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『わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について』冒頭試し読み

ナボコフの名作『ロリータ』を繭として、高校生と教師の恋愛は支配・非支配的な関係に陥っていった──
左右社より、アリソン・ウッドによるノンフィクション『わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について』(服部理佳訳)を3月上旬に刊行します。孤独な少女だった著者が、二人の関係を『ロリータ』になぞらえる英語教師との歪な関係に苦しみ、やがて大学に進学して知性と文学の力で自分の人生を取り戻すまでを描いたメモワールです。芸術の名のもとに美化されてきた、大人の男と少女の恋愛関係に楔を打つこのパワフルな作品を、まずは冒頭部分から読んでみてください!

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あのひとのはじめてのキスは、口づけではなかった。わたしはまだあの本を読んではいなかった。彼の言う、愛を綴った美しい物語を。

わたしたちは、わざわざ隣町まで出かけて会っていた。場所はハイウェイを降りたところにある終夜営業のダイナー。店の奥のボックス席がふたりの指定席だった。いつそこに行けばいいか迷うことはなかった。彼がみんなの前で授業をしながら、わたしを見て――わたしの目をじっと見て、黒板に8や9や10といった数字を書き、もう一方の手ですばやく拭き消す。それが待ちあわせの時間だ。彼は高校の英文学の教師だった。シャツの袖はいつもチョークの粉にまみれて白くなっていた。年は二十六だった。彼がはじめてわたしに目をとめたとき、わたしは十七だった。

両親には、友達の家に遊びにいくとか、外で勉強をしてくるとか言って出かけていた。でも実際には、あのボックス席で彼と向かいあって何時間も過ごしていた。ギリシャの遺跡が描かれた壁のパステル画の下で、彼は生徒のエッセイを採点し、わたしはラテン語の活用の勉強をしたりしていた。わたしはよく、彼に宛てた文章を本人の目の前で書いた。彼はそれを自宅に持ちかえったり、ときにはその場で――二十四時間つきっぱなしの蛍光灯のもとで読み、ナプキンや紙のランチョンマット、学校で使った用紙のあまりといったものに返事を書いて寄こしたりした。ふたりで何百枚という紙に文字を書きちらしていたはずだが、手もとに残っているのはほんのひと握り、彼の目を盗んでそばに引きよせ、持ちかえってきたものだけだ。彼は店を出るまえにかならず、紙切れやナプキンを集めてびりびりに破り、水の入ったグラスに入れてしまうので、わたしは紙が崩れてインクが溶けだしていくのを見つめているしかなかった。わたしがそうしたものを持ちかえるのは禁じられていた。ふたりきりのときには、敬称をつけずファーストネームで呼ぶように言われていた。でも、学校では絶対にそうは呼ばせてもらえ なかった。電話もメールも触れるのも禁止。ルールをつくったのは彼だった。

ルールは、あのダイナーのボックス席で破られた。それは五月のことだった。夏はすぐそこまで迫っていて、どの教室にも卒業を祝う飾りつけが施され、廊下という廊下にはクレープ紙やラメ入り糊(グリッターグルー)で彩られたバナーがかかっていた。いたるところで卒業へのカウントダウンがはじまっていた。その流れには誰も逆らえなかった。

あのころ彼は名作文学について教えようとしていた。数か月後には大学一年生になるわたしに心構えをさせるためだ。

「きみは絶対に英文学を専攻するべきだよ」彼はそう言うと、ボックス席に深々と腰かけてわたしとのあいだに十分なスペースをとり、背もたれの上に腕をのばした。それは、もしふたりがデートをしていて、人目が気にならない映画館の暗がりにいたとしたら、そこから自然にわたしの肩に腕をまわすんじゃないかと思うようなポーズだった。きっと咳払いもせずにそうするだろうとわたしは思った。

彼はベージュのフォーマイカに鈍い銀色の縁がついたテーブルで、ポー、ディケンズ、ホーソーン、キャロルといった巨匠の名作を朗読してくれた。『不思議の国のアリス』を読むとき など、登場人物ごとに声色を使いわけるほどの熱の入れようで、わたしにも当然わかるというように文学的なジョークに笑ったりしたので、わたしも調子をあわせて笑っていた。こんな風に個人的に指導してもらえる自分は本当に恵まれていると思っていたから、ありがたく拝聴していたのだ。

あの晩読んでもらったのはナボコフの『ロリータ』の冒頭だった。彼は物憂げな口調で、出だしの一行を口ずさんだ。〝我が命の光、我が腰の炎〟うっとりするほどロマンチックだった。でも、わたしはそのロマンチックな雰囲気を台無しにしていた。虫に刺されてしまい、痒みを和らげようと足首をこすりあわせていたのだ。じっとしていられない子どもみたいに。

彼はページの端を親指でこすりだし、声を高めた。声が大きくなるにつれてページをこする力も強くなり、紙に小さな破れ目ができた。

そしてとうとう言った。「蚊に刺されたのか」

わたしは背中に見えない定規でもあてたように、ぴんと背筋をのばした。「そうみたい」
「カラミンローションは持ってないのか」
「持ってない」
「知ってるか」彼は言った。「唾液で痒みをとめられるんだ」

ベンチに橋をかけるようにのばし、彼がすわっているひび割れた赤い革の座面に、サンダルを履いた足を載せていた。彼のすぐ隣に、でも決して彼には触れないように載せていた。わたしはルールに従っていた。

彼は身をかがめてわたしの脚に顔を近づけ、桃色に腫れた足首に唇をあてた。彼の息が肌にかかるのがわかった。

その瞬間、高校の廊下にあるロッカーが一斉に開き、金属の扉が派手な音を立ててコンクリートの壁にキスをした気がした。まさにそんな感じだった。


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わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について
アリソン・ウッド/服部理佳訳
四六判並製336ページ/本体価格2200円+税
ISBN 978-4-86528-068-4 C0098
2022年2月28日取次搬入予定
左右社


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