良かれと思って行うことが、相手にとって最善とは限らない
#いま始めたいこと
自分が大事にしたいものに自覚的になる
夫と九州を電車で旅しているときのできごとです。
重たい荷物を背負って歩いたあとだったことと、ガラガラの車内だったので4人ボックス席にふたりで座り、荷物を向かい側の席に置きました。
何駅か進むと人が乗車してきました。
この時点の乗車率は20%ほど。
夫が「荷物を上の棚に載せようか」と聞いてきたので「上に載せるの大変だから、必要になってからでもいいんじゃない」と伝えました。
夫が「余裕だな笑」と呟いたので、夫の中で余裕がない=慌てている気持ちがあるんだなと感じました。
わたしの感情は、疲れた、リラックス、大丈夫だ。ニーズは、スペース、安心感、自己信頼。
必要な人が表れたらいつでも荷物を移動する気持ちでした。
だけど必要かどうか分からない状態で、頑張らなくてもいい…と思ったんです。
夫は周囲の目が気になったみたい。
ニーズは秩序や自己価値の承認かな。
ちなみに以前のわたしは、かなり周囲の目を気にしていました。
だから荷物をデーンと置いてボックス席を占領している人を見たら、わぁ、お行儀悪っ…て思ったと思います。
自分を大事にするようになり、周囲の目は少しずつ気にならなくなりました。
だけどわたしと夫、どちらのニーズが正しいも間違いもなく、大事にしたいものが違うだけ。
乗車率60%ほどになって、夫は自分の荷物を膝の上に乗せました。
ボックス席の横に女性が立っていたけれど、その女性は夫が空けた席には座らずに、降りるまで立っていました。
電車を降りた後、「必要だろうと思ったことが、相手にとって必要かどうかは分からないもんだ」と夫が笑いました。
この経験、わたしも違う場面で同じ気づきがありました。
それは旅行から帰宅して冷蔵庫を開けたとき。
留守をしていた息子のために作ったおかずが、全部残っていたんです。
もぅ、ショックと笑いと…。
だからこそ、自分が何を大事にしたいのか。
そして、相手へのリクエスト=良かれと思ってすることは結果を手放すことが大事なんだって改めて気づきました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?