【読書】 クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国 若桑みどり
「私が書いたのは、権力やその興亡の歴史ではない。私が書いたのは、歴史を動かしてゆく巨大な力と、これに巻き込まれたり、これと戦ったりした個人である。」
膨大な資料をもとに書かれていて、どちらかというと戦国キリシタン史といっていい内容ではある。文庫本で1000Pはあると思われるかなりの大作。途中で時代があっちこっちにいくので、少し混乱することもあるが歴史好きやキリシタン史に興味ある人だけでなく、海外に興味がある人、グローバル社会に住む私たちにも考えさせられるので本当に読んでみてほしい
ザビエルに始まり、ヴァリニャーノによって形作られた日本宣教。西洋と日本、全く違う二つの文明が初めて出会ったとき何が起こったのか。
ヨーロッパへ渡った少年たちは、ヨーロッパと日本のかけ橋になったが八年半かけて奇跡的に戻った日本は変わってしまっていた。一行の出港後にキリスト教を保護した信長は本能寺の変で倒れ、自分たちを送り出したキリシタン大名・大友宗麟、大村純忠は亡くなり、秀吉の時代になって伴天連追放令が出されていた。
伴天連追放令の経緯も詳しく書かれている。コエリョとフロイスの軽率な言動を忠告する他の神父やキリシタンたちの努力もむなしく追放令がでてしまう。当然この経緯はフロイス視点の「日本史」ではわからないことだが、他の神父の資料から明らかになる。
イエズス会は日本文化に順応して布教する方法をとった。西洋文化を押し付けるのではなく、文化の融合- 日本独自の文化を尊重し、その中でキリスト教の精神を育てるという新しい試みだった。宣教師も出身や考え方はそれぞれだが、ヴァリニャーノとカブラルの日本人に対する考え方の違いも詳しく書かれている。
ザビエルは、日本人は強いし、土地が貧しい、日本の銀を求めてスペインの船が来ても餓死するだけだからスペイン人は日本に来ないでと何度も言っていた。ザビエルから30年後にきたヴァリニャーノも同様に、日本の土地は貧しく、日本人は強い、知的で理性的に判断するから征服できないし対象ではない、と何度も書いている。実際スペイン・ポルトガルは日本を征服する意思も力もなかった。外国からの侵略の疑惑は、のちの迫害の遠因となりまた侵略の恐れを巻き起こすのはキリシタン排除にはもってこいの方法となった。
西洋と日本の文化の違い、ポルトガルとスペイン、イエズス会とフランシスコ会など他の修道会との対立、秀吉のフィリピン恐喝、サンフェリペ号の座礁。ありとあらゆることが遠因となって起きた日本二十六聖人殉教。
凋落しはじめるスペイン・ポルトガルから独立し、プロテスタント・資本主義のオランダ、イギリスが台頭、日本は鎖国へ向かっていく。
終盤は4人のその後がかかれる。有馬晴信の岡本大八事件のことや、大村喜前の棄教に至った過程なども。岡本大八事件は、晴信が詐欺事件に巻き込まれて連座、江戸時代の禁教令のきっかけになったと言われているが、鍋島藩やドミニコ会メーナ神父の記録から異なる説がでてきた。
4人の少年たちだけでなく、高山右近、細川ガラシャ、田原親虎、名前も残っていないキリシタンたち。自分と変わらない同じ人間である人たちが、怒涛の時代に翻弄されながらも信念を持って生きた彼らの心の強さに感銘をうけた。
「これらの少年たちは、みずから強い意思をもってそれぞれの人生をまっとうした。」
「もし無名の無数の人びとがみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるのだろうか。なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから。」
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