ。同人諸先輩に、媚びる心も無かつた。書ける状態に在る時、たのまれたなら、その時は必ず書かなければならぬ、といふ戒律のために「書きます。」と返事したのだ。与へ得る状態に在る時、人から頼まれたなら、与へなければならぬといふ戒律と同断である。どうも、私の文章のvocabularyは大袈裟なものばかりで、それゆゑ、人にも反発を感じさせる様子であるが、どうも私は、「北方の百姓」の血をたつぷり受けてゐるので、「高いのは地声」といふ宿命を持つてゐるらしく、その点に就ては、無用の警戒心は不要にしてもらひたい。自分でも、何を言ってゐるのか、わからなくなつて来た。これでは、いけない。坐り直さう。

 義務として、書くのである。書ける状態に在る時、と前に言つた。それは高邁のことを言つてゐるのでは無い。すなはち私は、いま鼻風邪をひいて、熱も少しあるが、寝るほどのものでは無い。原稿を書けないといふほどの病気でも無い。書ける状態に在るのである。また私は、二月二十五日までに今月の予定の仕事はやつてしまつた。二十五日から、二十九日までには約束の仕事は何も無い。その四日間に、私は、五枚くらゐは、どうしたつて書ける筈である。書ける状態に在るのである。だから私は書かなければならない。私は、いま、義務の為に生きてゐる。義務が、私のいのちを支へてくれてゐる。私一個人の本能としては、死んだつていいのである。死んだつて、生きてたつて、病気だつて、そんなに変りは無いと思つてゐる。けれども、義務は、私を死なせない。義務は、私に努力を命ずる。休止の無い、もつと、もつとの努力を命ずる。私は、よろよろ立つて、闘ふのである。負けて居られないのである。単純なものである。

 純文学雑誌に、短文を書くくらゐ苦痛のことは無い。私は気取りの強い男であるから、(五十になつたら、この気取りも臭くならない程度になるであらうか。なんとかして、無心に書ける境地まで行きたい。それが、唯一つのたのしみだ。)たかだか五枚六枚の随筆の中にも、私の思ふこと全部を叩き込みたいと力むのである。それは、できない事らしい。私はいつも失敗する。さうして、また、そのやうな失敗の短文に限つて、実によく先輩、友人が読んでゐる様子で、何かと忠告を受けるのである。

 所詮は、私はまだ心境ととのはず、随筆など書ける柄では無いのである。無理である。この五枚の随筆も、「書きます。」と返事してから、十日間も私は、あれこれと書くべき材料を取捨してゐた。取捨では無い。捨てることばかり、やつて来た。あれもだめ、これもだめ、と捨てゝばかりゐて、たうとう何も無くなつた。ちよつと座談では言へるのであるが、ことごとしく純文学雑誌に「昨日、朝顔を植ゑて感あり。」などと書いて、それが一字一字、活字工に依つて拾はれ、編集者に依つて校正され、(他人のつまらぬ呟きを校正するのは、なかなか苦しいものである。)それから店頭に出て、一ケ月間、朝顔を植ゑました、朝顔を植ゑました、と朝から晩まで、雑誌の隅で繰り返し繰り返し言ひつづけてゐるのは、とても、たまらないのである。新聞は、一日きりのものだから、まだ助かるのである。小説だつたら、また、言ひたいだけのことは言ひ切つて在るのだから、一月ぐらゐ、店頭で叫びつゞけても、悪びれない覚悟もできてゐるが、どうも、朝顔有感は、一ケ月、店頭で呟きつづける勇気は無い。

 もう、これで五枚になつた。先月、私の書いた「駈込み訴へ」は、ドラマである。声を出して読むと、よくわかるのである。おひまの人は、いちど、声を出して読んでみて下さい。そのやうにして書いたのである。


(『〆切本2』掲載)

太宰治(だざい・おさむ)
1909年生まれ。小説家。別のエッセイでは、10枚の随筆を書くために、「三日も沈吟をつづけ、書いてはしばらくして破り、また書いては暫くして破り、日本は今、紙類に不足してゐる時ではあるし、こんなに破つては、もったいないと自分でも、はらはらしながらそれでも、つい破つてしまふ」とある。最初の小説集のタイトル『晩年』は、遺著のつもりで付けたという。1948年、玉川上水で愛人山崎富栄と入水し自殺。
*「義務」(『〆切本2』より、底本『太宰治全集 第十巻』筑摩書房)



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