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本来の意味でのこだわり

何かを観て感想を書く時には、なるべく「良かった」「感動した」「素晴らしかった」などの褒め言葉だけにしないようにしている。なぜなら、よく使われる褒め言葉は、いろいろな物事で使われるために表現する範囲が広くなり過ぎて、具体性に欠けてしまうと思うからだ。できれば、その作品をより的確に表したいと思う。その作品からしか生まれてこない感想を書きたいと思う。

しかし、人に伝わりやすいのは、上記したような一言の褒め言葉だ。確かに、「あの作品どうだった?」と観た人に尋ねられて、「非常に想像力をかき立てて、懐かしさを覚えさせ、自分の過去をも見つめさせてくれる作品だった」などと説明するよりも、「良かった」と言ったほうがわかりやすい。「どうだった?」と尋ねる人は、シンプルに対象の良し悪しだけを知りたい場合が多い。こちらの個人的な思い入れまでは大抵、必要とされていない。詳しい感想が聞きたい人は「良かった」と答えた後にちゃんと「どこが?」とか「どんなふうに?」などと尋ねてくれるであろう。聞かれてもいないのにべらべらとこちらの思いを語ってしまうのは、少々コミュニケーションがうまくないところが感じられる。

だがそう思われてもいい、私は私が感じたことを語りたい。そう思ってしまう。これは本来の意味、つまり物事に執着し囚われるといった、良くない意味での「こだわり」でしかない。でも、誰かに無理やり押しつけるわけでなければ、隅のほうでぼそぼそと呟いている程度であれば、邪魔にならない感じであれば、こだわりに塗れた独り言みたいな感想の存在も、許されてもいいのではないだろうか。

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