本とJリーグ

以前、本を出す過程で「嬉しい瞬間」というのが何か所かあって、その一つが「ゲラが届く時」ということを書いた。その後もいくつかそういう過程を経て、見本が手元に届いた時というのも、かなり大きい「嬉しい瞬間」だ。

手持ち

ここまでの段階で、すでにゲラとか表紙カバーのデザインは何度も見ている。修正されていく過程も、知っている。しかしそれは、あくまで平面(紙や、PC上のデータ画面)で見ていたもの。
それがはじめて立体物として目の前に現れるのだ。この実感は大きい。
「ほうほう、手触りはこういう感じなのか」
「ああ、こういう厚みがあるのか」
など、「モノ」としての本を感じて、撫でたり、裏返したり、重さを確かめたり、ページをペラペラめくってみたりする。「紙の本」の物理的な面を楽しんでいるのだ。

古くからの友人で編集者の関智さんが、以前こんなことを言っていた。
「雑誌とか新聞で書影を紹介する時、正面から撮った写真を載せる場合と、斜めから撮った本の厚み込みの写真を載せる場合がある。厚みを意識した写真を載せている記事を見ると、本の魅力がわかっている人だなと思う」
たしかに!……と思った。斜めから撮ると本の正面はキチンと見えない。それはマイナスかもしれないけど、その代わり厚みを感じることはできる。つまるところ「本の魅力とは厚みだ」ということなのかもしれない。本屋さんでは背表紙で本を探す場合も多いから、その時の役にも立つしね。
こんなことを言うと、きまって、
「だから紙の本はかさばってしょうがないんだ。電子書籍の方が優れてる。紙の本にこだわってるのは古い価値観だ」
という意見が出る。と同時に、そういう電子書籍派への世代的・情緒的反論を声高に主張する紙の本派も現れる。

ここでぼくは唐突に、Jリーグ誕生時のことを思い出すのだ。
「え? なんで本の話でサッカーのJリーグ?」
と思うだろう。ぼくだって、ちょっとこれは牽強付会かな…とは思う。けれど思い出してしまったんだから、しょうがない。このまま続けてみる。
Jリーグ誕生時の熱狂(1993年)は、すでに若い方にはわからないだろう。が、当時を知る人は憶えている。あの時は「スポーツの新時代がやって来た!」「これからはサッカーだ!」…という空気が凄かった。と同時に、その反作用として「プロ野球は古い」というネガティブイメージが生まれたのだ。そのせいで、
「あなたはサッカー派? 野球派?」
という質問がよくあった。すると、
「野球なんてオヤジ臭い。ダサい」「野球をやってる国は少ない。サッカーは世界的なスポーツだ」
に対し、
「サッカー選手はチャラチャラしてる」「サポーターってのは何だ? ファンでいいじゃないか」
などと、お互いが相手をけなす状況も生まれた。

ぼく自身で言うと、昔からなんとなくプロ野球にあまり興味がなかった。サッカーは好きだった。とはいえ、子供の頃から草野球はやっている。だからサッカー人気に喜んだけれど、でもだからといってプロ野球をけなす気持ちは生まれなかった。
その頃ぼくは、
「なんで『サッカーか? 野球か?』と片方を選ばなきゃいけないんだ? 両方好きな人がいたっていいじゃないか」
と思っていた。
さすがにそれから二十数年も経った現在、両者は共存している。好き嫌いはあって当然だが、お互いに相手をけなす必要なんかないということに、みんな気がついたのだろう。
……とまあ、そういうことを思い出しながらぼくは現在、紙の本派と電子書籍派の言い分を聞いているのだ。別に一方だけが残って、他方が消える必要なんてないのだから。

ところで、手元に見本が届いた時が嬉しい理由はもう一つある。たしかにそれまでの過程でゲラや表紙カバーは何度も見ている。が、たいていどこかに著者が見ていないページがあるのだ。
たとえば、カバーを外した表紙、あるいは1ページ目の扉、あるいは奥付…など。だから、「モノ」としての本を手にした時に初めて、
「あ、ここはこうなってるのか!」
とこっちは驚くのだ。今回でいえばこの1ページ目。初めて見て、ビックリした!

1ページ

おそらく、編集者はいつも(ふふふ…。著者を驚かすために、ここんとこは内緒にしとこう)というサプライズの仕掛けを、いくつか隠し持っているに違いない。その気持ちも含めて、見本を手にした時というのは「嬉しい瞬間」なのだ。

だいたい見本が届いてから一週間ほどで、本は書店に並ぶ。10月末には全国に行きわたるでしょう。ご興味ある方は手に取ってみてください。

お読みいただき、ありがとうございます。本にまとまらないアレコレを書いています。サポートしていただければ励みになるし、たぶん調子に乗って色々書くと思います! よろしくお願いします。