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難民事例 その1 続き2(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

(前記事からの続き)自分の身に危険が迫っていると危惧していたAさんのもとに、叔父が諜報機関員である友人から、当局が参加者リストを作成中で、一刻も早く国を離れなければ逮捕されると連絡がありました。Aさんは大学でコンピューター管理のライセンスを取るコースに在籍していましたが、断念せざるを得ませんでした。 なぜなら参加者全員が諜報機関から狙われているとの情報が、その友人から入ったのです。幸いなことに、外交官をしている友人の叔母がコネを使って、彼と友人達の出国を手伝けしてくれることになりました。

出国にあたり、Aさんは、日本を希望していたわけではありません。フランス語が母国語なので、むしろ、カナダ、フランスに行きたかったようです。
ただ、他の多くの政治的難民と同様、デモ参加や反政府活動が、当局から目をつけられて、命の危険が迫り、緊急の出国の必要性からビザの申請を出した時に、最初にビザがおりた国が日本だった、ということなのです。私もWELgeeに参加した頃、何故、彼らは難民に冷たい日本を選んだのだろう?と思っていました。選んだのでなく、それが最初に来た選択肢だった、命の危険があり、それしかなかったというのが、実情なのです。

Aさんと友人達は、日本に来てからも出国に使用したエージェントから、住居は与えられたものの、2カ月もの間、約束されていたはずの在留資格どころか、仕事も紹介してもらえなかったので、軟禁状態にあった、その住居を逃げ出しました。そして自分達で検索して、難民支援協会(以下:JAR)に助けを求めたのです。その後、JARまたは他のNPOの支援により、無事に難民申請を済ませ、6カ月の難民申請中の特定活動による、在留資格を得て、更新しながら、フォークリフトを扱うような現場のブルーカラーの仕事を5年ほど続けました。その間に、カトリックの彼は、教会で活動をしていたWELgee代表の渡部カンコロンゴ清花と出会いを果たします。(続く)

https://www.bs-asahi.co.jp/fresh-faces/lineup/prg_363/


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