「自分だけ楽しめない」と感じるときに大切にして欲しいこと。
先日、家族で3泊4日の沖縄旅行をしてきた。
沖縄に行くと話せば、決まってこう言われる。
「沖縄いいね!」
「楽しんできてね!」
帰宅後は、お決まりのようにこう聞かれる。
「沖縄楽しかった?」
「旅行楽しめた?」
そう言われるたびに、私は返答に困った。
居心地が悪かった。
なぜなら、私は周囲の人が思うほど
この旅行が楽しみだったわけでもない。
それに、声を大にして「楽しかったー!」と
言えるタイプでもない。
目を輝かせて「楽しんできてね」と言ってくれる人に、色々と悟られないように、「ありがとう」とだけ答えた。
家族旅行を楽しみにできないのは、変なのか?
そもそも私は一般的に「楽しい」と思われるイベントが苦手だ。
それは、一人の時間が好きだから。
もちろん旅先で楽しいこともあったし、
子どもたちの楽しそうな姿を見られて嬉しかった。
私の中で、家族旅行は
家族が楽しめていればそれでいい。
実際、子ども連れの旅行は
荷物の準備、子どもたちのお世話、片づけと
大変なことも多い。
きっと、そんな中でも「楽しむ」姿勢は大切だし、
考え方や心の持ちようで楽しめることも知っている。
じゃあ、それができない自分はダメなのか?
きっとそれは違うはずだ。
「楽しむ」ことは、よりよく生きるためのヒントにすぎない。
「何事も楽しむことが大切」というのは、人生をよりよく生きるためのヒントにすぎない。
だからと言って、無理に楽しもうとするのも違う。
世の中には、よりよく生きるための「ヒント」や「考え方」があちこちに転がっている。
私のように、完璧主義で自己否定の癖が根付いていると、自分の感じ方を否定し、正解を追い求めてしまう。
そして、それができない自分を
ネガティブに捉えてしまいがちだ。
どんな状態であろうと、そのままの自分でいい。
人の考え方の癖や、物事の捉え方は
幼少期から長い時間をかけて習慣づけられたもので、
簡単に変えられるものではない。
たとえ、正しい考え方や、楽になるヒントが分かっていたとしても、できなくて当然なのだ。
自分の考え方を変えるために頑張る自分も、よし。
頑張っても、うまく変われない自分も、よし。
もう変えられないと諦める自分も、よし。
どんな状態であろうと、そのままの自分でいいのだ。
人は過去の自分を否定しながら、前に進むことはできない。
まずは過去の自分や、未熟な自分を認めることが大切なのだ。
もし、今、「楽しい」と思えない自分に違和感を抱いているのなら、無理して「楽しい」と思う必要はない。
今の自分の素直な感情を認めることを優先しよう。