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いつの間にか私たちは感染症と戦う民衆になっていた(雑記)

「人類の歴史は感染症との戦いである」

高校生の頃、受験のために購入した歴史の参考書に、そんな言葉が書いてあった。

そうは言っても、参考書に踊る「ペスト」「ハンセン病」「コレラ」「チフス」などという名詞は、医療技術のない貧しい時代の副産物に思えたし、感染病で何百万人もの民衆が亡くなったことも「かわいそうだな」程度で、どこか昔話のように感じていた。

今や、その認識はひっくり返ってしまった。テレビもネットもコロナウイルス一色である。中には「自粛警察」と言って、外出する人や感染者を過剰に糾弾する者も出てきた。自分や家族を守りたいという気持ちや、日々の不安やストレスが、他者への攻撃に形を変えるのだろうか。

そんな歴史的パンデミックの中で、日本を含め世界中が右往左往している。常に穏やかに過ごせるほど、器用な人ばかりじゃないのかもしれない。

コロナ渦の今を生きる上で、いくつかの気づきがあった。あの時はこんなことを考えていたのかといつか読み返せるよう、ここに書き残しておこうと思う。

「買い占め」でまやかしの安堵感を得る

東京でも緊急事態宣言が出るぞ、とSNSで囁かれ始めた頃、近所の薬局へ牛乳を買いに行った。

そこで見たのは、買い物カゴに食料品や日用品をぎゅうぎゅうに詰める買い物客たち。時刻はまだ午前11時である。

それが、わたしが初めて見た「買い占め」の光景だった。その時はまだ「おひとり様一点まで」というルールも無く、誰もが無我夢中に商品をカゴに入れていた。

棚の前で、出来るだけ長期保存できそうな食品を吟味する人々。彼らの姿からは、必死に生き抜こうとする生命の尊さすら感じた。

たくさんの家族を養う主婦や独り身の高齢者は、特に不安を感じていたのかもしれない。

大量の買い物袋を抱えて帰るときには「これでうちは大丈夫」と安堵感に包まれたのではないだろうか。

たとえそれが、いっときのまやかしであったとしても。

作業机が軒並み売り切れ

旦那さんの在宅勤務が始まって、1ヶ月が過ぎた。

モニターと作業用に2台のPCを使う彼にダイニングテーブルを譲り、私は新しく机を買うことにした。しかし、いざ購入しようとすると、Amazonも楽天も軒並み売り切れだった。こんなに多くの人が作業机を求めているのかと、在宅勤務の意外な需要に気づかされる。

その後なんとか見つけたのがこちら。色もデザインもとても気に入っていて、毎日ここで作業している。小さいけど十分な大きさ。

料理があってよかった

朝昼晩で新しい挑戦ができるクリエイティブな家事は、料理しかない。外食をしなくなったため、ほぼ毎日ご飯を作っている。

思えば独身時代、出張や外食が続き、冷蔵庫に眠った野菜を何度か腐らせた。その度に野菜に申し訳なさを感じていたが、今はまるっとすべて使いきれるようになって嬉しい。

ネットに溢れているレシピたちのおかげで、料理のレパートリーもどんどん増えている。この前は心の栄養のためにチョコレートケーキを焼いた。ハッピー。自宅にこもる日々は、自分の手で生み出せるものが私にもあることを思い出させてくれた。

色んな人が色んなことを言っている

「おうち時間」「コロナは致死率が高いウイルス」「恐怖報道」「コロナは嘘」-- 。

目で見ることができず、治療薬も開発されていないコロナウイルス。我々人類は彼らについての情報がなさすぎる。そのせいか、本当に色んな人が色んなことを毎日言っている。SNSやテレビでまるで3.11の再来だ。

日々、何を信じて何を疑うべきかテストされているようで、結構キツい。緊急事態宣言が解除されたとき、コロナ論争も嘘のように収束していくのだろうか。

「感謝」以上の何かをしたい

多くの医療従事者、タクシーや運送業、お店の店員、配達員の方々。あげれば数えきれないほどの業種の方々が、今も出勤せざるを得ない。

彼らのおかげで、世界中の人が助かっているが、それを「感謝」の一言だけで終わらせてはいけない気がする。

この事態の中、毎日出勤するのは相当不安なはずだ。実際、わたしの友人や両親も外出せざるを得ない仕事をしている。彼らが十分な予防をしていると信じているが、心配で仕方がない。保証や優先的なマスク・消毒液の配布など、国やわたしのような一般市民にもできることはないだろうか。

笑いは何よりもの薬になる

起床、朝ごはん、デスクワーク、お昼ご飯、デスクワーク、夕飯、睡眠。

毎日自宅なのに楽しく過ごせているのは、いつも明るくてユニークな旦那さんと、テレビ電話やメール、SNSで繋がることのできる友だちや家族のおかげだ。毎日なんども大笑いしているおかげで、わたしは頑張れている。本当にありがたい。こんな時こそ笑顔でいること。それが何よりも大切だと知った。

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以上、ここ数ヶ月の個人的な気づきをつらつらと書いてみた。

この有事に身を置いて、もうすぐ4ヶ月になる。わたしもいつの間にか、歴史の教科書で読んだ「感染症と戦う民衆」のひとりになったようだ。

未来、子どもたちは教科書でこの世界的パンデミックを学ぶだろう。

「こんな大変なことがあったんだ」

そんなふうに子どもたちが不思議がる未来がくることを、今は心から祈っている。


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