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のんびりするには、訓練が必要。

今日は夜9時半までミーティングの予定。なので午後から出勤すると決めて、10時までゆっくり寝て、今おうちでごろごろしています。

こんな風に「のんびりする」ってことができるようになった自分がうれしくて、「あーこれはnoteに記しておこう」となり、書いています。

「もっともっと頑張らなければ」と常に思っていて、どんなに働いても「まだ私はぜんぜん頑張れていない」と感じてしまうタイプの私みたいな人間は、のんびりするという機能がそもそも備わっていないなぁ、と思います。

私はそれに数年前に気付いて(子どもの頃から周りに何度も言われていたけどピンときてなかった)、ちょっとずつ訓練して、今は少しできるようになったのです。

最初はとにかく「頑張りすぎている」という自覚がなくて、周りの人の「ゆっくりしたら?」「もう少し休んでもいいんじゃない?」などの言葉が本当に全く1ミリも意味がわかりませんでした。「いやいやいや、まだまだアレもコレもソレもできてないし。そもそも夜ちゃんと寝てるし。」としか思えませんでした。

変化の兆しは、精神的なしんどさとの相関関係に気づいたことでした。

残業3時間くらいしてしまった帰り道、「なんでこんだけしか仕事進まないんだろ」「なんで今日あの人にあんなこと言ってしまったんだ」「ああ、ほんと私なんてダメ」みたいな脳内反省会が始まって。

そういう脳内反省会はいつものことなのですが、この日の私は少し冷静でした。「ちょっと待って、私けっこう長時間、張り詰めて手を抜かず仕事した。それなりのアウトプットもした。確かにあの人にちょっとキツイこと言ったけど、間違ったことは言ってない。なんでこんなに罪悪感と自責感に苛まれるの?」そんな風に感じるもう一人の私が出現しました。

それで思い至りました。「私にとって、自責感や罪悪感は『頑張りすぎちゃった』時に心が出してくる『もう休んでー!』のサインかも」、と。

確かに私は、自責や罪悪感に至る前に、眠いとか、頭が痛いとかお腹が痛いとか、イライラするとか、そういう不調に見舞われるのが日常で。でも「仕事なんだからそんなの堪えてやるしかない」とナチュラルに不調をスルーする暮らし方をしてきたのです。

これもしかしたら、お腹痛い時に横になったり、眠い時にお昼寝したり、イライラする時に美味しいもの食べて休憩したり、みたいな「自分の不調サインをキャッチして、早めに自分をよしよししたら自責感や罪悪感の到来を減らせるかも?」という仮説が立ちました。

そこから私の数年間の訓練(実験)が始まり、今に至るわけです。だーいぶ、早いうちに気付いて自分をよしよしするのが上手くなりました☺️

明らかに罪悪感や自責感は減りました。脳内反省会も減りました。イライラする回数も減ったので、人にキツくあたる場面も減りました。仕事の質も上がりました。

ただ、軽躁モードに入ってしまうと、のんびりするなんてことは不可能なのでもう手がつけられないのですが(笑)。少なくとも、自責や罪悪感みたいな「鬱に入る前の最初のサイン」に気付いて、早めに手当てしてほんとに鬱転するのを防ぐ、みたいなことはできるようになりました。

喉がいがいがするなと気づいて、喉アメ舐めて水分とって早めに寝たので、風邪ひかずに済んだよ、みたいな感じです。

それでもまだ、どうしても頑張るのが好きだし、頑張ることに「依存してる」ところがあるので、これからも「のんびりする訓練」は続きます。


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