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本の感想 │ 批評はしない、と決めている

本を読んで、その感想をX(旧Twitter)に綴っている。
それは、過去に読んだ本を記録したいから。
何を想い、何を感じたか、それを言語化することが昔から好きだった。

そして、再読したときに過去の感想を読み返して、捉え方がどう変わったかを知ることで、自身の置かれた環境や心境の変化を知るのもひとつの楽しみになっている。

私が綴っているのはあくまでも「感想」
思ったこと、感じたこと、それだけ。

だから特別なルールはないけれど、ふたつだけ心がけていることがある。

❶ 批判はしない。
❷ 批評はしない。

❶の理由は単純。
Xのアカウントを「公開」にしているから。
誤字脱字が多い、言葉の意味を間違って使っている、共感できない、そもそも設定が破綻している……なんて作品に出会うこともあるけれど、全世界にそれを発信しようとは思わない。

自分の好みが偏っているのを知っているから。
本を1冊作るのにどれだけの人が関わっているか知っているから。
書くことの大変さ、苦しみを知っているから。

完成度を求められる世界で、甘い考えなのはわかっている。
それでも「1冊の本を書き上げた」ということを私は称賛したい。
だから批判は心の内にしまって、よかったところを見つけ、伝えられる人でありたいと思っている。

❷の理由はきちんと説明したい。
「批評」がどれだけ難しいことなのか、それを伝えたいから。

批評とは、ある事物の是非・善悪・美醜などを指摘して、総合的かつ論理的にその価値を判断し、論じること。

この広い世界で、長い歴史のなかで、たった数十年しか生きていない私たちに物事の是非・善悪・美醜を公平な目で判断して論じることができるのだろうか?

価値があるか、価値がないか。
クリエイティブの世界に身を置いていると、そんな風に批評されることが日常になる。
そのなかで狭い視野で物事を見て、好き嫌いと是非をはき違えて、さも正しい意見のように論じている審査員や評論家をたくさん見てきた。

その結果、評価されるべき作品が埋もれ、売れるべき商品が消えていく。

決して審査員や評論家を責めたいわけではない。
どんなに実績がある人でも、ある物事のすべてを把握して比較することはできないし、好き嫌いを排除して公平な目で判断するのはそれだけ難しい、ということを言いたい。

SNSが普及し、一個人の言葉が全世界に気軽に発信できるようになった。
思いがけず拡散されることもある。
審査員や評論家の意見よりも大きく取り上げられることだってある。

これは「感想」か「批評」か。
後者であれば総合的、論理的に判断しての言葉だろうか。
自分だけの主張なのに主語が大きくなっていないだろうか。
全世界に発信すべき言葉だろうか。
……と、視野が狭くなっているときほど一呼吸おいて考えてほしい。

好き嫌いは自由。
表現するのも自由。

でも、言葉ひとつですべてが変わることもある。
どうせ変わるのならいい方向に変わってほしいから。
世界のすべてを知ることはできないから。

私はこれからも「感想」だけを綴っていく。


~余談~

ある夜のちょっとしたつぶやきが拡散されていた。
140万回以上表示され、いいねは2万件以上、リポストは1,900件以上。
そして、次の日には多数の通販サイトからその本が消えていた。
炎上して出版停止になったのではない。
「その本が気になる」「読みたい」と、2009年刊行の作品が2024年に再び注目されるきっかけが私のポストだったそう。

注目されるは自分の本がよかったな……
なんて思ったりもしたけれど、出版業界と書く人たちの明るい未来を願って、私はこれからも出会ったたくさんの本とそのときの気持ちを記録していきたい。

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