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喉元過ぎても

「思い出せない」って言っているうちは、まだ、忘れていない。本当の忘却は「思い出せないことすら思い出せない」ことだと思う。それは、とても悲しいことです。でも、僕はなにについて悲しんでいたのだっけ?


そんな文章のポップに惹かれ、1冊の本を手に取った。深い青色のカバーが丁重にかけられている、文庫本サイズの本だ。
でも、その時私はそれがどんな本かわかっていない。
その本屋さんでは、購入するまでその本がどの作者が書いたどんな題名の本かわからないからだ。





都会の一角。
喧騒の中にあるビルの中に、その本屋さんはある。周囲が騒がしい分、その本屋さんだけが際立って静かで落ち着いた雰囲気に包まれているように感じる。

そこで売られている本は全てブックカバーがかけられており、それぞれ番号が振ってある。装丁も作者も題名もわからない。知りうる数少ない情報は、その本の大きさと値段、そして冒頭にあるような素敵な推薦文だ。


その頃の私は、久しぶりに自由な時間ができたので何か本を読みたくなったのだが、論文や学術書を読む日々が随分と続いたため、本をどう選べばよいかわからなくなってしまっていた。
そんな中惹かれたある本の推薦文が、冒頭の文章である。番号は、“181”だった。


中身がわからないものを心の赴くままに選んで、家についてやっと自分が選んだものの詳細がわかる。
その本屋さんは、プレゼントを選ぶ楽しみと開けるワクワク感の両方を味わえるような、そんな本屋さんだ。
私が選んだ“181”は、推薦文にある通り、記憶にまつわる小説だった。








いろんなことを忘れたくなくて。
一生懸命何かに取り組んだ時間とか、
友人とお腹が痛くなるくらい笑ったこととか、
ふとした小さなことがすごく嬉しかったとか、

特別何があるわけでもないけれど、なんとなく過ぎていく日常、日々考え、悩み、感じたこと、
そういう、気がつけばいつのまにか消えて無くなってしまいそうな、形ないものを覚えていたくて、毎日日記をつけている。
初めて日記をつけてから、もう何年も経っている。

でも、私は何をそんなに覚えていたいのだろう。
なぜそんなにいろんなことを記録し、記憶していたいのだろう。 






小説の主人公はいろんなものへの記憶を次々となくしていくのだが、それが彼女にとっての普通であり、仕方がないものと受け入れていた。
それは第三者からするとすごく、虚しく、がらんどうのように感じてしまうが、一方で「忘れてしまった」彼女からすると、全てを記憶している方が窮屈で、なぜそんなにも記憶に執着するのかわからなかった。
記憶をなくしてしまっても、変わらず慎ましく暮らしていけるのだから。






なぜ記憶していたいのか。

改めてそう問われると、答えに詰まる。
忘れてしまいたくないけれど、特に衣食住の足しになるわけではないし、全てが良い思い出というわけでもない。


では、逆に忘れたいことはあるだろうか。

そう言われると、過去の事実自体を消し去りたいことはあるが、記憶を消し去りたいとは思わない。



何を記憶していたいのか。
なぜそんなに記憶していたいのか。
そういうことよりも、きっと、
気がつけばこれまで自分が経験してきたはずのことを忘れているという事実と、
大事なことや感情を揺さぶられたこと、当たり前にあったことでも忘れてしまう自分が、
単純にすごく悲しいのかもしれない。






“181”は、繊細で、美しくて、そしてものすごく儚い物語だった。
冒頭の“181”の推薦文には、続きがある。

この本は、小説家と編集者についての本でもあります。そして、女性と男性の恋の話でもあります。
忘れるから生きていけることと、忘れないから生きていけること、両方あります。


主人公の彼女は、“記憶”のおかげで自分や大切な人との繋がりを保つことができた。でも“記憶”のせいで、大切な人との間にある溝を嫌でも意識せざるを得なかった。





なぜ記憶していたいのか。
なぜ忘れたくないのか。
今はまだうまく言葉で表すことはできないけれど、書き忘れた1週間前の日記のページを見て、その日何をしていたか思い出せなくて、私は時折悲しくなるのだと思う。


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