見出し画像

41歳、無職になる。

今年の3月のスケジュール表が、こんな感じになってしまった。
あまりに寂しいから、友達の誕生日で空白をちょっとだけ埋めてみた。


41歳、今年の夏で42。
ちなみに独身、子なし。

いや、そんなことはどっちだっていい。
とにかく生きがいだった仕事が、まったくなくなったのだ。
世間から見たら絶望的かい?


別に会社を解雇されたわけでもないし、
「一身上の都合」ってやつで辞めたわけでもない。
なにかとんでもないヘマをした覚えもないし(たぶん)、
多少の老いは感じるものの、体だってすこぶる元気。

ただ、「そーゆーとき」がやってきた。
ただ、それだけである。

私は2011年から、フリーランスで編集者とライターをやっている。
フリーランスっていうのは、そーゆーもんなのだ。「そーゆーとき」を、常に意識して生きていかなきゃいけない。


意識してやってきたつもりではあったけれど、
いざやってくると、それはそれは虚しく、悲しく、41にもなって布団の上でわんわんと泣いた。

こんなにがんばってきたのに!!
こんなにこんなに、身を削って一生懸命やってきたのに!!
なんでよ!! くそーーーーっっぅ!!

あれだけ押し寄せていた仕事の依頼も、じわじわと勢いを弱め、
「そーゆーとき」を目の前にすると、てんで現れやしない。
「消えゆく者は、静かに消えてゆけ」
フリーランスっていうのは、そんな無常な世界なのである。
そうそう、そういえばそうだった。


気晴らしに映画を観た。
深夜のいきつけのファミレスで、やっすい赤ワインを飲みながら観た。

主人公の青年の人生が絶望的すぎて、
自分の「今」はこんなに平和なのに、
こんなに元気で恵まれてるのに、
なにがこんなに悲しいのだろうと、余計に虚しくなって、
また、わんわんと泣いた。

店員さんの目もお客さんの目も、もはや気にならない。
41になるってこういうことなんだなぁって実感して、
「私も歳くったなぁ」っていうなんてことない感覚が妙にやさしくて、自然と泣くのをやめた。

ボロンボロンと恥ずかしげもなく落ちてくる自分の涙を見ていると、
不思議と「人生悪くないぜ!」と思えてくる。



そしてふと考える。

そもそも、
フリーランスで仕事をしてきたこの13年間、
私は本当にがんばってきたのだろうか?
本当に本当に、一生懸命やってきたのだろうか?

あれ? 私って本当はなにがしたかったんだっけ??



約18年前の2006年、24歳のときに
「フリーのライターになるぞ!」と意気込んで、とある出版社に入社した。

3年間出版社でがんばって、人脈つくって、
仕事をもらえる目処がついたら辞めてフリーになるのだ、と。
『なりたい‼︎ ライター』という、ど直球なタイトルの本に書いてあった“なり方”を、そっくりそのまま実践してみた。
当時はそれが王道のルートだったからだ。

私は月刊の女性ファッション誌の編集部に配属され、編集者として働いた。
今じゃ考えられないかもしれないけど、
終電で帰れないなんてことはザラ。
3日間風呂に入らないなんてのもザラ。
寝るのはデスク、もしくは床!!
当時の出版社なんて、こんなのがアタリマエだったのだ。

まさしくそれは、ボロ雑巾。
洗わず濡れたまま放置され、たっぷりと熟成されたボロ雑巾。


そんな日々を着々と過ごし、入社から4年半経った2011年。
28歳で私は晴れて出版社を退社し、
フリーランスの編集者&ライターになった。


ありがたいことにそこから13年。
仕事が本当に本当に絶えなかった。

むしろ常にキャパオーバー。
いっぱいいっぱいのテンテコマイ。
数えきれないくらいの雑誌の誌面をつくり、原稿を書き、
ときに書籍を丸々1冊編集したり、コピーライティングをしたりもした。

ボロ雑巾はますます熟成されたし、
彼氏なんかも当然できず、食生活もめちゃくちゃ。
でもそれはそれで、とても充実した毎日だった。

確かにさ、がんばってきたよね。
一生懸命、やってきたし!!


しかし、時は流れて今やすっかりWebの時代。
担当していた雑誌はことごとく廃刊休刊終刊のラッシュ。
ゲームのぷよぷよみたいに一瞬で弾けてなくなった。

13年間、ズダダダダダダダダダダーッッ!って
携えたマシンガンを白目ムキながら無我夢中でぶっ放して、
ふと我に返ったら、敵も味方も誰もいなくなっていた。

うまく伝わるかはよくわかんないけど、
とにかく、まあ、そんな感じで。
気づいたらなにもなくなっていたというわけだ。




そして41歳、無職になる。

あまりにも暇すぎるので、
昔の日記をクローゼットから掘り起こし、読み返してみた。
「私って本当はなにがしたかったんだっけ??」
その答えを見つけるべく、出版社に入社した2006年ごろの日記を読み返してみた。

そこには、
「私はライターになる!!」
「編集部で3年間がんばって独立する!!」
「27歳でフリーのライターになるっっ!!」
「うぅおぉぉーー!」
なんてことが、結構な鼻息荒めのテンションで殴り書かれていた。

たしかにライターにはなった。
28歳だったけど、独立もしてフリーランスにもなった。
しかし、これはどうだろう?

「私は人におもしろい!って思われるライターになる!!」

目にしてはっと気がついた。
私はこの13年間、「ライター」を名乗って生きてきたものの、「自分の文章」を書いたことが一度たりともなかったのだ!!


私がこれまで携わってきたのは、おもに女性向けの雑誌や記事。
その原稿というのは、流行りのファッションやメイクに関するものがほとんどで、書くのは60〜80字程度のキャプションがメインだった。
もちろん5000字とかの原稿を書いたこともたくさんあるけれど、それは取材対象者がいるインタビュー原稿。
そこに「自分の感情」や「自分の思い」なんてものは必要ない。
むしろ、それをいかに押し殺し、ごく一般的で、誰もが「そうだよね〜」って思う文章を書かなくちゃいけない。

すべては素材ありき。
ゼロから文章を生み出したことがない。
私はすっかり、「お題」なくして文章を書くことができないライターになってしまっていた。

「私は人におもしろい!って思われるライターになる!!」
その思いを置き去りにして。



フリーランスにとって、忙しいのはありがたいことだ。
この上ない。

だけど、
忙しいと後回しにするし、忙しいと自分の中に沸々とわいてくる思いにフタをする。
忙しいと満足するし、忙しいと自惚れる。
忙しいと見失って、自分がどこにいるのかよくわかんなくなる。

その「どこにいるのかよくわかんない場所」で、
私はすべてを叶えた気になっていた。
ほんとはなんにもできちゃいないのに。



「私は人におもしろい!って思われる文章を書く!!」

なにもなくなった今、自分はどうしたいのかって考えたら、
やっぱり2006年と同じだった。

ああ、そっか。
私って今、あのときとまったくおんなじ場所にいるのか。
18年かけて、ぐるーっと廻り道して、同じ場所に戻ってきた。
進んだようで、成長したようで、掴んだようで、結局なんにも変わってない。
描いている未来も、あのときと同じ。



だから私は、これから初めて「自分の文章」を書く。
だって、とてつもなく暇だからね。

ゼロから文章を生み出したことがない私は、たったこれだけの文を書くのにもひと苦労。
夢を掲げて18年、ライターと名乗って13年、私は一体なにをしてきたんだか。
やれやれ。びっくりしちゃう。
でも、まぁいいよ。
がんばってやってきたのは事実だし!!

仕事にならなくたっていい。
書いてオカネがもらえなくたっていい。
18年の長い長い廻り道を経て戻ってきたこの場所から、
私は今、ちょっと違った一歩を踏み出してみたいのだ。



41歳、無職になる。

それは、本当に絶望的かい?
今度は自分自身に問いかける。

答えはノー。
だってやっとまた、スタートラインに立てたんだもの。

そして多少の老いは感じるものの、
私は今、すごぶる元気だ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?