のださよ✳︎弱さを公開して生きてみています。

心も身体も弱いけど楽しくやってます☺️17歳で国際協力を志す→22歳で初スタディツアー→…

のださよ✳︎弱さを公開して生きてみています。

心も身体も弱いけど楽しくやってます☺️17歳で国際協力を志す→22歳で初スタディツアー→教育系企業→フィリピン在住2年→28歳で双極性障害2型に→NPO代表@京都 |いまは寛解 |LUNASEAが原動力| 野田沙良 @認定NPO法人アクセス

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弱くてもよくない?って思えるようになった自分を応援するためにノート始めます。

キラキラしてるのは表面だけです笑こんにちは。 「弱さが強み」の国際協力NGOスタッフ、のださよ(野田沙良)です。京都とフィリピンを拠点に活動する認定NPO法人アクセス(https://access-jp.org)で、事務局長をしています。 「NGOで事務局長してます」なんて言うと、パワフルに世界中を飛び回って、エネルギー無尽蔵なキラキラキャラを想像されがちです。実際確かに私は1年のうち2ヶ月はフィリピンで過ごし、数十人のボランティアやインターンと一緒にプロジェクトを回し、精

    • 当事者の私が世界双極性障害デーに思うこと

      3月30日は #世界双極性障害デー でした。 私も双極性障害もちです。 薬やカウンセリングの活用、暮らし方の工夫、職場や家族の理解のおかげでほぼ寛解(激しい症状が出なくなっている状態)しています。 でも自分に合った回復法をつかめる人はまだすごく少ない!周囲の理解は本当に大きな力になります。なので、私のこれまでについてコンパクトに書いておこうと思います。 発症から診断まで私は28歳でうつ症状が酷くなり精神科を受診しました。最初に処方された抗うつ剤はほとんど効果がなく、死に

      • しんどかった7年前の私に伝えたい、頑張らない方法。

        私がSNSやnoteでけっこう本気な投稿をするようになったのは2014年くらいからだと思う。 最初は年一回とか。 それが数ヶ月に一度になり。 今はほぼ毎月のように書けるようになった。 (noteは更新滅多にできてないけども) 私にとって本気で想いを言葉にするというのは、 2013年以前は「不可能」な作業だった。 双極性障害というメンタルの障害のせいで、 うまく考えをまとめられなかったから。 死にたい・消えたいなどのうつ症状、 頭の中にもやがかかったようで物事を 深く考え

        • 心身ともに限界がきそうな時の「安全な倒れ方」

          めちゃくちゃ久しぶりに更新します。 倒れるサイクルが早くなっているエネルギーを前借りして猛烈に活動し、限界がきたら鬱状態になる。それが私が抱える双極性障害2型です。自分の信念を貫き楽しみながらフル稼働しているうち、気づいたら予定が詰まりすぎてぶっ倒れてしまうというのを10年以上、繰り返しています。 先日、お盆明けにまた倒れてしまいました。 コロナ禍が始まってからは、数ヶ月に一度のペースで心の電池が切れている感じです。電池が切れたら1〜2週間何もできなくなって(気力がゼロに

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        弱くてもよくない?って思えるようになった自分を応援するためにノート始めます。

          「自分をいたわる」の意味がよくわからなかった私は、こう変わった。

          友人の投稿で思い出した。先日、人間関係で傷ついたという友人が、SNSでこんな投稿をしていました。 人間関係に傷ついた時、1番にするといいのが、自分をいたわる事なんだと聞いたのだけど、「自分をいたわる」っで具体的にどうするのがいいのかな? 「いたわる」ってどうすることか?そういえば、私も以前はよくわかりませんでした。 ワーカホリックで、休みなく仕事(NGO活動)に没頭する私に、「もっと自分を大切にした方がいいよ」と声をかけてくれる人たちも時折いましたが、当時の私には本当に

          「自分をいたわる」の意味がよくわからなかった私は、こう変わった。

          双極性障害のおかげで楽に生きられるようになるまでのこと

          友人から「最近、自分も双極性障害かもって心配なんだけど、さよはどういう経緯で障害だと気付いたの?」と聞かれました。彼女への返信を書きながら、「これ、知りたい人が他にもいるかも」と思ったので、まとめてみました。 死にたいと思い始めたのは中学生の時私は、小学生の時まではすごく明るく、クラスの人気者グループに所属する活発な女子でした。でも中学に入る前から少しずつ周りの目をすごく気にするようになり、それに伴い「自分は嫌われているのでは」「あんなこと言わなきゃよかった、消えたい」など

          双極性障害のおかげで楽に生きられるようになるまでのこと

          しんどくても休み方がわからなかった私、自分ケア訓練中。

          先週から体がズタボロでした先週から寝起きが悪い日が続いていて。胃もたれ胃痛が常態化していて。倦怠感もひどいし、時々金縛りや動悸、呼吸困難も。(体からの「弱ってるよサイン」のオンパレード!) そしてついに、昨日はネガティブ妄想が止まらなくなった。「こんなに頑張ったのに、私は理不尽な扱いを受けた!」という記憶ばかりがフラッシュバックして。 なので、パートナーから「2、3日休んだら?」と提案された。 という訳で、不調の芽は早めに摘もうと、今日は有給休暇とりました。 大好きな

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          精神科医に絶望した患者(私)が、死ぬまでにやってみたいこと。

          「医者は助けてくれない」という絶望最初に精神科にかかったのは2008年のこと。慣れない責任ある仕事に追い回され、疲れ果てていた頃のことです。上司のふとした言葉がきっかけで、私の心のしんどいメーターが限界に達してしまったようで、涙が止まらなくなってしまいました。結局その日は、眠りにつくまで9時間泣き続けた私。それを見ていた友人が「マジでヤバいから精神科で診てもらいな」と勧めてくれたからでした。生まれて初めての精神科受診でした。(あの時の友人にはほんと、感謝) 最初は「病院に行

          精神科医に絶望した患者(私)が、死ぬまでにやってみたいこと。

          自分の弱さを否定して、なかったことにして、気合いで乗り切るの、やーめた。

          憧れの人は「風の谷のナウシカ」でした。しんどい 疲れた もう無理 逃げたい 消えたい そういうネガティブ感情を押し殺して、心の中にため込んで無理してても自分で気づかない、みたいな生き方を35歳くらいまでしていました。 そういう自分が嫌いじゃなかったし、それでいいと思っていたし、いつも「強い」「元気な」自分でいたかったのですよね。 憧れの人は「風の谷のナウシカ」で、ああいう強くてしなやかで包み込むような人になりたいと思っていました。 たけど、もうその憧れは手放しました。

          自分の弱さを否定して、なかったことにして、気合いで乗り切るの、やーめた。

          のんびりするには、訓練が必要。

          今日は夜9時半までミーティングの予定。なので午後から出勤すると決めて、10時までゆっくり寝て、今おうちでごろごろしています。 こんな風に「のんびりする」ってことができるようになった自分がうれしくて、「あーこれはnoteに記しておこう」となり、書いています。 「もっともっと頑張らなければ」と常に思っていて、どんなに働いても「まだ私はぜんぜん頑張れていない」と感じてしまうタイプの私みたいな人間は、のんびりするという機能がそもそも備わっていないなぁ、と思います。 私はそれに数

          精神疾患もちだからできるNGO活動をさぐる日々(動画あり)

          もともと思春期から鬱っぽくなりやすかった私。責任感が強すぎる&ワーカホリック(仕事依存症)が重なって、2008年にガチ鬱を発症しました。 今の職場である認定NPO法人アクセス(https://access-jp.org)に2017年に入職して、ほぼ一年が経った頃でした。 初めて精神科を受診して。 数年後には、双極性障害2型だと、診断が変わり。薬も変わりました。でも、なかなか「元の自分」に戻れず、軽躁モードで働きまくったり、死を考えるような鬱状態になったりを繰り返した6年

          精神疾患もちだからできるNGO活動をさぐる日々(動画あり)