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寝かしつけ中にするタイムスリップの妄想

娘と歳の近い子をもつ友達が、その子の寝かしつけについて「一緒に寝室に行って、ベッドの上に寝かせて、おやすみ〜ってドアをしめたらすぐ寝るよ」と話していて、ものすごくびっくりした。うちの娘は基本的に寝つきが悪く、毎晩1時間ほど添い寝しないと眠ってくれないからだ。

もう少し月齢が低い頃には、ただそばについてさえいれば、スマホを眺めていようと読書していようと勝手に眠ってくれていたのだが、近頃はささやかな灯りさえも嫌がるので、スマホのスイッチは切り、窓のシャッターも閉め切って、寝室の中を真っ暗にして寝かしつけている。それでも彼女は「眠れない」と不機嫌になって私の脚を蹴ったり、腕を引っ掻いたり、思い切り振りかぶって頬をはたいてきたりするので、ときには再びスマホのスイッチを入れ、ホワイトノイズや環境音などをしぼったボリュームで流したりもする。

そうやって「はい眠いですね〜眠たくなってきましたね〜」というシチュエーションをつくるほど、娘はうとうととしはじめるが、当然親のほうも眠たくなる。一緒に寝てしまったっていいのだが、昼のうちに終わらなかった仕事を片付けたり、読みさしの小説の続きに取り掛かったり、娘の就寝中の貴重な時間に済ませたいこともある。なんとか意識を保つために、私は寝かしつけの時間を本格的な妄想に費やす。

例えば、タイムスリップの妄想。現在30歳の私が15歳の私と突然中身だけ入れ替わるというありえない妄想を、ものすごく真剣にしてみる。15歳になった30歳の私と、30歳になった15歳の私になりきって。


娘の寝かしつけ中の30歳の私は、登校日の朝の15歳の私と入れ替わる。15歳の頃住んでいた2階建の家の、5畳半の自分の部屋、安っぽいロフトベッドの上で目を覚まし、まず私は部屋の天井が近いことに驚いて飛び起きるだろう。そして、足もとで丸まっている飼い猫のちゃろが、迷惑そうに顔を上げたのを見て息をのむ。現実には、ちゃろは7年前に他界していてもういない。
もしかしてと思い、私は部屋を飛び出して、ドタバタと階下のリビングへ向かう。台所から母が「さや、うるさい!」と叫び、洗面所で歯磨きをしている当時の継父が「どうしたの?」と怪訝そうに顔を出す。私は彼の顔を見て泣きたくなるだろう。彼もまた、11年前にこの世を去っているのだ。

タイムスリップした私は、15年前の景色を前に「これは夢?」と思うだろうが、「もしかしてタイムスリップかも」とも思うかもしれない。そうしたらきっと、何かひとつでも未来が変わるようなことをして、娘に出会えなくなったら大変だと思うはずだ。だからたぶん、15年前のことを懸命に思い出しながら、高校一年生の私の何の変哲もない1日をやり過ごす。

家からも高校からも遠い友だちの家までわざわざ迎えに行ってから登校し、眠気をこらえながら退屈な授業を受け、昼休みには仲の良い友だちとアニメの話に花を咲かす。放課後に焼肉屋のアルバイトがあれば「めんどくさい」とぼやきながらも出勤し、終わればまかないを我慢して、母の作った夕飯を食べるために、空腹のまま自転車に乗って家へ帰る。同じ頃に継父も帰宅して、一緒に食事するかもしれない。私は目頭が熱くなるのをこらえながら、彼とたわいもない話をするだろう。そのかけがえのなさを噛み締めながら。


一方、30歳の私になってしまった15歳の私はどうだろう。30歳の私は15歳の頃の記憶を持っているから、まあなんとかやれるはずだが、15歳の私が30歳の私の生活をこなすのは難しいだろう。

まず、寝かしつけ中の30歳の私に入れ替わってしまった15歳の私は、私の横で寝息を立てる小さな子どもに死ぬほど驚くはずだ。「誰!?」と思うだろう。そして、がばりと起き上がって寝室を見渡し「どこ!?」と思うはず。私が今住んでいる家は、5年前の私が結婚した年に建てられたもので、15歳の私にとってはまったく見知らぬ家なのである。

寝室には姿見があるが、シャッターも閉め切った暗い部屋では自分の姿を見ることはできない。私が鏡を見て、老けた自分の顔に驚くのはもう少し先だろう。たぶん私はとりあえず寝室を出て、灯りのついている階下のリビングへおそるおそる降りていく。ちなみに我が家は小さな3階建で、寝室は3階に、リビングは2階に、夫の部屋は1階にある。

リビングに降りた私は、ますます動揺する。やっぱりどうしたって知らない場所なのだ。ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、手がかりを探そうにも、自分の持ち物がひとつも見つからない。私は当時自分が使っていた二つ折りのガラケーを探すが、そんなものはどこにもない。とりあえずやけに薄いノートパソコンが置いてあるデスクに近づいた私は、恐ろしいものを目にするはずだ。2023年3月と書かれたカレンダー。

私の悲鳴を聞きつけて、驚いた夫が1階からリビングへやってくるはずだ。彼の存在は私をますます怯えさせる。私はまたしても「誰!?」と思うだろう、そう口に出すかもしれない。彼は私の小学生時代の同級生なので、15歳の私もすでに夫とは知り合っているわけだが、15歳の私の記憶に残っている小柄でかわいい12歳の男児と、うっすらとヒゲを蓄えた31歳のおじさんは、私の中ではきっと結びつかない。

夫は混乱する私を見て、ふざけていると判断するだろう。私が「今、2023年ですか?」などと言おうものなら、ニヤニヤしながら「今そういう設定にハマってんの〜?」と茶化してくる。「誰ですか?」と聞けば、「変なおじさんです!」とか言って“だっふんだ”の顔をつくるかもしれない。私はパニックに陥ってしまう。

夫が私のほうへ近づこうとすると、私は恐怖してその場にうずくまり、「誰なんですか? せめて名前を言って!」と叫ぶ。夫は私の様子に驚き、そして半ば苛立ちはじめるだろう。そして、私のよく知っている名前を口にする。私は驚いて声も出せないはずだ。

徐々にタイムスリップしたことを理解し始める私は、小学生時代の同級生と自分が結婚したことを知るだろう。そして、さっき私の横で寝息を立てていた子どもが、自分と彼がもうけた子どもであることを理解する。そのとき、いったい私はどう思うのだろう? いくらリアリティをもって想像しようとしても、ここから先はうまく想像できない。「嫌だ!」と思うような気もするし、「そうだったんだ」と納得するような気もする。


妄想の限界に達してハッと現実に還ると、現実の娘も深い寝息を立てている。私は彼女の頭の下に敷いていた自分の腕を慎重に抜き取り、そうっと立ち上がって、音を立てないようにゆっくりと部屋を出る。

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