さやか

10年勤めた地域包括支援センター社会福祉士(公務員)を退職して、フリーランスのお絵描き…

さやか

10年勤めた地域包括支援センター社会福祉士(公務員)を退職して、フリーランスのお絵描きデザイナーに💁‍♀️自由気ままに日々のこと、思いなどを置いていきます。私の成長と奮闘の記録🌈2023年〜SHElikes

最近の記事

夢を語るのに資格はいらない〜SHE AWARDS2024後の私〜

「子どもが当たり前に希望を持って大人になれる世の中にしたい」 そんなことをいつからか強く願っていた。 そのために社会福祉士の資格をとった。 就活に失敗し真逆の福祉の道を歩むことになった。 我が子を夢見て妊活した。 夫婦関係が拗れて離婚危機に至った。ママになれず今に至る。 (とはいえおかげで夫とはより深く愛し合えてソウルメイトでハッピーであるけども) こんなに強く子どもたちのことを考えているのに私は何もできていない。 コンプレックスだった。 子どもの福祉に携わる人間

    • 長すぎた助走、それでも私には確かに必要だった

      のんちゃんの1on1コーチングを受けた。 実は、去年の6月にのんちゃんがコーチングモニターを募集していた頃にも一度お世話になっている。 この頃は、「はじめまして」で「のぞみさん」だった。 魅力あふれる彼女と何かとご縁に恵まれて、最近は「のんちゃん」と堂々と呼んでいる。だって「のんちゃん」なんだもん。(伝われ) 6月の時は、コーチング後明らかに自分の内側へ焦点を当てるスピードが速くなったことを実感した。 どきどきわくわく。 今回は「年度末の振り返り」という形でお願いをし

      • 1人の人として愛をもって〜福祉漬けの10年を振り返る〜

        あと10日出勤したら退職する。 社会福祉士として、高齢福祉の最前線である地域包括支援センターで勤務できたことを本当に誇りに思ってる。 大学で学んで、就職したばかりの頃と、今とで「福祉」の捉え方が大きく変化したなと思うので記録として残していく。 私は、人に幸せでいてほしいし、心豊かでいてほしい。 その気持ちはずっと変わっていない。世界中の人たちがそれぞれの幸せを抱きしめて豊かにのびのびと暮らしていたらいいなと思う。みんなが幸せであってほしい。 福祉に対する情熱はずっとある

        • いくつになってもなりたい私になれる

          「子どものために何かしたい」 漠然と頭にそれだけがあって、ずっとぐるぐるしていた。 高校生の時、児童虐待のニュースを観た。 あまりに衝撃的すぎて、どこか遠くの私の知らない世界のように思えた。 「なぜ親が子どもに暴力を振るうのか。」 「こんな親が、こんな目に遭ってしまう子どもが、同じ日本にいるのか。」 「私はこんな目に遭っていないし、幸せなんだな」 ここから私の「子どもの幸せ」を願う気持ちが強くなった。 いつか、いつか私が「あの子達」を助ける。 子どもは、当たり前に遊

        夢を語るのに資格はいらない〜SHE AWARDS2024後の私〜

          「せっかく」に負けずに向き合えるようになった2023年〜描く原体験〜

          2024年3月31日で退職、その後は無職。 今ところそれに間に合わせるように就活する気はない。 「せっかく学んで得た国家資格」に縛られて10年。 「せっかく」と言う言葉はずるいなぁといつも思う。 その「せっかく」を放り出して進もうとしている私に、また「せっかく」の壁。 今年から学んではいるけど、Webデザインじゃなく、イラストを描く方が好きだと気づく。 「せっかく学んできたのに」と言う思いがまた働く。 いや、その「せっかく」、ちょっと待った。 何かが腑に落ちない、「

          「せっかく」に負けずに向き合えるようになった2023年〜描く原体験〜

          ありたい私を言葉にしよう。

          SHElikesに入会したのは2023年2月。 体験レッスンを受講したのはその2か月前の2022年12月だった。 変わりたい、変われない、変われるの?、いやいや私は… 同じ職場で働く夫の転職が現実的になってきた頃、私は、「職を変える」という選択があることを初めて知ったに等しかった。 役所に勤めて10年目。転職なんて考えたこともなかった。 幼いながらにいつも思ってた「目の前の人に笑っててほしい」という思いが、歳を重ねるにつれて将来の「仕事」に形を変え、大学で福祉を学んだ。

          ありたい私を言葉にしよう。

          わたしのこと〜初めましての人もそうじゃない人もカモン〜

          たくさんのシーメイトさんと繋がりたい!9期デザコミュサポ隊にも就任したのでここで自己紹介だっ! 基本情報 なまえ さやか 生まれ 1991年 家族 とにかく愉快なオットー(履いてますよ) 1つ年下。見ているだけで楽しい言動がディズニーな人。ビッグラブ。 ※時々X(又の名をTwitter)にて夫への愛が爆発傾向。 仕事 役所でおじいおばあのよろず相談対応(社会福祉士+事務) 10年目のベテラン勢。経験豊富すぎてヘビーな案件ほど笑ってしまう域に達している。HSPなので何

          わたしのこと〜初めましての人もそうじゃない人もカモン〜

          地獄の妊活が私に教えてくれたこと

          生真面目で繊細すぎる私たちにとって、妊活は地獄でしかなかった。 ただ子どもを授かりたい。それだけなのにどうしてこうもうまくいかないのかと。 夫婦でいることをやめたくなった。離婚話にまでなった。子どもは欲しかった。でも、きっとどこかで目には見えない何かに抑圧されていた。 世間からの「子どもは?」の言葉。 30歳になったら卵子の質は低下して、出産にもリスクが伴う。という事実。 結婚式を挙げたら子ども、ホルモン的なことは科学的に証明されていること。それも人それぞれのはずなのに。

          地獄の妊活が私に教えてくれたこと

          自分を抱きしめる時間をもらった〜はじめての1on1のコーチング〜

          のぞみさんのコーチングセッションを受けてきた。 ご本人にもお話したけれど、「なんか私、このままではダメかも・・・?!」という不安に駆られ勢いでご連絡。当日になったらめちゃくちゃソワソワして緊張した。正直、風邪ひいたからとドタキャンしようとさえ思った。それくらい私はいつも土壇場で臆病になる。 でも直後のツイートはこう!ええ決断をしたなぁ私よ。ほめほめ 【体験】45分間じっくり自分とだけ向き合う 思い返せばこれはとても新鮮で恐ろしいことだったなぁ。 聞き役に徹して、自己開

          自分を抱きしめる時間をもらった〜はじめての1on1のコーチング〜

          一番初めに幸せにすべき人

          幼い頃、母と姉とお風呂に入ると必ず母が「美人さんになーれ」と濡れたタオルで顔を拭いてくれた。 母の声はおまじないをかけるように柔らかで眩しかった。幼いながらに、「美人」という単語が自分にはとても似つかわしくないとむず痒かった。 だから、羞恥心に涙目になりながら「ブタになりたい。」と母の言葉を跳ね除けた。 母と姉が笑った。 あの時の2人のケタケタとした笑い声と表情が忘れられない。はじめて自分の力で人を笑顔にできたような気がした。私の原体験はここにある気がしている。 サービ

          一番初めに幸せにすべき人

          キャリアも子育ても諦めたくない私たちへ

          今年度、私の部署に異動してきた同期が今日、泣いた。 彼女は、私の数個年上で、結婚後ほどなくして子どもを授かり、 今回は2度目の育休明けだ。芯が強く、でも柔和で天真爛漫な人だ。 正直なことを言えば、同期といえど、産休期間の方が長いため親交も深くはなく、異動内示を見た時は複雑だった。 私も彼女も職場恋愛で結婚した。どちらも年下夫。 似た境遇だったからこそ、羨ましくもあった。 一人目の時は、妊娠、出産報告をしてくれた。 二人目の時は、人づてでそれを知った。 結婚して数年が経ちな

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          既読スルー人生からの卒業宣言

          はじめてのnoteです。 私のコンプレックス、苦手を克服するために始めました。 よかったら、暇つぶしにご覧ください。 1 「苦手」に気づく30歳昔から、1つのことから10のことを感じ取ってしまうような気質です。 それでいて、人に自分の思考や感情を伝えることが苦手でした。 一つのことを深く掘り下げて考えることは好きなのですが、伝えるとなるとなぜだか急にポンコツになる。 ▷人生常に「既読スルー」 受信はするけど、返信はしない。 既読スルーを堂々とぶちかましてきた女だと気づき

          既読スルー人生からの卒業宣言