本多小百合(フリーランス広報/ライター)
働きながら子育てをしていて、あるいは子育てをしながら働いていて、気付いたことや思ったことを書いています。
ポテサラ論争とか、ベビーシッターがどうとか、コロナでの家事負担とか色々あって、もう「ママはがんばらなくて、いいですよ」っていうコピーはうんざりだなって感じてた。 もうとっくに意識変えて、賢く手を抜けなくて余裕が出せない自分に自己嫌悪したりしてるなかで、そんなこと言われると、「え?がんばらなくちゃいけない?」「がんばってるのがデフォルト?」と思ってしまって。 なんかこう、子育てと家事と仕事のトリプルワークは大変であるがそれを一手に背負わずに外注してはどうですか?大変だからお
こんにちは。 以前は「書ける広報」を目指したけど、今は肩書き迷子のホンダです。 「自分はビジョン型じゃないから」 これは最近取材したお医者さんのセリフです。 たまたまお医者さんの話を連続して聞く機会があって意外に思ったことがありました。お医者さんになる人って、何かすごいハートフルな体験や、めちゃめちゃ高い志しがきっかけで、お医者さんになるイメージだったのですが、高校時代に進路に悩んで、なんとなーく決めた人も一定数いるんですね。 ちゃんと考えてるし、理由はあるけど、子どもの
やってみたというか、やってみます。有料記事を。 自分の書いたものというのは自分の延長とも言えます。 初めてライターとして書いた記事の原稿料をもらったとき、どんなことを思ったのか、もう今では思い出せないけれど、ライターと名乗り始めた頃、自分を評価されているようで、文字ひとつの修正にも見積もりひとつ出すのも、ヒヤヒヤドキドキしながらやっていたことを思い出します。 そうやってジリジリしながらも少しずつ経験を重ねて、心を剥き出しにしなくても、ある程度の仕事はできるようになりました
休園期間があけた。 あけた翌朝は、保育園に行けて仕事ができることに、当たり前だと思ってた状況にむしろ戸惑った。気を抜いたら、また急に「明日から休園です」とか、「熱が出ました」とか連絡があるんじゃないかと思ってしまって。 自分が気を張っていようがいなかろうが、うつるときはうつるし、うつらないときはうつらないものだろうに。 追いつめられた状況で、なぜか子どもを通じて仕事を考えてみようと思った結果、子どもの「おしごと」発言が気になるようになった。 この間は「今おしごとしてるから
今日こそはお嬢を仕事場に連れていってみようと声をかけた。午前中、外に出かけられると、その後の流れもいい。買い物でも何でもいいから連れ出したかったのだけど、昨日届いた幼児用教材に夢中でなかなか腰が上がらなかった。 そこで「パソコン」を持って一緒にお仕事へ行こうと誘うと、ノッてくれた。 持っていくのはいつもパソコンと呼んで愛用している電子辞書ではなく、さっきまで遊んでいたパソコン風の知育おもちゃ。まだまだ遊びたかったようで、利害が一致した。 やる気になると出発は早い。 専用バ
朝「ママと一緒にお仕事に行こう」と誘ってみた。 誰もいない時間帯を狙って、コワーキングスペースで「おしごと」できたら面白いと思ったのだけれど、そこはイヤイヤ期キッズのこと。やはりこちらの思惑通りに事が運ぶことはなかった。 着替えて歯も磨いて荷物も持って、すべて支度して玄関を出たところで「おうちにずっといる」と動かなくなってしまった。 外は雨。 今日はアンパンマンの傘をさして出かける気分ではなかったらしい。 大人だって、同じだ。雨や雪、台風の日の出勤は辛い。そんな日は在宅勤務
おやつを食べながら、彼女は聞いた。必死の形相でパソコンに向かう私に。 「おしごと、楽しい?」って。 ニコニコしながら。 束の間、考え込んでしまった。 かろうじて、「そうねぇ」ぐらいは言ったと思う。 歯切れの悪い私に、彼女はそれ以上何かを問うこともなく、賑やかにおしゃべりしながら、おやつを食べ続けた。 その時やっていた「おしごと」は原稿の整理のような、機械的な作業だった。その作業だけで言えば別に面白いものではない。 その作業を含む、オウンドメディア編集の仕事も学びは多いけれ
都会の人は冷たいって言われたら、そんなことないよ!と思ってたし、東京は子育てしづらい、声かけてくれる人がいないって言われたら、優しい人もいるよ、ちゃんと、って思ってた。 でも子連れで地方に泊まりがけ出張して、そう言われる意味が分かった気がした。 新幹線を降りたのは19時過ぎ。 駅ビルを通り抜けると、飲食店で飲んでいる人たちの姿が見えた。男女4人。スーツ姿で仕事帰りだと思う。話してる内容なんて何も聞こえないんだけど、何だろう?顔つきなのかな。 すごくこう、東京と違う感じがして
自分の世界に没頭してて気づいたら一人。 近くにいたお友達も別の子と遊んでる。あっちでもこっちでも楽しそうに遊んでる輪があるけど、どこに入っていけばいいかわからない。 一人で遊ぶのも飽きたから誰かと遊びたいけど、誰にどうやって声をかけたらいいんだろう。なかなか一言、一歩ふみだす勇気がでない。 保育園で遊ぶ娘を見学していたら、自分と同じところでつまずいてて涙でた。最近、行きたくないって駄々こねるのは、こういうことだったのかな。 面談で先生に「私にできることはないか」と相談
しっかりコミュニケーションをとったはずなのに、なんか掛け違ってる。 そういう時は使っている言葉が違うのかもしれない。 言葉が通じるからこそ、理解や見え方の違いに気付けないことがある。 ここ何度か、広報系の仕事をしていて、合意したはずなのに実際に動き出すと何かが違うと思うことがあった。 その原因のひとつに、相手と「メディア」の概念が違ったことがあったように思う。 「バナナはおやつですか?」的な話を何度もしているような感じ。 「おやつ」とは何ぞやを考えるように、「メディア」っ
働きながら幼い子どもを育てていると、とにかく時間が足りない。 今は、そんなワーママを支えるサービスが山ほどある。 ミールキット、レトルトパックの離乳食、家事代行でのつくりおき、食洗機やロボット掃除機、、、 フィルターバブルというんだろうか、 一度検索すると延々と、子育て関係の情報や広告が追いかけてくる。 いかに効率的に家事を行うか、 自分で、または夫婦だけで頑張りすぎずに人を頼り、 サービスを活用することも賢いのだ、 大事なのは子どもとの時間じゃないか、と。 おかげで子
なかなか言葉にならない。 でも、少しずつ見えてきたのは、 多分、広報とか、PRとか、マーケティングとかっていう ビジネス的な言葉でも、情報発信とかっていう言葉でも違って、 ちょっと生あったかくて、子どもっぽくて気持ち悪いんだけど、 思いを伝えるとか、誤解されないとか、わかりあえる人に伝わるってこと。 こういう人や会社の役に立ちたいなっていうのは、 exitありきで数字を追うことをゲーム感覚で楽しんでいるベンチャーとか、 真面目でいい人なんだけど商品のことを仕事
伝わる文章を書くコツのひとつに、「形容詞に頼らない」というのがあります。 何でも美しい、おいしい、楽しい、良い と表現してしまうと、そのものの美しさやおいしさ、楽しさや良さが伝わりません。 めっちゃ良い、スーパー良い、死ぬほど良いなどと程度を強調しても今ひとつです。 具体的にどうなの?というのが分からないからです。 たとえば、今日の飲み会はスゴい美人が来るよと言われたら、どんな人を想像するでしょうか。 長身でショートパンツがよく似合うモデル風金髪美人、切れ長の目が印象的な
コピーライティングというのは 商品そのものについてではなく 商品と人との関係について書くのだ。 紙おむつのパッケージをボーッと眺めていて、 コピーライターさんのインタビューに同席して 耳学問で学んだことを思い出した。 紙おむつや粉ミルクのパッケージには、 細かく使い方が書いてあって、 雑誌や平日の育児教室で情報をとっていない自分には 結構、参考になっている。 おむつのパッケージにはサイズ表以外にも 何層構造でどうのこうのとか、 なんとかサインでどうのこうのとか、 かわい
表現力を磨く練習として、安易に「いいね」と言わないというものがあります。 何がいいのかを自分で分解して言葉にしてみる。形容詞を使わずに、なるべく具体的に書いてみる。 そうすると、その言葉を受け取った人が勝手に自分の体験から情報を引き出して、言葉に色をつけてイメージを広げていってくれます。 自分でも思います。何でも「おいしい」、何でも「かわいい」では、ボキャブラリーが貧しいなと。 「すてき」「すごい」「いい感じ」などなど、つい言ってしまうのですが。 もちろん、「おいしい」「
これまで個人名で仕事をしてきたのですが、ここにきて屋号をつけようかと思い始めています。 ところが、意味のある屋号をつけようと考えると、なかなか難しい。 そういえば、去年、子どもの名前を考えるのに、夫婦ふたり、うんうん唸ったことを思い出します。 音から決めるか、イメージから決めるか、使いたい漢字や止め字から考えるか、誰かにあやかるか……色々なアプローチがあり、何十もの候補があがりました。 考えてみると、屋号や社名も同じように、名付けにあたって、さまざまなアプローチがあるこ