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#10 対話は続くよ、どこまでも〜わたしたちの民主主義/『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』特別企画

対話型の街頭演説「青空対話集会」で、市民とのコミュニケーションを行う立憲民主党の小川淳也さん。衆院選が終わってからも続く対話集会の様子を、和田靜香さんがコツコツ記録していきます。対話の先に何が見えるのか?『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』とあわせてお楽しみください。

3月22日(火曜日)雨 @有楽町編

有楽町なのに写真は中野サンプラザ

 前日(21日)に神奈川県・逗子駅前でも行われた青空対話集会。異例の連日開催で、都内で最初からやっていた(昨年11月の立憲民主党代表選挙時に小川淳也さんは、有楽町駅前で青空対話集会を始めた)、おなじみの有楽町駅前に戻って来た。

 しかし、この日は冷たい雨。みぞれも混じっていて、寒さに弱い私はオンライン視聴にしました。

以下質問。

1 辻元清美さんが全国比例からの立候補で大阪不在になるのは寂しい。
2 就職が決まりました! (←おめでとう!)
3 国会での野党の質問が腰砕けだ。野党の役目は法案や政策対案を出すこと。批判ばかりの声に負けないでほしい。
4 立憲民主党だろうが他の党だろうが、誰がやっても同じに思えてしまう。自民党と立憲民主党では何が違うのか。
5 野党といっても今は実に色々で、どういう風にまとめていくのか。
6 立憲民主党の特徴をわかりやすく言うと?
7 政治家の街頭演説がつまらない。話しかけたら軽くあしらわれたことがある。

 と。なぜかこの日はほとんどが立憲民主党、野党のあり方に質問がほぼまとまった。といっても前の人の質問を受けて、というわけでもなく、各々が同じテーマながら、前の人とは関係なく、自分の考えを話して質問していた。話は深まるような深まらないような。対話がつながっていくのは、なかなか難しい。

 そんな中で注目したいのは、質問4「立憲民主党だろうが他の党だろうが、誰がやっても同じに思えてしまう。自民党と立憲民主党では何が違うのか」について。

 小川さんは「重きを置くのが『国家あっての国民』だろうと思う人がいます。片や『国民あっての国家』じゃないかと思ってる人がいる。往々にして『国家あっての国民』と考える国家主義に走りがちな人たちには既得権があったり、強い立場にあったり、富裕層であったりすることが多い。片や『国民あっての国家』と考える人たちは個人の自由とか市民社会の尊さに重きを置き、既得権とは乖離してる方が多い。

 リベラリズム、という言葉があります。国家からの自由を、国家権力を警戒するものとしたときの発想です。社会政策におとしこむと、弱者に寄り添うものになります。暮らし、生活に基盤を置いて、人の自由、人権を擁護していく、そういう政党が必要だと思っています。私たちは国家主義的なものと戦う、国民を優先する政党でありたいです」と話した。

 私は先日、「立憲デモクラシーの会」(憲法を守る学者の会)の動画に参加させてもらい、その時にご一緒した中北浩爾さんの書かれた『自公政権とは何か』(ちくま新書)を読んで、震えた。そこに「自民党の綱領」についての記述があったのだが、本から引用する。

その中心に置かれるのは「勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民」であり、「家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務と誇りを持って果たす国民」である。国民は「自助自立する個人」であることが求められ、地域社会や家族の「共助」、国家による「公助」は、あくまでも補完的な役割にとどまる。個人は権利の主体というよりも義務を果たす主体であり、「日本の主権」や、「独自の伝統・文化」を守ることが重視される。個人に対して国家を優位に置くのである。

 小川さんの言うように、今の自民党は、「国家あっての国民」という考え方だ。国民は国家に義務を果たすためにある。国家主義。そのことをこの本で知って、私はむむむむ~っとなった。なんというか、ちょっと息ができないなぁ、という感じ。

 政治なんて誰がやっても同じ、政党なんてどこも同じ、ということはよく言われることだけれど、綱領を読んだだけでも、それぞれ基本的な考え方が違うことは分かる。誰がやっても同じということはありえない。これを認識してから選挙に行くと、違うかもしれない。

落選して「伝えたい」から「聞かなきゃ」に

 さて、質問7の「政治家の街頭演説がつまらない!」って、そう言われる政治家は辛いだろうけど、確かにそういうのが多いよなぁと思ってしまった。これまでの経験を踏まえて、駅前などで政治家が演説をしてるのに遭遇し、「あら、面白そう」なんて足を止め、フムフム街頭演説を聞く経験ってほとんどない。

 さらに質問者さん「お話しようとしたら、軽くあしらわれてしまったことがある」と言っていた。ああ、なんてこと。私たちに話してるけど、私たちのこと見えてないのか? 

 小川さんはこの質問に「聞いて欲しいという思いがみなさんの日常の中からあふれて当然です。私のような立場の人間がしっかり組み止めてこそ、これからの社会が作られると思います」と答えた。

 さらに「私は最初の選挙で落選しているんです。あのときは伝えたい、伝えたいという気持ちでした。その後、落選して数年間で聞かなきゃ聞かなきゃと、180度変わったんです。この仕事の本質は代理人ですから、代弁者ですから、みなさんおひとりおひとりが抱えているお気持ちや願いをどれだけ預かっていけるかが勝負ですから。聞いて聞いてを繰り返すべきなんです」と話した。

 そうか、そういうことか。となると、この青空対話集会の本分は、小川さんにみんなが「聞いてほしい」と思うことを話し、小川さんがそれを聞くこと。そこから何か対話が深まるかとかよりも、とにかく小川さんが聞くこと、私たちが言いたいことを言うこと、それ自体に意義があるのか? 逗子では看護師さんが叫び、小川さんと早稲田ゆきさんが聞いた。それは、私の胸にも刺さった。

 もしや、私、根本的に間違えていたのか? 

 私はこの「青空対話集会」が回を重ね、やがて「小川さん VS みなさん」で、激しくも熱のこもった、キラキラ怒涛の対話が育っていくかもしれない! 私はそれが見たい! それこそが民主主義のあるべき姿じゃないの? などと期待しまくって、このnoteを書き始めた。

 イメージは古代ギリシア。神殿のようなところで市民が議論をたたかわせ、そこから政治が生まれる……みたいな?(テルマエロマエな絵を思い浮かべる私です)

 それは一つの民主主義の形だけど、でも、そうじゃないのかもしれない。

 先日、とあるイベントで政治学者で、『民主主義とは何か』(講談社現代新書)を書いた宇野重規先生と対談をした(サイコー幸せでした)。そのときに宇野先生が「対話においては聞くことがいちばん大事」とおっしゃっていた。

 みなさんが政治への意識を持ち、発言し、それを小川さんが聞く。すでにここには民主主義のひとつの形が形成されており、それはそれでもうOKなのか? 

 怒涛でキラキラはこの先にないのか?

 と、あれこれ考えたまま、まだまだ答えは出ない。で、もう1回分、書きます。


3月26日(土曜)雨 @高松・三越前編

高松なのに写真は小豆島

 ああ、懐かしの高松・三越前! 昨年10月の衆議院選挙期間中、ずっと高松に滞在して『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』の元になったnoteの記事「選挙日記」を書いていた私は、ここで小川さんや日本維新の会の町川順子さん、共産党の白川よう子さん(比例)らの街頭演説を聞いた。その懐かしい場所! そこでの青空対話集会だ。もちろん、東京の自宅からオンラインで見た。

 質問は以下の通り。

1 受給額が減る年金生活者に生活を保障するため5000円を支給するという政府案を聞くが、経費がかかってばかばかしい。私はそのお金はいらないので、ウクライナ支援にまわしてほしいぐらいだ。(注:その後この政府案はなくなった)
2 どうしたら戦争を止められるか?
3 弱い立憲民主党を強くしてください。
4 ロシアとウクライナの戦争のこと。なんで政治家は外交努力しないのか? プーチンに会いに行かないのか?
5 30年以上日本は経済衰退がつづいていて、小川さんは人口減少社会に見合った対応をする政策を持っているのか?
6 同性婚を認める法律の制定を一日も早く実現してほしい。
7 沖縄の問題や安全保障問題を考えて、憲法改正すべきか。

「プーチンに会いに行かないのか?」

 この日の質問で私も、おそらく小川さんも、その場にいた大勢の皆さんも、「ハッ」とさせられたのは、質問4「ロシアとウクライナの戦争のこと。なんで政治家は外交努力しないのか? プーチンに会いに行かないのか?」なんじゃないか。

 質問者さんは「日本の政治家はロシアに行ってプーチンに会う努力をなんでしないの? たとえ会えなくてもアクションを見せてほしい」と問いかけた。

 小川さんの返答はこう。

 「シンプルにその通りだなと思いました。残念ながら今、私どもがお願いしたところでプーチンさんが会ってくれるはずはないし、それはよく自覚したいですが、素朴にそう思われたということに、強く感じ入っております。一時、ロシア大使に会いに行こう、申し入れしようという議論は立憲民主党内にありました。しかし、現状それに踏み切ったところで、会えるのか、対応してもらえるのかということで、まずはウクライナ大使に泉さん(泉健太代表)が会いに行きました。それもこれも含めて野党といえども外交努力を重ねることは極めて重要なことで、この間アメリカ大使やシンガポールの大使館の方々と意見交換はしてまいりましたが、これからもさらに努力を強化したいです」

 会えるわけはない。でも、会おうとする努力をしている政治家の姿を見せるってのは、対ロシアにしても、対日本に住む私たちにしても、戦争を止めよう!と必死になってることを伝え、大事なことなんじゃないか?と思わされた。素朴な問い、だけど、大事だ。何か常識みたいなものに縛られて、基本的に大切なことが見失われている。めちゃくちゃ頷かされた。

 さて、質問7の「憲法改正すべきか」という問い。これも考えさせられた。

 小川さんは、

 「今日こうしてお運びのみなさんの間にも、憲法変えたい人と、変えたくない人がいらっしゃると思います。私は憲法を変える必要あるところは、話し合えばいいと思っています。しかし安倍さんたちの憲法観とか、憲法論は好きではありません。安倍さんは何がなんでも憲法変えたい。どこを変えたいのか何故なのか?より、どこでもいいから変えたいと聞こえます。

 そういう改憲ありきの改憲論には懐疑的で慎重な立場です。なぜなら日本国憲法における基本的人権の尊重、徹底した平和主義、主権在民、が大きく戦後の秩序を作ってきました。ひとりも殺さず、殺されず、戦争を回避して、経済的な発展と、ある種の調和を果たしてきた戦後の歴史があります。私はこの憲法下での、おおらかな肯定感を大事にしたい。

 その中で、大きな課題はあります。21世紀にふさわしい環境権、知る権利、プライバシーの権利、色々な権利は議論すべきですし、現在の衆参両院のあり方も今のままでいいのか、統治機構のこともあるでしょう。そうした社会や国民のための改憲論はやればいい。しかし何が何でも変えたいという態度とは一線を画したい。という意味で、この憲法論議に参画していきたいと思います」

と話した。

 今年は参議院選挙が7月に終わると、一気に憲法改正の議論がドッと始まるんではないか?としきりに言われている。もしかして今年後半から憲法は一番の話題になるかもしれない。そうなの? そうなのかどうかもわからないが、そもそも私は憲法をよく分かっていない。だから小川さんが憲法論議に参画したいというのが正しいのかそうじゃないのか、それも分からない。

 むろん字面だけ追って読むことはできる。でも、そこにある意味や意義は知らないままだ。憲法は大事と言いながら、真面目に憲法を考えようとしたこと、まるでないと気づく。ガーン。でも、実はそういう人、私だけじゃないんじゃないか?

 知っているのは憲法9条。戦争はいやだよね、放棄だよね、ありがたいよねってこと。それから憲法25条。すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するというもの。これもよく聞くから知っている。でも、この2つぐらいだ。

 そして今、私の手元にある『日本国憲法』(小学館、2013年)という本は、全100ページ以上もある。そんなにあるん? 憲法? 知ってはいるし、読んだことはあっても分かってない憲法、私ら、勉強しなくてはならんね? でも、どうやって?? むむむっ。困った! 憲法どうしたらいいか問題。これから私たち、考えて行きましょう。でも、どうやって?

 どうやって憲法を学ぶのか?を考えることが、もしや憲法を学ぶ、その第一歩なのかもしれない。


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