既婚子持ちが性別不合を巡って(旧性同一性障害、性別違和)

ここに書いているのは、2年前、鬱が悪化しリストカットが本当に酷くなり、切ることで自殺衝動を食い止めてる、そんなぎりぎりの状態に陥り、精神科病棟に入院せざるをえなかったことをきっかけに、妻が私のアメブロを読むようになったからだ。

はっきりいって私にとっては迷惑だ。妻には見てほしくない。心配してくれているのは分かるが、鬱が悪化していく心理は、同じ鬱のひとにしかきっと解りっこないからだ。

だから当たり前のことしか聞かれない。
なぜ切るのか。
なぜ傷跡の写真をさらすのか。

そんなに知りたければ、自傷行為の専門書を読めばいい。私は一度に読んだことがあるし、なるほど、とすごく府に落ちた。

とにかく、ことリスカ、そして私の服と髪型を巡っては、この2年間、ずっと対立し続けている。

曲げるべきなのか、どうなのか。
解らない。
ホルモン治療は諦めた。
それははっきり伝えた。

でも、髪型と服に関してはかなりきつい。
この間切ってもらった髪型が、どうしても女性の髪型にしか見えないのが不満なのだそうだ。

私の性自認は、性表現の権利は、家族という男女二元論からなる社会のなかで、どうすればよいのか。

答はでないままだ。

再来週辺りに、いつも指名しているスタイリストさんの予約がとれそうだから、ショートにしてもらおう。
伸ばしてみたかった、という夢も、一応は叶ったし。

私が性別に違和感をはっきりと感じたのは、鬱になってからだ。
でも、数年に渡って主治医に泣きながら愚痴をこぼし、鬱もこじらせて、自殺をいつも考えるようになって、入院して、看護師さんの言葉に救われていまここに生きて存在できている。

家庭を持つ前に気づきたかった。

家族を維持するためには、双方が何らかの妥協を飲み込みながら生きていくしかないのだろうか。

きっとシス男女の夫婦もそうなのだ。

私のような夫婦は、どうすればいいのか。

答えを求めているのではない。

ただ、生きていくのに、少し疲れた。

何のために生まれたんだろうか。生きていくのに、どんな意味があるのか。

ずっと考えている。
でも、考えながら、表面的なさまざまな問題を処理せねばならず、それらに埋もれていく日々。結果、思わぬタイミングで夫婦の衝突が発生する。

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