人や会社にはサバイバル型ってのがある気がする
こんにちは。
以前は「書ける広報」を目指したけど、今は肩書き迷子のホンダです。
「自分はビジョン型じゃないから」
これは最近取材したお医者さんのセリフです。
たまたまお医者さんの話を連続して聞く機会があって意外に思ったことがありました。お医者さんになる人って、何かすごいハートフルな体験や、めちゃめちゃ高い志しがきっかけで、お医者さんになるイメージだったのですが、高校時代に進路に悩んで、なんとなーく決めた人も一定数いるんですね。
ちゃんと考えてるし、理由はあるけど、子どもの頃の将来なりたい仕事で職業選択したわけじゃない。消去法で、あるいはとりあえずの選択の連続で、仕事をしている人って、実はたくさんいるのかなと思いました。
そして、そういう仕事の選び方って、別に何も恥じることじゃないんだな、と。
自分もビジョン型ではありません。
目の前の仕事の好き嫌いはわかるけど、3年先5年先10年先に自分がどんな仕事をしているかは自分でもよく分からない。
フリーランスで収入を増やすことを考えると、どうしてもターゲットやペルソナを設定する、少なくともアプローチするニーズや課題を明確にするという話になります。
でも、仕事をする真の動機がそこにないから、いくら自分を掘ってもよく分からない。
自分のミッションをつくろうとしたこともありましたが、いまいちしっくりきませんでした。目標に向かってがんばることはできるけれど、仕事における目的を意識して、そこに向かうということができないんです。
今のところ仕事で明確な目的は、子どもを育てるための収入を確保すること。これが強力なアンカーになっています。ただ、そこは子ども関係の仕事でもない限り、個人がPRするところではない。
仕事を選ぶ基準は一応あるけれど、それも「面白そうだったから」「知り合いの紹介だから」など、PRするものではありません。
将来やりたい仕事が明確ならば、実績がなくても見せ方で道を切り拓いていけそうだけれど、「やりたいこと」が漠然としているのです。
どうしても理路整然としたセルフブランディングは叶いませんでした。
でも、あちこちつまみ食いで、分かりやすい成果を出せてこなかった自分でも、目の前のことに真面目に取り組むなかで身についてきたりわかってきたりしたことはあります。それに少なくとも自分一人養える程度もしくは家族とセットで生きていける程度には働いてきました。
憧れのビジョン型ではないけど、それを「非ビジョン型」と捉えるのではなく「サバイバル型」と自称するのもありではないかと思い始めています。
とはいえ、人がついていくのはビジョン型だと思います。どうせ誰かと一緒に歩んでいくなら、素敵なゴールが見えてる人についていきたい。
でも、悲しいかな、サバイバル型の自分をどれだけ掘っても「ビジョン型」の人のようなアツい思いやコレという原体験は出てきません。
諦めて人についていくだけにする、ということもできるけれど、やっぱり他人のゴールは自分のゴールじゃない。
だとすると、美しく整ったビジョンではないけれど、やっぱり現時点で自分の羅針盤が向いてる方向、たとえば、漠然とやりたい仕事やうっすらした将来への妄想をダサさ丸出しでジワジワ漏らしていくしかないのかもしれません。
ロジックで突っ込まれたら心が死ぬので、ちょっとずつちょっとずつ。
軌跡を辿ると迷走も甚だしいでしょうが、そこには目をつぶって。
パーパス経営というのが流行りです。ミッションビジョンというのも重視されています。SDGsだのエシカルだのが定着してきて、普通の人もそういう目で買い物したり会社に入ったりする時代です。
給与や待遇ではなくて、経営理念に共感してもらえる人に入ってきてもらえる方が社員も定着するし、ブランドや企業の信頼を傷つけるような変な人を除外できるし、同じものでも持続可能な社会をつくるのに役立つ方が、いろんなところで通りがいい。
うちの会社はこういうふうに世の中の役に立ってます、役に立ちますということを掲げるのは大事なことだと思います。
だけど、会社や事業の成り立ちとして、ビジョン型ではない会社や事業というのも実はある気がしています。
代表が個人でやっていた事業を拡大してきた会社とか。苦肉の策で始めた事業がたまたまヒットしたとか。「今うちで受けられる仕事」はみんな分かってるけど、「3年先5年先にやる仕事」は代表の頭のなかにしかない会社とか。
結局、受注には至りませんでしたが、勢いはあるけど外からみて何をやっている会社なのか分からないから代表にヒアリングして事業の整理とMVVらしきコピーをつくってくれないか、なんて話を受けたこともありました。
あの会社はどうなったのかなぁ。どんなビジョンになったんだろう?
専門コンサルやPR会社とタグを組める大企業でも、ビジョナリーなカリスマ率いるスタートアップでもないけど、普通に、いや立派に企業として存在している会社をサバイバル型企業と命名するのはありでしょうか。
視点は自社中心になりがちだけど、視野が狭いことはなく、ちゃんと社会との関わりは考えている。ただビジョン型のように、社会とのつながりが会社としての行動原理に直結してないから、ちょっと対外説明が難しい。そんな企業広報というのもあり得るのかな、なんて。
コロナで誰も予想しなかった世界が訪れました。社会貢献を掲げて実行にうつしていく会社がやっぱりカッコいい気がするけれど、とにかく社員を食わせにゃならんと思ってなりふり構わずがんばってる社長さんって、もうそれだけで尊敬に値するんじゃないかなって思います。
その会社のものを買うかどうかはまた別の話ですが。
ビジョンを掲げて、あるいは圧倒的な知識や技術で、迷える企業をリードしていくということができない自分が何か役に立てることがあるとするなら、そういう、いるかもしれないサバイバル型の会社と一緒にあっちじゃない、こっちじゃないと壁にぶつかりながら何とか生き延びていくということなのかなとぼんやり考えています。
これ、サバイバル型の自分がひねり出した精一杯のビジョンです。
どうかな?