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恋に溺れた乙女の人生を変えたキャンパスライフ

こんにちは!ヨガインストラクターの吉田紗弥です。秋が深まり秋晴れが綺麗な季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
今日もヨガ哲学のお話から入ります。
今から約2000年前に成立されたとされるヨガの根本経典「バガバットギーター」には私達の生活をより良くしていく賢者の教えが記されております。

その中から一説ご紹介します。「自己のダルマの遂行は不完全でも良く遂行された他者のダルマに勝る」

このバガバットギーターという書物は国や宗教を超えてたくさんの人に読まれている書物です。
戦士であるアルジュナ、と神様であるクリシュナの会話形式の叙事詩であり、戦士であるアルジュナは私達人間の象徴として描かれており、神様は私達の目の前に広がる世界を表ています。

そしてこの一説のなかの「ダルマ」という言葉は自分自身のやるべきこと、使命というふうに意味づけられています。

このアルジュナは最強の戦士であるにも関わらず目の前に困難な自分の使命を目の前にし、自信を無くして進めずにいるところを神様であるクリシュナが励ましていくお話です。

私達もアルジュナのように本当は最強の戦士であるにも関わらず、日常生活の中で自分のキャパシティを超えている使命が目の前に差し出されると「もうダメだ」と自信をなくしてしまいがちです。

他人から見るとそのキャパシティは小さいかもしれません。他人から見るとそのキャパシティは軽く超えられ、完璧にこなすことができるかもしれません。

けれども私達は、他人がどう見ているかや、他人がどこまでできるかではなく、自分自身がそこから立ち上がることができ、目の前の困難をクリアし、今のキャパシティを超えていくことで人生を豊かにしていくことができるはずなのです。

学年で偏差値ビリだったギャルが志望校へ合格する
司法試験に長年挑戦した若者が弁護士として法廷に立つ

小学1年生が運動会の徒競走でゴールする
駅伝選手が一位でゴールする

どれも、それぞれの使命を果たして自分自身の世界を広げていくことに変わりがありません。

私達は他人がどうであれ自分自身の使命や目の前にある自身の困難を克服することで一歩先の成長した自分になれることができるはずなのです。

私のお話になるのですが、私は高校生の時初めての彼氏ができました。3年間のお付き合いでしたが、その期間もう彼にベッタリで、登校する時も、下校する時も、家に帰ってからも彼氏とメールや電話ばかり。
部活と授業以外ほとんどの時間を彼氏と過ごして友達が少なく、かなりの恋愛体質になっていました。

その3年間を経て大学進学と同時に残念ながらお別れをしたのですが、その恋愛体質をそのまま引きずったまま新しいキャンパスライフが始まりました。
私は京都の女子大だったのですが、音楽が好きなので他の大学との軽音楽サークルに入りました。

その軽音楽にはたくさんの音楽好きが集まり1年生から4年生まで自由にバンドを組んでいろんなイベント例会で演奏をしています。

恋愛体質を引きずっていた私はそこで話したこともない、ライブでギターを弾いていた1個上の先輩を好きになってしまったのです。大学生の1年の差という存在は大きいもので、目の前でギターを弾き鳴らし歌う先輩がキラキラしており、日本のポップスではなくアメリカやイギリスのパンクロックを全力で演奏する姿に目がハートになり、そこからいろんな友達に「先輩かっこいい!」と言いまくっていました。
その噂が本人にも伝わり、ラッキーなことにその先輩と付き合う流れなったのです!

しかし浮かれていたのは最初だけでした。
憧れの先輩を目の前にするだけで、緊張しうまく喋れず、「嫌われたくない」という思いから、自分の意見が言えず、気を遣い相手の顔色を伺う日々が続いてしまいます。

一方先輩はサッカーもしていてギターも上手、京都大学という難関大学を突破し頭も良く、サークルでは面白いギャクでみんなを笑わすサークルの人気者です。

そんな先輩が横にいるだけで、自分とは釣り合っていないのではないか、自分と先輩には大きな差があって彼氏という存在なのに遠く感じる・・。

自分の好きな音楽や本を語っても、先輩からしたら面白くないのではないか、などと自己肯定感もダダ下がりで気を遣ってばかり。

当時はデートはプリクラを撮るのがカップルの流行りでしたが、一緒にプリクラや写真を撮るだけでも可愛く撮れてるか、などと気になり笑顔も作れない状態です。

そうしていたある京都の鴨川でのデートで先輩から「さやちゃんと俺なんか合わんと思うねん」
と別れを切り出されました。

ご想像の通り、恋愛体質だった私は彼の前で泣き崩れます。付き合いから数ヶ月しか経ってない、と数ヶ月で何がわかるの・・、と先輩に言い寄ってもわかるはずもありません。

「ふさわしい彼女になるから」と重い発言でめちゃめちゃだるい女と化しまし、ちょっと泣き止んだらまた悲しさが込み上げ泣き、泣き止んだらまた泣きの繰り返し。
きっと最初はかわいそうと思っていただろう先輩も口数が減り、気づけばあたりは真っ暗で泣きながら家に帰宅します。思いも空く、別れてからの日常は変わらず続きます。

恋愛体質から、思い出を振り返り、授業中に泣く。
彼が好きだった音楽を聴いて泣く。
友達のアドバイスとか励ましが全然耳に入らず、また友達の前で泣くと自ら自分から泣きにいく行動の繰り返し...(今思えば引くぐらい泣いてましたね..)

しかし、何日か経ったあと軽音楽の友人らで夏のイベントでバンドを組もうということになり、練習に励むようになります。
失恋の悔しさと悲しさを忘れたい思いでスケジュールを詰めて練習、学校の勉強、宿題、友人との飲み会やボランティア、バイトもほぼ毎日入れ、次第に失恋で泣いていた時間が減り、友達と笑ったりする時間が増えて行きました。

夜中から朝まで好きな音楽を聴き、作り上げていく楽しさ、そしてたわいも無い話を熱く朝まで語ったり、人生の初めてのバイトでいろんなお客さんとの出会い、ボランティアで他の学校の友達も多くできました。
いろんな活動を増やす中で恋愛の傷が次第に癒えて、周りは信頼できる楽しい友人に囲まれ、青春をいつの間にか楽しんでいくことができました。

気づけばその先輩に新しい彼女ができたと噂を耳にしても、泣くことも悲しむこともなく大学のキャンパスライフを謳歌し、たくさんの出会いで「男は1人じゃない!」と恋愛体質から自分の生活を楽しめるようにまでなっていったのです。彼氏がいないと生きていけないと悲しみに暮れて、友人が少なかった恋愛体質の私はいなくなり、交友関係が広がりその友人はと友人との思い出は今でも私の大事な宝物となっています。

もし恋愛体質で友達が少ないままの自分だったらなら、今もしかしたらどこかのホストクラブのイケメンホストに貢いで借金地獄になっていたかもしれません。。

私たちは人生の中で自身のある中にある弱さや許容範囲を超えることができず、困難から立ち上がることができず前に向かって進めなくなってしまう時があります。
けれども誰よりもその弱い自分自身に勝つことができた時、もう一歩成長した大きな自分に出会うことができるはずです。

まるでどんな場所でも大空へ向かって咲き続けるたんぽぽのように、どんな時も前を向いて自身を大きく成長させていくことにしましょう。


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