見出し画像

小説「あんぱんと弦月湯」第4話(最終話)


これまでのお話


・第1話はこちら


・第2話はこちら


・第3話はこちら



第4話(最終話)



「それじゃ……乾杯!」
「乾杯!」

 カフェ・ポート・グラスゴーで、俺はセキネコさんと静かに祝杯を上げた。久しぶりのこまごめ村エールを喉に流し込む。旨い。

「やっぱり、金曜夜のグラスゴーでの村エールは旨いですね」
「久しぶりだもんね、悠平くん」
「そうですね。この3ヶ月ほど、なかなかご連絡できなくて申し訳ありませんでした」

 俺はセキネコさんに頭を下げる。

 4年前の暦さんの個展に背中を押されて、カケルたちと開催したグループ展が、俺の道を拓いていく大きなきっかけになった。SNSで賛同してくれるクリエイターを集ったところ、俺の予想を超えた人数が集まった。そのメンバーの緩やかな繋がりを保ちながら、グループ展を積み重ねていくうちに、少しずつ俺たちの活動には注目が集まり始めた。社会課題は透明化されてしまい、なかったことにされがちな場面はまだまだ多い。それでも、今も継続してこれだけの仲間が集まってくれるということには、大きな可能性を感じている。

 俺自身もジェンダー問題に対して自分の知見を深め、思考を育成していく間に、少しずつ自分の進みたい方向を理解出来るようになっていった。俺にとっての核となったのは、〈アーティスト・イン・弦月湯〉に入居する時の暦さんとの対話だった。ジェンダーマイノリティの人々の暮らしを支えられるような製品を開発出来るようになりたい。その思いは勉強するうちにどんどん深まり、俺は思い切って1年制のアンダーウェアデザインコースがある専門学校に通うことを決めた。暦さんが言ってた貯金の重要性をあらためて思い知った。そこでは、技術と人脈を得られることが出来た。

 そして現在は、主にFtXやFtMの人々向けのアンダーウェアを開発・販売する会社「チェルアルコ」を立ち上げ、運営している。社名の「チェルアルコ」は、エスペラント語で「虹」を指す。お客様のプライバシーに配慮し、購入はオンラインで完結できるようにしたシステムは、暦さんとの対話で語っていたことそのものだ。専門学校で知り合い、公私ともに現在のパートナーとなった美鈴という女性と日々思考や対話を深めながら、新たな方向性を探り続けている。商品案内は主にInstagramでの投稿を中心としており、これは美鈴が担当してくれている。俺は毎日のTwitter更新と、週に1回noteにコラムを投稿するようにしている。会社のウェブサイトのデザインや運用も、俺が担当している。

「悠平くん、この4年ですごく変わったよね。会社を立ち上げてから、一回り大きくなった感じ」
「それは、経営者の先輩としてセキネコさんがいつも相談に乗ってくれたおかげですよ。本当にありがとうございます」

 そう、セキネコさんは会社を立ち上げるまで、うにょうにょメソメソしていた俺のケツをひっぱたいてくれた。そして今は、俺から依頼して、個人コンサルティングを3ヶ月に1回設定してもらっている。頼れる兄貴は、頼れるメンターになった。

「セキネコさんも、4号店の準備でお忙しい中駆けつけてくださって、何とお礼を言っていいか」
「いいんだよ。悠平くんに会えると、僕もやる気がもらえて嬉しいからね」

 セキネコさんも、この4年で大きく変わった。駒込にあったカフェ・ポート・ブルックリンの再建に加えて、西洋占星術やタロットリーディングも加えた多層的な個人コンサルティングの展開も始めたことによって、今ではたくさんの経営者や個人事業主のメンターとなっている。また、前々からの目標であったという海外出店に向けても、着実な一歩を踏み出したところだ。今日はそのお祝いも兼ねて集まった。

「4号店もさ、まさかこんな展開で出店できる見通しが立つなんて思っていなかったから、一番驚いているのは僕かもしれない」
「たしかに、そう言ってましたもんね」
「これからは向こうに渡っての準備も続くだろうけど、それも大きな楽しみのひとつだね」

 セキネコさんは三日月の目で笑った。俺も笑顔になる。

「それで、悠平くんはどう? ここから次の3ヶ月、どうやって過ごしていきたいって思ってる?」
「そうですね……会社としてはまだまだ大きくならなくちゃならないと思っているんですけど、同時にもっと当事者の方々の声に耳を傾けないといけないと思っていて」
「なるほどね」
「実際に使っていただいた感想とか、潜在的なニーズとか、そういうのを踏まえた上で、商品の改善に取り組んでいきたいです」
「そしたら、たとえば座談会とか開催してみるのはどう? プライバシーに配慮した上で開催できるように、オンラインの方がいいかもしれないけれど」
「座談会か……!」

 思いもよらないアイデアに、目が丸くなった。

「あと、周年パーティーにご愛用くださっている方々を少人数の限定でご招待するというのも、ありかもしれないね」
「ああ……もしかしたら、その方がいいのかもしれないな。すごく自然にお誘いすることができるし。その時には、グラスゴーさんをお借りしてもいいですか?」
「喜んで!」

 そんなわけで、ご愛顧くださっているお客様向けの「チェルアルコ」の2周年記念パーティーをカフェ・ポート・グラスゴーで開催することとなった。パーティーまでは3ヶ月を切っていたが、美鈴と手分けして準備して、なんとか開催まで漕ぎ着けることができた。

「悠平、久しぶり!」

 生成りのジャケットに白いTシャツ、ベージュのパンツで現れたのは暦さんだ。

「暦さん、お久しぶりです」

 俺たちは堅い握手を交わす。会社を立ち上げて、美鈴と暮らすようになってから、俺は〈アーティスト・イン・弦月湯〉を旅立った。俺がいた1号室には、今は油絵の学生さんが暮らしているらしい。

「今日、白いTシャツだから、チェルアルコの透けない下着にしたんだよ」
「ありがとうございます!」
「こういう透けない下着シリーズ、需要高いと思うから、今後のラインナップも楽しみにしてるね。これ、お祝いに」

 暦さんは大きなダリアの花束と、木村屋の袋を差し出してくれた。

「美鈴ちゃんと食べて。木村屋のあんぱん、全種類入ってるから」
「すっげえ!! ありがとうございます!!!」

 思わず大声が出てしまった。隣にいた美鈴と暦さんが、顔を見合わせて吹き出す。

「悠平、やっぱ面白いわ! 変わらないね」
「すみません……」
「ねーちゃんと、壱子さんからも、くれぐれもよろしく伝えてねと伝言預かってるよ」
「嬉しいなあ。皆さん、お元気ですか?」
「おかげさまで。遠くなっちゃったかもしれないけど、また弦月湯にもふたりで遊びに来てよ」
「行きます!」

 俺よりも先に美鈴が答える。一緒に暮らす前に何度も足を運んだ美鈴も、弦月湯が大好きになった。

「今度、籍を入れるのをきっかけに、弦月湯の近くに引っ越そうかとも話し合ってるんですよ」
「そうなの? 嬉しいなあ、待ってるよ。入籍したら、お祝いしなくちゃね」
「ありがとうございます。またお知らせします!」

 そうしているうちに、10人ほどのお客様がお揃いになった。今回はあえて少人数にして、お客様同士の深い交流も図れるように設計した。なので乾杯をしたあとは、自由な交流会にしている。その中で、斎藤さんという方から話しかけられた。

「一条さんにずっとお会いしたかったので、とても嬉しいです」
「ありがとうございます。斎藤さん、立ち上げてすぐの頃からご愛用くださってますよね」
「そうですね。実はもともと一条さんのTwitterのフォロワーなんですよ、私。noteもフォローしてます」
「そうなんですか!」
「はい、この〈オクタヴィアン〉ってアカウントでフォローさせていただいています」
「オクタヴィアンさん! あなたが、オクタヴィアンさんでしたか!」

 斎藤さんは照れたように笑う。オクタヴィアンさんは、俺がジェンダー問題を発信し始めた時からの相互フォローさんで、様々な意見をSNSでやり取りしてきた方だ。

「じゃあ、俺がチェルアルコを立ち上げるときも、その前の専門学校に通ってたときも、弦月湯でグループ展始めたときも」
「ずっと見守って、応援してきました。だから、今日はめちゃくちゃ嬉しいです。一条さん、本当におめでとうございます」

 斎藤さん──長年見守ってくれて、コメントで励まし続けてくれていたオクタヴィアンさんの言葉に、俺の視界は滲んだ。目にぐっと力を入れて、涙がこぼれないようにする。

「俺の方こそ、オクタヴィアンさんにずっと励ましてもらってばかりで。なんとお礼を言っていいか、わかりません」
「とんでもない。一条さんが熱い思いを持って動いてこられて、私たちのために思いを形にしてくれたことが、どれだけ嬉しかったか。チェルアルコ開業の報せをnoteで読んだ時は、嬉しくて、ひとりで祝杯上げました」
「そうでしたか……」
「今日は、こんなに多くの仲間と一緒に乾杯できて、とても嬉しいです。また、こういう交流会を開いてもらえたらいいですよね」

 オクタヴィアンさんの言葉を聞いて、俺の中に閃きが走った。

「こういう交流会、定期的にあったらいいと思いますか?」
「そうですね。私としては、それはとても嬉しいことです。当事者にとってもそうですし、一条さんのような賛同者、アライの方々と繋がれることも、とても嬉しいことなんですよ」
「そっか……」

 その後も皆さんといろいろな話をするうち、交流会を望んでいる人が多いことを知った。パーティーがお開きの頃には定期的に交流会を開催しようということを心の中で決めていた。

 皆さんをお見送りした後、カウンターに入ってくれていたセキネコさんが、美鈴と俺をねぎらってこまごめ村エールを注いでくれた。

「悠平くん、美鈴さん、あらためておめでとう」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」

 パイントグラスで乾杯する。なみなみと注がれた黄金色の村エールは、やっぱり旨い。美鈴も目をつぶって、村エールを堪能している。笑みが浮かぶ。

「セキネコさん、お支払いするんで、ポテトフライお願いしてもいいですか?」
「いいよ。悠平くん、チリソースとマヨネーズだっけ?」
「それで! お願いします」

 手早く準備して、ポテトを揚げ始めるセキネコさんの滑らかな動きに見入る。美鈴がぽつりとつぶやいた。

「あたしたちの仕事も、この揚げられるポテトと同じなのよね」
「ん?」
「食べたいと願う人たちがいるから、初めてポテトは揚げられるわけじゃない? それと同じで、こういうものが欲しいと願う人たちがいるから、あたしたちの作る製品も受け入れられている」
「確かに、そうだね」
「今日初めて、その生身の声に触れられることができて、これからどういうポテトを揚げていきたいかが分かった気がする」
「うん」

 俺は全身で頷いた。

「美鈴は、どんなポテトを揚げていきたいって思った?」
「あたしは、暦さんが言ってくれた〈透けない下着シリーズ〉をもっと出せたらいいなあ、って思った。女性の体を持つ側にしてみると、下着が透けるってとても恥ずかしい問題なんだよ。だから、どんな色だったら透けないか、もっと研究を重ねて、製品の幅を広げられたらいいなあって思った」
「なるほどね」
「そしたら、白いアウターも、もっと自由に着こなすことができるしね。おしゃれの幅が広がるって、嬉しいことだよ」
「そうだね。それは、今後の最優先課題として考えよう」
「悠平は? どんなポテトを揚げたいと思った?」

 俺は、村エールをぐっと飲む。

「俺はね、こういう交流会を定期的に開催したいって思った。実際にお話聞いてみると、そういう声も多かったしね」
「それはあたしも賛成。ぜひ、定期的に開催していこう」
「うん」

 目の前にチリソースとマヨネーズのかかったポテトが置かれた。

「はい、おまちどうさま」
「ありがとうございます、セキネコさん」
「いただきます!」

 美鈴は早速、フォークを伸ばしている。そんな美鈴を見て笑いながら、俺もフォークを取る。

「セキネコさんは、これからどんなポテトを揚げていきたいですか?」
「僕? そうだね……やっぱり今、この瞬間みたいに、みんなに美味しいものを食べてもらいながら、元気になってもらえるのが一番だよね。それを、日本だけでなく、世界のあちこちに広げていきたい」
「かっこいいなあ」
「今度の4号店もさ、海外出店って僕にとっては初めての挑戦だけど。それでも、美味しいものを食べた時の笑顔ってのは万国共通のものだから、そこを見失わなければ、どんな時も大丈夫だって信じているんだ」
「目の前の人の笑顔を見失わない、か……」
「うん。それが大事なことなんじゃないかな。悠平くんもさ、暦さんとの最初の対話が、ここまでの原動力になっているわけだし」
「そうですね」

 そうだった。あのとき、暦さんが心を開いて、体当たりでぶつかってきてくれたから、いまの俺がある。歩んでこられた4年間がある。美鈴とも出会えたし、チェルアルコも立ち上げられた。

 さっきのオクタヴィアンさん──斎藤さんの言葉がよみがえる。


──「……一条さんが熱い思いを持って動いてこられて、私たちのために思いを形にしてくれたことが、どれだけ嬉しかったか。チェルアルコ開業の報せをnoteで読んだ時は、嬉しくて、ひとりで祝杯上げました」

「今日は、こんなに多くの仲間と一緒に乾杯できて、とても嬉しいです。また、こういう交流会を開いてもらえたらいいですよね」──


 こうした声が、俺たちがこれから進む道を示してくれる。照らしてくれる。ときに、こうした声は透明化されてしまい、なかったこととして処理されてしまいがちになる。でも、そこで踏みとどまることが大事なんだ。私たちはここにいる。ちゃんと、ここにいるんですよ。そうやって声を上げ続けることが大事なんだ。 

 と、ポケットに入れていたスマホが震えた。取り出す。カケルからのLINEだ。久しぶりだ。

『久しぶり。元気? 今度、パレスチナで撮ってきた写真を集めた本を出すことになりました。よければ読んでもらえたら嬉しいな。また弦月湯で集まろうね』

「すげえ」

 思わず声が洩れる。

「どしたの?」
「カケルから。パレスチナで撮ってきた写真を集めた本を出すことになったんだって」
「すごい!」
「また弦月湯で集まろうって話になったよ」
「よかったね」

 美鈴は微笑み、俺の背中を優しくトントンと叩いてくれた。俺も笑顔を返す。

 俺は残っていた村エールをぐっと飲み干した。祝杯だ。カケルのために。セキネコさんのために。そして、俺たちの未来のために。

「セキネコさん、村エールもう一杯!」




(完)




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?