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アラフォーと子宮筋腫手術⑤手術入院までの外来

 手術入院までの間に通った外来の内容を簡単にまとめます。
 2013年頃からひどくなった過多月経が、2023年に入ったあたりから深刻化してきました。この世でいちばん分厚くて大きなナプキンでも支えきれなくなりました。
 貧血も悪化し、鉄剤を飲み続ける日々を送るなかで、ふと「閉経までずっとこれを続けるの……?」と恐ろしくなりました。意を決していちばん近くの婦人科に行きました。


近所の婦人科

2023年10月27日 初診

 市の健康診断の結果、重度の貧血であることが判明した。かかりつけ医の先生から「婦人科に行きなさい」と言われ2ヶ月、意を決して婦人科に行く。医師はアラフィフ40代であろう御仁だった。
 問診を受けた後、内診台に腰掛けると、医師に腹部を触られる。「お腹がかなり張ってるね。かなりサイズのある子宮筋腫だろう」と言う。
 アトラクションのように椅子が上がり強制的に股を開かされ、膣と肛門からカメラを入れられる。その後に超音波検査でだいたいのかたちを見ると、10cm超えの筋腫が確認できた。詳しい検査のために後日MRIを受ける。

これに乗ったのが婦人科経験でいちばん嫌だったかもしれない

2023年10月31日 MRI検査

 MRIは強烈な磁力でもって内臓を映し出す機械のため、金属類の持ち込みがNGだった。検査着の下は下着のみにならなくてはならず、金属を避けるためにくそダサ肌着とくそダサショーツで臨んだものの、ペチパンツを履いていても良かったのではないかと後悔した。
 事前に調べたところ、MRIはとにかくうるさいらしい。持参したシリコン耳栓(loop quiet)をつけさせてもらった。病院によっては耳栓やヘッドホンを貸し出しているらしいが、わたしの行った病院には何もなかった。
 基本的にエラー音が鳴っていた。時折ビートを刻み出して、コアなテクノを聴いてるような感覚になった。ちなみにこんな感じの音。面白かったけど、心地よくはなかった。20分くらいで終了した。

内部は想像のひとまわり小さかった。撮影する画像の種類によって音が変わるらしい

2023年11月14日 検査結果

 MRIの検査結果により、子宮の上部に握りこぶしひとつ分のおそらく子宮筋腫が認められる。「おそらく」というのは、病理検査をしてみないと悪性かどうかがわからないためだ。「膀胱をかなり圧迫しているので頻尿なのではないか」と問われたが、便秘がちではあるが頻尿の自覚はこれっぽっちもなかった。
 このままだと閉経まで大きくなり続け、子どもの頭くらいのサイズにまでなるらしい。年齢的にもサイズ的にも解決手段は外科手術しか方法がないとのことだった。薬でなんとかなると思っていたため、それなりの衝撃があった。
 追い打ちをかけるように、その後の医師の言葉に打ちひしがれた。子宮を温存する手術をするとなると出血多量のリスクが高いため、ほぼ100%で子宮全摘手術になるという。
 この病院では手術をしていないため、いつでも紹介状は書くとのことだった。子どもを産む予定も結婚の予定もないけれど、子どもへの憧れがあったわたしは、出産経験がないまま子宮を失わなくてはいけないことが悲しくてたまらなかった。
 だが現状打破にはそれしか方法がない。術後には快適な生活が待ってることをモチベーションにし、2ヶ月という時間を掛けて自分を納得させ、子宮全摘の決意を固めた。

2024年1月17日 紹介状受け取り

 子宮全摘の決意が固まった最終的な理由は、能登半島地震だった。もし自分が被災したとして、この経血量に耐えられる気がしなかった。
 問診を受け、どこの病院宛てに紹介状を書くかを問われた。市内にある最も大きな病院は通うのが便利だが、母が医療ミスを受けたり、知人が亡くなっていたり、通っていたヤブ医者の出身病院だったこともあり、どうしても行く気が起きなかった。1時間かけて遠方の大学病院に通うことにした。

大学病院

2024年1月24日 初診

 紹介状をもらった直後に電話で予約をし、弟の運転で病院に向かった。大病院ゆえに、たくさんある広大な駐車場はどこも満車だった。
 初診受付をし、受付のスタッフさんがデータをパソコンに取り込んだ。一連の手続きが終わり、婦人科に通される。システムがわからず、言われるがままにカードを通したり書類を受け取ったり、戸惑いが隠せない。予約時間から1時間半遅れて診察室に呼ばれた。
 わたしの少し年下であろう男性の先生だった。先生は既に紹介状のデータにすべて目を通しており、わたしに対しての基本的な質問をすることも、触診などをすることもなかった。
 先生はゆっくりとはっきりと、落ち着いたトーンでわかりやすく丁寧に説明をする。「過多月経を解決する方法は手術しか方法がない」ということを丁寧に理論立てて説明したあと、「子宮全摘手術と子宮温存手術のどちらがいいか」とわたしに尋ねた。

 わたしは出血多量も輸血も怖いこと、子どもは欲しいけれど相手もいないので年齢的にも出産は現実的ではないこと、ここから先も出産をすることはないとなると、父方ががん家系のわたしは子宮体がんの危険度を懸念していることを伝えた。話しながら、自分の声が震えているのがわかった。
 そんなわたしの様子を受けて先生は、わたしの目をまっすぐ見て「子宮筋腫は女性の3人に1人が持っており、手術も頻繁に行われているためデータも豊富」「確かに子宮体がんにならないリスクはゼロとは言えないけれど、なるかならないかわからない子宮体がんのことを考えて子宮を取る必要はないのではないか」と言った。
 突如「一度諦めた選択」が目の前に掲げられたことに困惑した。さらには出産の機会が低いわたしの子宮を残してくれようとする配慮に喜びと申し訳なさが生まれ、堪えていた涙が溢れてしまった。先生は「また悩ませてごめんね」「最終的な決定はもう少し先でもいいので」となだめた。
 手術までには最低3ヶ月以上の時間が必要とのことで、それまでにレルミナという薬で女性ホルモンを抑制させて擬似閉経をし、子宮筋腫を小さくすることになった。手術時の余計な出血を減らすため、手術をしやすくするために加え、貧血を改善させる効果もあった。
 ひとまずそのレルミナを45日分出してもらった。領収書の「12400円」の文字見て鼻血が出そうになった。

2024年3月6日 手術方法の決定

 1月末からレルミナという薬を服用し始めた。わたしもそれなりに副作用で苦しんだ。先生は「耐えられるならできればこの薬で続けてほしい」と言った。

 子宮温存を所望すること、手術を6月末に行いたい旨を告げると、先生もそれを承諾した。「もし取り切れないとかだったら、全摘で構わないので」と言うと、先生は笑っていた。その笑いは暗に「そんなケースまずないよ」と伝えていた。
 だが近所の婦人科や外科医の伯父たちからはあれほどまで「全摘は免れない」と言われていたわたしにとって、その真逆のリアクションをする先生はなかなかに信じ難かった。「同じ医師で、言っていることが雲泥の差ではないか。この人は本当にこの世に実在している人なのか?」と思ったりもしたが、その後すぐに「婦人科医療の最前線で活躍する先生なんて、そりゃわたしにとっては夢物語のような存在だよな」という結論に落ち着いた。

2024年5月15日 手術に向けての説明と検査

 まず先生の問診を受ける。子宮温存手術に関する詳細な説明があった。主に子宮温存で核出するリスクを再確認する時間だった。
 全身麻酔で10~13cmの開腹手術をすること、開腹手術をすると帝王切開でないと出産ができないことを告げられる。帝王切開のことはこの日初めて知り、少しショックを受ける。再発の恐れがあるとも言われたが先生は「これまでのような出血が起こることはまずない」と切り返し、「開腹時に子宮温存が難しければ全摘に切り替える可能性もあるが、自分が立ち会ったオペでそういうケースになったことは今まで一度もない」とはっきり言ってもらった。
 おそらく先生はデータの分析と手術を得意としたタイプだ。そして「婦人科の医師」というよりは、「婦人科系のオペをする外科医」である。大学病院に来る患者はほぼマストで手術が必要だろうから、どの科もオペに長けている医師でなければ務まらないのだろう。そういえば先生はいつも白シャツに白衣姿ではなく、Vネックの手術着セットアップである。堂々としていて真摯な対応をしてくれる先生はとても頼もしく、まっすぐ信じようと思った。
 その後は看護助手から入院にまつわる簡単な説明を受け、胸部と腹部のレントゲンを撮り、検尿と採血をし、心電図と肺活量を計った。肺活量が思いのほかしんどかった。すべてが終わった頃にはもう夕方だった。

2024年6月6日 手術に向けての説明と手続き

 婦人科で看護師さんからあらためて手術時の持ち物などの説明を受け、麻酔科医から手術当日に使用する麻酔の説明を受け、事務の人に入院の手続きをしてもらい、看護師さんから入院生活における説明を受け、自己血を貯血した。
 麻酔科医からは全身麻酔と硬膜外麻酔を併用することを伝えられる。硬膜外麻酔とは脊髄を覆っている硬膜の外側の空間(硬膜外腔)に局所麻酔薬を投与する麻酔法で、背中にカテーテルを挿入して常に麻酔薬を補給するという方法だそうだ。硬膜外麻酔を打った後に、全身麻酔を使うとのことだった。

 事務の人には入院時の病室のヒアリングなどをしてもらった。大部屋を希望し、第1希望を0円、第2希望を3300円、第3希望を5500円の病室にしてもらった。0円の部屋はなかなか空かないそうだ。だがこの3部屋に大きな違いはほぼないため、0円が空いてくれと願うばかりだった。高額医療費の手続きは事務の人がしてもいいとのことだったのでお願いすることにした。
 入院生活に関しては医師との意思疎通がどのように取れているのか、入院生活の不安はないか、どんな性格なのか、食べ物のアレルギーはどんなものがあるのかなどを丁寧にヒアリングしてもらった。「神経質でプチ潔癖で心配性」という、非常に面倒な人間であることが可視化され、複雑な気持ちになった。
 その際に看護師さんから「貯血の前にごはんを食べておいたほうがいいですよ」と言われ、慌てて食堂でランチを食べる。そして貯血室に向かった。
 貯血とは、自己血輸血のための大規模採血だ。「自己血輸血」とは周術期に患者自身の血液を確保し、術中・術後の貧血の改善にそれを輸血することを指す。手術の出血が多いときに、他人のものではなく自分の血で賄うためである。

 献血と同じく400mlの血を取る。わたしは10年以上貧血だから献血の経験がないので定かではないが、どうやら一連の流れもほぼ献血と同じらしい。レッグクロス運動をしながら血液を採取してもらい、その後は補填として点滴を受ける。その後も水分をたくさん取るようにと命じられた。
 10年くらい前に採血で気分が悪くなったことがあるが、レルミナのおかげでだいぶ貧血が改善していたのか、400mlの血を抜いたとしてもそのようなことはなかった。取り違えがないように、何度も名前を確認された。わたしの貯血袋に「AB」の記載があり、やっぱりわたしはAB型なのかとほっとしたような残念なような気持ちになった。
 貯血後に鉄剤の処方箋をもらった。入院前日まで出されていた。今まで飲んだことのないフェロ・グラデュメットという真っ赤な錠剤だった。フェロミナよりも小さくて1日の服用数も少ないのに、ハードVENPEEになってつらかった。手術前日に下剤を飲んだのに、それでも排便がなかったくらいのVENPEEだった。
 夕方に終了し、血を取られた後のためぐったりしながら帰った。母の運転でぼんやりと車窓を眺めると、雲の切れ間から光が差し込んでいるのが見えた。エンジェルラダー。幸せを運ぶと言われている。神秘的な光景を目の前にしながら、次病院に行くのはもう入院の日なのかと考えていた。

次回、入院生活編!

最後までお読みいただきありがとうございます。