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向き不向きって複雑

歯科に行った。被せ物ができていたので、それを歯に被せてもらう。歯科衛生士さんが被せ物を歯に付けてみる。外して、器具で削る。歯に合わせるために微調整をしているのだろう。それをまた歯に付け、外し、削る。それをまた歯に……を何度繰り返しただろう。数えておけばよかった。この細かな作業の繰り返しができる歯科衛生士さんを、私は心から尊敬した。短気な私にはできない。いや、短気かどうか以前の問題で、「器具で削る」という手先の器用さが要求される作業が、不器用な私にはまずできない。

歯科衛生士さんが担当する仕事が、相当の訓練を経た上で身に付く技術であることは理解している。手先が器用だからできる、とかでもなく、手先が器用な人が多数いたとして、その全ての人が習得できる技術ではないだろう。「向き不向き」と言ってしまうと簡単に聞こえるかもしれないが、技術とともに、その技術を身に付けるだけの努力や、その技術を駆使できる能力、その技術に長時間対峙できる性格、歯科衛生士として仕事をしていくには、そんないくつかの要素が必要なのだろうと思う。

別にそれは歯科衛生士に限ったことではなく、何の仕事に就く人にも、「向き不向き」という一言で表されてしまうものの実は複雑なあれやこれやが問われる。上記したように、様々な要素の合わせ技の結果、その仕事に向いている、ということになる。

しかし、そういう複雑な状況を乗り越えていくために、向き不向きの前にまず必要なものは、その仕事に就くぞとか、その技術を入手するぞとかいう「意志」なのではないか。意志が弱くともなんとなくできてしまう人もいるかもしれないが、それほど適性が高くなさそうなのに、意志の強さでその道を進んでいってしまう人もいる。できないところからできるようになってしまった人のほうがなんだか強そうだ。

ただ、最初のほうで私は不器用だと書いたが、そういう不器用さの持ち主にはどうにも無理だと思われることもいろいろある。意志の力だけではどうにもならないこともある。意志も適性もあるのに、望む道に進めない場合もある。逆に、別になんでもいいのにどこかの道を選択させられて進んでしまう人もいる。

当たり前のように行う仕事も、実はあれやこれやが混ざり合ってできた複雑で唯一無二の結果なのだ。そう考えると、誰でもできそうな自分の仕事すらも、なんだかすごいもののように思えてくるではないか。

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