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部活の居場所感【生徒編】

私は、個人的に部活動反対派です。ただ部活動が簡単に縮小しない、という現状も理解しています。なぜ部活動が教育と切っても切り離せないのか、自分なりに考えてみました。

テーマは「部活の居場所感」です。これは2つの側面からあって、【生徒編】【教師編】に分けて考えてみます。

今回はまず【生徒編】です。
よく「部活動が無くなると、学校が荒れたり、地域に犯罪が増えたりする」という意見を耳にします。

個人的に、半分正解で半分間違いである気がします。そもそも、部活動が縮小して子ども達が荒れてしまったというデータは、日本国内にあるのか?という疑問です。部活をするのが当たり前の現在の日本において、そんなデータは調べようが無いし、部活が無かった「コロナ禍」の日本で子どもたちが荒れに荒れたという話は聞いてないです。むしろ大人たちよりもよっぽど我慢強くこの時代を生き延びています。

はっきり言って「部活動が無くなると、学校が荒れたり、地域に犯罪が増えたりする」という意見は「そうなるかもしれない・・」という根拠もない不安からくる妄想だと思います。

ただ、やっぱり先生たちの中で 部活の時間が減る=生徒指導の時間が増える と考える人が多く「何でそう思うのだろうか・・?」と考えた時に最近分かったことがあります。それは問題行動を起こす子・生徒指導を受ける子ってほとんど決まった生徒なんですよね。

クラスで2~3人、学年でも10人いないくらいの特定の生徒に教師は振り回される傾向にあります。つまり、そういう生徒が昔は、勉強や学校生活では活躍出来なかったけれど、部活のおかげで前を向けた、荒れないで済んだ、という話はあるあるです。たぶんその構図を見て、「部活が無ければダメになる子もいる」と感じる先生たちが少なからずいるのだと思います。

反対派ではありますが、この「部活の居場所感覚」ってけっこう大切だと思います。勉強もできなくて、クラスにも馴染めず、家にも居づらい、そんな環境の生徒にとって「自分がいていいんだ」「自分が活躍できる」という場所があることって重要です。

ただ!
日本はきっと
この「教室」でも「家」でもない、第3の場所を「部活」に頼りすぎていたんだと思います。そこが日本の教育の大きな問題点だと思います。外部スポーツをする、ボランティアを頑張る、プログラミングスクールに通う、起業を目指す・・・などなど、学校の外部で居場所を見つける中高生がもっといて良いと思います。いやむしろ、そっちが主流であるべきです。

これからの日本の教育において、学校の外に第3の居場所がある(それを大人がしっかり用意する)ということが重要になってくると思います。

それが、部活に頼りすぎない教育の一歩目だと思います。


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