見出し画像

ハローハロー、一方通行応答ナシ

今日も今日とて、家事して育児して仕事して、1日が終わる。

そして、ふと思う。
わたしは今日誰と話した?

娘。夫。バスの送り迎えのあいさつ。

以上。

子どもが生まれて、仕事を辞めて、在宅の仕事になって、めっきり人と会話する機会がなくなった。
いや、娘を介した会話はたまにある。ママ友?でもそれって、娘ちゃんのママとしてのわたし。

わたし、は一体どこに行っちゃったんだろう。

お喋りはもともとそんなに好きでもないし、人と四六時中一緒にいたい訳でもない。家にいるのも苦ではない。

それでもやっぱり、わたしをわたしとして見てほしいときがある。

これが好きだな、とか、あのランチ行こうとか他愛もない会話をしたいなあ。わたし、の好きなもの。家族のじゃない。わたし。

そういえば、当たり前と言えば当たり前だけど、ご飯もわたしが食べたいものを食べることがなくなった。
娘が食べられるものを、家でも、外食でも探す。それはとても幸せ。大好きな娘が、少しでもおいしくご飯を食べてくれたら嬉しい。本心。

でもそんなことをしていたら、わたしは何が食べたいかわからなくなった。

お昼に、好きなものを買おうと思ってスーパーに行く。お弁当。
ん。いらない。
コンビニスイーツ。んー。ま、食べなくていいや。

わたしは、わたしがわからなくなる。
好きなものは何だっけ。好きなことは何だっけ。

だからわたしは、わたしを探すために言葉を発することにした。
わたしはここにいるんだよーって小さな声で。
だから、ここにいるのは割と素のわたし。
いつもニコニコしてママやってるときでもなくて、誰かの家族としてじゃなくて、いいことばっかり言ってるんじゃなくて、少しダウナーで自分の根本を作ってることを書いている。だけ。
それってとっても楽しい。

ここだけの話。たまーにね、SNSがちょっぴり寂しくなる、ときがある。
大概が一方通行だから。

何か書きたくなって、言葉を零したくなって、思考を吐き出したくなって。
twitterしかり、noteしかり、徒然なるままに、おもむくままに。

その書きたい欲求は、いつもなら誰に読まれなくてもいい、自分が書きたいだけだからと心底思っているのに、ごくたまに、誰かに届けばいいと願ってしまう自分がいる。

そしてそんなときに綴った言葉は、大抵みっともなくて、後から消したりするのだ。

でも、そういうのもわたし。

わたしなんだ。

しょうもないのも含めてさ。ね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?