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長すぎた助走、それでも私には確かに必要だった

のんちゃんの1on1コーチングを受けた。

実は、去年の6月にのんちゃんがコーチングモニターを募集していた頃にも一度お世話になっている。

この頃は、「はじめまして」で「のぞみさん」だった。
魅力あふれる彼女と何かとご縁に恵まれて、最近は「のんちゃん」と堂々と呼んでいる。だって「のんちゃん」なんだもん。(伝われ)

6月の時は、コーチング後明らかに自分の内側へ焦点を当てるスピードが速くなったことを実感した。

どきどきわくわく。
今回は「年度末の振り返り」という形でお願いをした。
10年の公務員生活に幕を閉じたので、その月日を今後の糧にしたかった。
結果、これまで駆け抜けてきた私への花束のような時間だったので、記録する。


仕事の話をしているのに「両親」が登場する私の人生

振り返り早々「(仕事で)やり残したことがある?」の問い。
気づけば両親の話をしている私。今年33歳になるよ。

結局私の一番の障壁は「両親(特に母)」だということは、ずっと前から気づいてた。でも、この歳になって親がどうこうと誰かに話をするのは気恥ずかしかった。

今年お正月、重い腰を上げて実家へ行き、夫の「仕事を辞める」という切り出しに乗っかって「私も」と言った。それ以上は何も私からは言えず、父は「そっか」と言い、母は無言でキッチンで洗い物をしていた。
大切なことをちゃんと両親に話せなかったこと、話せない自分、話せない関係性にずーっともやもやしながら、結局その後一度も実家に顔を見せずそのまま退職した。(退職日にもらった花束を持って実家へ行こうか?とも一瞬思ったが心身疲労が極限に達しており断念。実家に行くには体力が必要と言う感覚。)

4月に入り「元気なの?仕事辞めたの?」という母からのLINE。自分でも驚くほどに心臓が急にバクバクしはじめて、珍しく眠れない夜を過ごした。
一言「辞めたよ」と返せばいいだけなのに、それができなかった。そんなことをのんちゃんに話しながらいつの間にか泣いていた

あーもう、両親の話をしだすとダメなんだよなぁと思いながら、途中で話を止めることもできた。でも、私がこれから向き合わなきゃいけない深部はここだと覚悟して、のんちゃんに身を任せて一緒にこれまでの私を見つめ直してもらった。

信じたいのに信じられない

ずっと両親の日頃の言動から「求められている私」として生きてきた。心配をかけたり、困らせたりしたくなかった。認めてもらっていたかった。
娘が地元の役所に勤めているということは、田舎では誇らしいことのようで、母の言動からそんな様子が伺えた。
だからずっと、仕事を辞めたいと思っていても「両親になんて言おう、どんな顔するかな」と一番にそこが心配になって踏み切れなかった。覚悟を決めるまでに結局10年経ってしまったんだけど。

そうやって「求められている私」として生きてきて、大人になってからもそれが当たり前で過ごしてきた。壁にぶつかって「自分は生きにくい人間だな」と思う時、「私は両親に求められている私を生きているからだ」と同時に思う。その事実はわかっていたけど、どこか全てを両親のせいにして生きているような気もした。自分自身を好きになれなくて、誰かを責めていなければ立っていられなかったのかもしれない。

だって両親は、大人になってから過度に心配して「大丈夫なの?」とか責めるように「なんで?」「やめときなよ」とは言ってこなかったんだから。だから、意を決して何かを伝えた時、毎回拍子抜けしていたんだもん。

言葉の裏側を考えてしまう癖がある。母に、「頑張れ」と言われてもその裏に「でもお母さんは賛成しないけど。」とか「どうしてそんな風になっちゃったの。」とかが含まれている気がした。(実際子どもの頃はそう言われてきた。)だから、両親に何か前向きな言葉をかけられても「でも本心はこう思っているんでしょ」と心の中で反発してシャッターを閉めていた。母のLINEも「辞めたの?(どうして?!自慢の娘だったのに!もったいない!)」と責め立てられている気がしたんだ。
ありのままの言葉を受け取りたいのに、受け取れるだけの私が整っていなかったんだと思う。両親を信じられていなかった。

退職の話をした時の父の「そっか」は、本当に「そっか」だったのかもしれない。母はただ単に辞めた事実を確認したかっただけかもしれない。

本当の私が顔を出して混乱しているだけだった

大人になって、大切な友だちや夫、オンラインスクールで出会った仲間たちと出会う中で心がほぐれて、自分のことをいくらか愛せるようになった。なんでかって、彼らと一緒にいる時の自分がとても好きだからだ。意外と人懐っこくて、ありがとうとか好きとかを伝えまくって、ふざけながらもやりたいことに没頭している私。これが本来の私で本当の私。

両親と物理的に離れて暮らすようになって、本当の私でいる時間が増える。でも、シャッター締め切って鉄仮面な私しか知らない両親の前で、本当の私はどうすればいいんだろう。どう接したらいいんだろう。両親といる時の私、どんなだったっけ。
実家から足が遠のいたり、母の連絡に動悸がするのは、混乱しているからだと話しながら気づく。そっか、私、混乱しているんだ

今の私で行ったらいい。そうなんだけど、我々親子の関係ってそうじゃない。私たちらしい関係性があるようにも思っている。だから今のままでいくのは気恥ずかしいんだ。

今更仲良しこよしになりたいわけじゃない。なれるとも思ってないし、なる必要があるとも思っていない。
親と子である以前に、人と人。大切だし、元気でいてほしいし、尊敬するところもあるけど、合わない。ずっと私は母と共依存関係にあると思ってた。苦しいのに、彼女が母である以上良い関係を築いていなきゃいけないと思ってた。
正直言って「私は母と人として合わない。」。のんちゃんを前にしてこの言葉を吐き出せた時、「私、やっと親離れできたかも」と思ったりした。新たな関係性で付き合っていくのもいいかもしれないなという希望が見えてきた。

10年前の自分にかけてあげたい言葉は「意外とそれ(公務員)じゃなくても大丈夫かもよー」。振り返れば両親は、大人になった私の節目節目の決断に文句をつけてきたことはなかった。思うところはあれど、私がやりたいことを見守ってくれているのだと思う。だから、きっと公務員になっていてもいなくても、親子関係にはなんら変わりはなかったんじゃないかな。

公務員の私じゃなくてもよかったんだ。振り返れば、私は結局ただ両親に認められたいだけだった。でも、ずっと前から両親は認めてくれていたのかもしれない。ただ、それを受け取れない私の問題だったのかもしれない。

私と両親との関係だから、私と両親にしかどうにもできない。両親の死に際を想像していつも涙ぐむ。「このままじゃ嫌だ」と思うから、これからどうにかしていきたいなぁなんて。

今度両親にあったら、今フリーランスとして大好きなイラストやデザインを抱えて走り出していることを胸を張って素直に話したいと思った。勇気を振り絞って話せば、きっと「あ、こんなもんか」と思うはず。仲良しこよしにはなれなくても、ふらっと実家に寄れるくらいにはなりたい。今年の小さな目標になった。


誰のための10年だったか

「どんな10年だったか」と問われて唸る。どんな?どんなー?えー?なんだろ?としばらく空を仰いだ。
こんなに言葉に詰まるのは、主語を自分にして生きてこなかったからだろう。自分のために仕事してきた10年ではなかった。親の顔色を伺っていたし、必要とされるから住民のために走り回ったし。時間と体力と心をすり減らしてきた。

でもやっぱり感じるのは、誰かの力になることにこの上ない喜びを感じるということ。今でも、スクールで出会った子たちに何か還元できることはないかなーと思いを巡らせながら過ごしている。考えるだけでわくわくする。
それと、自分がさりげなく、何の気なくやったことを褒めてもらえることがたくさんあったこと。もっと私は、ありのままの私に自信を持ってもいいのかもしれないということ。鎧を着込まなくても、十分私の魅力はあるんじゃないかということ。(のんちゃんが大切にしている「すでにある」を強く実感)

そんなことを話しながら、この10年を一言で言うなら「助走」だった。
自分のために生きてきた10年ではなかったけど、自分のために生きていくこれからのためには必要な10年だった。じんわりそんな感覚が身体中に満ちていった。助走にしては長すぎるし、曲がりくねった道だったけど、それも私らしいのかも。

仕事を「辞めたい」と強く思っていた時、「10年無駄にした」「なんでもっと早く辞めなかったんだろう」と全てを悔いていた。でもさ、悔やんだってしょうがないよねと言う気持ちがあって。悔やんだり、恨みたい期間が人生の中に10年間もあるなんて嫌だった。
だから、のんちゃんと話しながら、それらを糧にできた気がした時、なんだかとってもホッとした。(表情も明らかに柔らかく明るくなった様子)

嫌なことがあった時、苦しい期間が続いた時「あー嫌だった。このやろう。なかったことにしてやる」と負のエネルギーをメラメラ燃える恨みつらみの反骨精神に転換してきた。でもなんとなく、結局それじゃその負とずっと付き合っていかなきゃいけない気がしていてモヤモヤしていた。
こうやって、ちょっと苦しかったり恥ずかしかったりしても、向き合えるタイミングが来た時にじっくり向き合って、なんなら味わって人生の糧にしていく方法をこれからは大切にしていきたいなぁ。

自分がコーチングで泣くとはなぁとしみじみ思いながら今書いている。
たった1時間。1時間でこんなに身体中をぐるんぐるんといろんな思いが巡った。濃密もいいとこだ。

それくらいのんちゃんの問いや醸し出す雰囲気がぽかぽかしていた。ぽかぽかしながらも私と真摯に向き合おうとしてくれていることが感じられて、思いがけずな話を自然としてしまったんだろうと思う。

日々学びを深めながら確かに「プロコーチ」になっているのんちゃんの1on1コーチングについてはこちらから確認できる模様 ↓↓(勝手に宣伝)

なんかもやもやしているけどその正体がわかんない!とか、大切なものを見失っている気がする!とか、一度立ち止まって今の自分を見つめ直す時間がほしい方におすすめです🌸

さーて、明日からまた私を生きるぞ〜〜!!

おわりに


「お母さんになんて言葉をかけてもらいたい?」と言う問いに「『いいじゃん!』」と答えた。「頑張れ」じゃなくて。応援より肯定してほしい。頑張って自分なりに走ってるからそんな私を認めてよって気持ち。
今の環境は、やりたいことを口に出すと必ず誰かが「いいじゃん!楽しそう!」と声をかけてくれる。とてもいい環境にいると思う。のんちゃんに「やるぞと決めたらやる子なんだと思う。だから頑張れじゃなくて『いいじゃん』なんだろうね。」と言ってもらえて、「なんでわかるのー!!そうなの!私めっちゃ頑固で…!笑」と感動したりした。これから歩んでいく道がちょっぴり不安な時、大切な人たちに「いいじゃんいいじゃん!」と言ってもらおう。そしたらワクワクする気持ちでスタートが切れそうだよ。私の扱い方をやっとわかってきた気がした。



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