【短編】手のひらの虫


その日私はいつものように満員電車で帰っていた。

ぼんやりとスマホを片手にTwitterをスクロールしていると、手の中に小さい虫が止まった。

ハエでも無いし、蚊でもない。
なんだか透き通ってるし、特に不快感も無いので眺めていると、突然


「ママ!今日のカレーは晩ご飯!」

なんて叫び出した。
なんてことだ、虫が喋っている。

呆気に取られてまじまじと見つめていたら、なんだか沢山視線を感じる。

当たり前だ、満員電車で突然でかい声がしたのだ。みんながこっちを見ていた。


私じゃない!


でもなんだか喋る虫を殺すのも惜しくて、私じゃないです!なんて弁明しようにも、それも恥ずかしくて、どうしようなんてまごまごしているうちに、また


「パパ!今日の1番はお風呂!パパ!パパ!」


なんて虫が喋り出す。

私同じ声ではないか。うわぁ〜きもちわる……私の声でトンチンカンなことを言わないで欲しい。


そろそろ視線が痛くなってきて気まずいので、次の駅で降りた。最寄りのひと駅前だった。

駅を出ると、虫は喋るのを辞めた。

多少人はいれども、もう喋ってもらっても構わないのに。

「なんか喋んないの?」

って聞いても応答ナシ。


また叫ばれてもなんだか居心地が悪いので、歩いて帰ることにした。


見上げると空は日が沈みかけで薄紫色だった。
昼過ぎまで激しく降っていた雨は止んで曇天が優しく夜を迎えようとしていた。



知らないうちに、手の中から虫は消えていた。


代わりにジメジメとした空気の遠くから、蝉の声がきこえてきた。


ああ、今年も夏が来た。

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