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死んでしまった愛犬・良太郎のこと

 我が家の飼い犬・良太郎が3月2日23時45分ごろに急逝しました。3月6日にお葬式と火葬を済ませました。12才でした。

 良太郎が我が家に来たのは2008年7月。母がよく行くホームセンターのペットコーナーにとても可愛くて愛想がいいのに、年齢は10ヶ月。売れ残っていたペキニーズがいました。それが良太郎でした。

 2回目見に行ってみるとまだその子はいて、相変わらず可愛く元気だったそうです。そしてそれから数日後、そのホームセンターに赴いた母はまだあの子いるかなとペットコーナーを覗きました。その時、良太郎は母の顔を憶えていた様子を見せたそうです。

 それになにかの縁を感じた母は、「次来たときにまだあなたがいるようなら、うちにくる?」と言いその場を後に。それから数日後に訪れたところ、ばっちり良太郎はいつものケージのなかにいたそうです。

 ちょうどその時はマルチーズの小雪も一緒だったらしく、小雪を近づけてみると良太郎は一切吠えることもせず、怯えることもなかったようです。「小雪にも吠えないし、次来たときにまだいたら連れて帰るって約束したもんね」と言い、母はその場で良太郎を連れて帰りました。

 わたしは当時専門学校の2年生で、家に帰ると見たことのない犬がいてたいそう驚きました。当時は実家のペンションの経営状況が下がり始めていたので、そんなときにペットを増やすなんて、という憤りも少しありました。だからこそ母も「次来たときもいたら連れて帰ろうか」と購入を悩んでいたのでしょう。母は情が湧いてしまうと自分を犠牲にしてでも相手を守る人であり、どんなときも約束を守る人なのです。

 名前は、当時弟がハマってた佐藤 健さん主演「仮面ライダー電王」の主人公・良太郎から。電王の主人公の良太郎はすごく心の清い子で、うちの良太郎もその名前に違わず、とても優しい子でした。甘えん坊で、可愛がってもらいたいアピールも激しかったです。

 けど頑固なところは頑固で、どいてと言ってもそこにいたければどかない。前足を触られるのが嫌いで、触るとすごくそわそわして、両前足を上げて抵抗しました。とてもマイペースな子でした。空気が読めないところも多々あり、それがムカつきもしたし、可愛くもありました。

 とても人懐っこく、犬とも仲良くやれるタイプだったので、母の経営していたペンションでも、現在経営しているドッグカフェでも、看板犬として活躍してくれました。

 去年の3月4日にミックス犬の球虎(たまとら)、4月2日にマルチーズの小雪が他界し、良太郎は過度に病院に行くことを嫌がりました。ふだんお店に通ってるときはそんなことないのに、病院になるとわかるらしく、ものすごい悲鳴を上げてばたばたと抵抗しました。

 たぶん彼的には、球虎と小雪がいなくなったのは病院のせいだと思っていて、自分も帰ってこれなくなるという恐怖心があったのだと思います。去年の夏ごろあたりから、ようやく悲鳴を上げることはなくなってきましたが、それでもどこか緊張した面持ちでした。

 持病もなく、昔以上によく食べ、元気に過ごしていました。3月2日も死んでしまった2時間前にごはんを完食し、気持ちよさそうにぐーぐーいびきをかきながら、わたしのパソコンデスクの横で寝ていました。

 すると急に、良太郎が魘されました。病院に行きたくないときの激しい抵抗の声でした。なにか悪い夢でも見ているのかと思い、わたしは「良ちゃん、どうしたの?」と声を掛けました。でも良太郎はまだ悪夢のなかなのか、悲鳴を上げ続けました。

 「良ちゃん?? どうしたの??」と慌てて声を掛けると、母も異変に気付いて飛んできました。どんどん舌が外に出ていって、真っ白になっていきました。その様子は、球虎が息絶える瞬間の光景とまったく同じでした。ついさっきまで元気だったのに? なんで? 水曜日にお風呂に入ろうねって言ってたのに! と頭はパニックでした。

 かかりつけの動物病院はつながらず、近所の病院にかけてみてもつながらず、ひとまず車へと向かいました。抱え上げた途端、おしっことうんちがこぼれてきました。頭ではもう死んでしまっているとわかっていましたが、もしかしたら助かるかもしれないと思い、電話のつながった病院に走りました。

 病院の先生いわく、犬は心臓が止まって5~10秒以内に処置をしないとほぼ生還は無理とのことでした。だけど心臓マッサージをしてくださったり、あらゆる方法を取ってくださいました。

 先生は「犬が心臓麻痺みたいに突然死することはまずないんですけどね……」と言いながら内臓を診てくださって、「めちゃくちゃきれいだな」と感心するとと同時に不可解な死に頭を抱えます。ただ「さっき食べたごはんがたっぷり胃に入ってますね」と言われたときは、思わず先生もわたしたち家族も笑ってしまった。それくらい元気だったのです。

 いろいろと思い返すなかで、いくつかオカルト的なことがありました。まず、良太郎が他界する2日前、閏年である2月29日に、去年亡くなった球虎のにおいが部屋に充満していました。「なんでこんなに球虎のにおいが?」と思いつつ、球虎の命日も近かったので、たまちゃんが家に帰ってきてるのかな、と思いました。

 あと、自撮りをまずしないわたしが、その閏年の日に、良太郎とツーショットを撮りました。自分から良太郎とツーショットを撮るのは初めてでした。それが最後にわたしが彼を撮った写真となりました。

 2月29日はなにか不思議な門が開いていたのかな、なんて思う中二病のわたしです。

 良太郎のお葬式と火葬は、6年半前に他界した猫のキキと、球虎、小雪もお世話になったお寺で行いました。良太郎の遺体が綺麗すぎて、住職さんが「こんなにきれいな子を(この仕事のなかで)見たことがない」と驚いてました。

 並びの悪い歯もしっかり残ってました。家に来て間もない頃、人間の爪切りを噛み潰すのが好きなせいで良太郎は歯並び悪くなったんだよな〜と思い出して涙が溢れてきました。よく撫でていた顎と頭の骨も綺麗でした。ずっとすかすかだった沖家のペットのお墓スペースは、この1年で一気にぎゅうぎゅうに。キキさんが「自分ら一気に来すぎやで」とむっとしてそう。

 良太郎のお葬式と火葬の帰り道、目の前にみかんが大量に転がっていました。どうやら道路の横にある坂道に置いてあったみかんのバスケットが倒れて零れてしまったようでした。腐ったみかんもあったので廃棄品の箱だったようです。

 とは言っても放っておけず、車を止めてみかんを拾いに行きました。するとそれに気付いた農家さんが「ああ、すみません~!」と上から降りてきて、「こんなんで良ければどんどん持っていって」と転がったみかんを渡してきました。シワがあるのが意外と美味しいらしい。出発間際にごつごつのレモンもくれました。なぜレモンをくれたのかは謎です。

 帰りついてぼーっとひとりでコーヒー飲んでたら、お世話になっている方から「この前話してたあのバンドとあのバンドのツーマンが決まったんです!」という喜びのメッセージが届きました。実現のために彼女が必死に真摯に交渉しているところ、時間を掛けて足を使っているところを見ていたので、すごくうれしかったし、心がやわらかくなっていく感覚がありました。

 お葬式と火葬のあとすぐ、気持ちのいいことがふたつも起きました。道に果実が転がっているなんて、ドラマの世界のなかだけの出来事だと思ってたよ。おまけにそのもらった廃棄予定だったみかん食べたら、とても美味しかった。良太郎が「ありがとう」と言ってくれてる気がしました。

 良太郎はびびりだし痛みにすごく敏感な子だったので、最期の瞬間まで元気でいられたことは幸せだったのかもしれない。そして犬がまずならないという突然死をしたということは、良太郎はもしかしたら私たちを災いから守ってくれたのかもしれないな、と思いました。もちろんちゃんと検査したらなにか原因はあるのかもしれないけど、そう思っていたほうがメルヘンでいいよね。

 閏年の日にたまちゃんの強烈なにおいがしたのも、最初は「たまちゃんが寂しくて連れて行ったのかな」なんて思ったけれど、たまちゃんはそれこそ良ちゃんより優しい子だったので、ドジでパニクりやすい良ちゃんをたまちゃんが迎えに来てくれたのかもしれないな、と思うようになりました。

 たまちゃんと小雪が死んでしまってから、良ちゃんと13歳の猫・みふいに口癖のように「長生きしてね」と言い続けてきました。想いが通じなかったという悲壮感に駆られましたが、完全におじいちゃんのターンに入る直前で他界した良ちゃんは、生き生きした少年のままでこの世を去らなければならない運命だったのかもしれません。

 良太郎を可愛がってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

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