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聞かれていないことをアピールする

mamaのことが苦手だと思う理由はいろいろある。
わたしが子供の頃、叩いたこと。馬鹿にしたこと。
外に寝せたこと。ほかにもいろいろ。

前々から嫌だった面の1つが
自己アピールばかりすること。

知り合いに対して、相手から聞かれてないのに
「私はこうだった」の自慢話が多い。

内容は、若い頃、男性にもてた話や
知人や親戚の男性に親切にされ、チヤホヤされたことの自慢。
mamaが高校生の頃、先生から絶大な信頼を得ていたこと。など。

最近では、夫はすでに亡くなっているし
子供は2人とも良い大人で独立しているから
話題は孫の自慢。

その内容は、
孫の誰々が〇〇〇〇に就職した。
孫の誰々は〇〇〇〇の資格試験に受かった。
孫の誰々は大学は〇〇〇〇に行っている。
孫の誰々はバイト先の店長にひどく気に入られている。

そんな話題を、
孫を全然知らない知人に対して、自慢気に話す。

相手には何も聞かれていない。
話題にもあがっていないのに、急に自慢に走る。

相手は、調子を合わせ
それは良かったねと、なかば大袈裟に喜んでくれたりして。
調子を合わせてくれているのが、わたしにはわかる。

よその孫の話を延々とされても
相手は面白くもないだろう。
mamaって、そういうことに配慮ができない。
ただ自慢する。

正直、その必死な感じがダサいのだ。
会話のキャッチボールをする感じでもなく
なんかかっこわるい。
スマートじゃない話し方。

自分の自慢話が足りなければ、子供。
子供の自慢話が足りなくなれば孫の自慢話。

自慢話はもういいって。といいたいけど
言えないわたし。
ヘタなこと言えばヒステリー起こす。
もう面倒でしかたがない。

愚痴でしかないこの文章。いやなわたし。
でも、ここでこうやってまた吐き出す。

会話のキャッチボールっていう表現っていいと思う。
でも、それができない人はいっぱいいる。
ひとりよがり。
自己アピールばかりしたい人。
必死な人。
わたしのmamaの会話の中心は
人の批判と自分自慢。もう必死すぎて怖い。

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