人生1

1997年
私は冬に生まれた。
寒さの中、何を思って生まれてきたんだろう。
テンプレの祝福を受けて産声をあげたのだろうか。
私は生まれてしまったことが悲しくて泣いていたんだと今思う。
のちにあの(皆さんご存知)虐待おじさんな父が私が生まれた当時、涙を流していたとフィリピン人の母から聞いた。
父はきっと取り返しのつかないことをしてしまったことを悔いて泣いていたんだと思う。

父は私はあまり泣かない子だったと言っていた。

200?年
多分3,4歳の頃だと思う。一番古い記憶だ。
私は独りぼっちのボロアパートでおジャ魔女どれみのおんぷちゃんがプリントされた飴の包装を破いた。するとコロンと飴が転がっていった。おんぷちゃんは紫だからブドウ味だ。私はなぜかブドウ味がずっと好きだった。だから残念に思ったけど、拾って食べてはいけないことは教え込まれていたようで私はそれを袋に戻して捨てちゃったのかな?覚えてない。
その頃から父、母不在で、もちろんパチスロに行っていたんだと思う。

200?年
私は幼稚園に入った。
多分幼稚園から帰ってきて、父の事務所の周りを走り回っていた。そしたら父が私の名を呼んでた。怒号だったから急いで戻った。
父はカンカンになぜか怒っててなんか怒鳴ってた。
そして押し倒されたんだと思う。次の瞬間には私はコンクリートの上で俯せになってて父にその背を踏みつけられてた。その間にも父は何かを怒鳴っていた。私はコンクリートの地面をぼーっと見ていた。
痛みとか怖いとか何も感じなかった。

私は夜に寝室の天井を眺めてる。それを天井からなぜか私が見ている。
そんな映像がなぜか頭の中にある。寝ている私の右か左の腕は骨折していて、腕を曲げたまま寝ようとしていたんだと思う。
次の記憶は比較的鮮明。幼稚園で骨折した腕を固定したままベッタリしたノリを使って何か工作をしていた。先生と一緒に。二人っきりだったから多分自由時間に遅れてる私に付き合ってくれたんだろう。
それから町の整骨院でボキッてされて一瞬で治された。
泣かなかったと思う。びっくりしてポカンとしてた。

よく転ぶ子だった。よく転んで慣れたように職員室まで行って治療されてた。膝は今でも黒い。歩き方がおかしかったんだけど治らないまま小学生中学年までずっと転んで膝を血だらけにしていた。

ブランコが好きだった。幼稚園でもブランコは人気遊具で何回も並んで乗っていた。
家から早朝に聞こえる謎のキィーキィー音を純粋に「幼稚園のブランコの音がここまで聞こえる!」と本気で思っていた。

幼稚園の制服のまま(制服つってもそんな上等な物じゃなかったけど)座布団に座ってただひたすらテレビを見ている。
そんな自分がなぜか横から見える。
誰の視点なんだろう。両親はパチスロに行ってて閉店するまで帰って来ない。誰もいないはずなのにね。おかしいね。
きっと同じ日々を過ごしてきたからこの頃の記憶はこんなもんだ。

ゲームボーイを持っていた。何台か買い替えたと思う。
ポケモンの緑をやってた。タイプ相性とかわからないからカメックスの悪あがきで殿堂入りした。何回かそうして遊んでいた。

やっぱ障害者なんでしょうねぇ。トイレのときお股を拭かないガイジだったんですよ。なんでか本当にわかんないです。男子みたいにピッピってして終わり!みたいなノリでパンツを履くんです。そしたら女の子はね、ジワァってパンツに染みができるわけですよ。その黄色い染みをよく怒られてましたね。でも何回怒られてもわからないんですよ。それにいつも両親不在ですし、拭かなきゃいけないこと、学習する機会がなかった。小学校低学年までその調子でした。
まずい、怒られる、と思ってパチスロから親が帰ってくるまでにこたつでション便臭いパンツを乾かすなどの奇行もしましたね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?