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映画『母性』を観て思う自分の母娘関係

母→娘→母→娘→母→娘。。。
永遠と紡がれる命のつなぎ。
そんな母と娘のそれぞれの立場からの想いや葛藤を描いたなんとも難しい映画だった。

この作品の主人公・ルミ子を演じた戸田恵梨香さんは、
撮影中ずいぶんと悩み苦しみ、
日に日に傍目からわかるほど頬もこけ、痩せていったそうだ。
それほど演じるには精神的に追い詰められた役だったのだろう。

前半は「娘」として。

中盤は娘を持つ「母」になりきれない「娘」として。

後半は姑の良い「娘」になろうとして。

最後に「母」として。

この映画を観た女性なら、
誰しも自分のことと置き換えて考えてみることだろう。
母親との関係性。
娘がいれば娘との関係性。
そこには父親や息子といった異性との間にはない、
利害関係を伴う複雑などろどろとした心情がある。

私自身は母との関係はとても希薄だった。
私は完全なるおばあちゃん子だったからだ。
生まれた時から母の実母である私の祖母が同居しており、
仕事をもつ母は家事育児の一切を祖母に任せていた。
だから私は母のことを「母」とは知らずに、
小学校高学年まで育った。
祖母のことを「母」と思っていたので、
母の日の似顔絵や作文も
友達のそれとはなんだか違うものになってしまった。
生まれてから一度も母といっしょに寝たことはなく、
お風呂もいっしょに入ったことはない。
もう亡くなってしまったので、
一生ないままで終わってしまった。

大人になってから考えてみれば、
これは異常なことで、
私が人との関係性でどこか世間とずれているのは、
このせいかもしれないと思うこともある。

けれど、当時はまったく何不自由なく、何の疑問も持たずに暮らしていた。
私にはおばあちゃんがいたし、
そのおばあちゃんは私を甘やかすことは決してなく、
しつけに厳しい人だった。
しかしその厳しさの中にはとてもユーモアがあった。
戦前戦後を女手ひとつで
ひとり娘の母を育てたとは思えない程、
朗らかな陽気で楽しい人だった。

子供の頃からおばあちゃんといっしょにごはんを食べ、
いっしょにお風呂に入り、
いっしょに寝た。
学校行事もおばあちゃんが来てくれた。
だから感覚的には「祖母」ではなく「母」だった。

そんな「母」がどうやら「祖母」らしいと気づいた時、
ひょっとしたらもうすぐ死んでしまうのではないかという恐怖心が芽生えた。
それからは夜寝ている時に、
隣で寝ている祖母の口元に手をやって、息をしていることを確かめるようになった。

高校生の時、
とうとうおばあちゃんが死んでしまった。
これからどうしようと思った。
ひとりで生きていかなくては。
と強く決心した。

ちょうどその頃、
母が退職し家にいるようになった。
するとそれまで何の関心もなかった私に急に干渉し始めた。
私はそれが嫌で仕方なかった。
なんで今さら。
という気持ちしかなかったのだ。

今思えば、母は更年期に差し掛かり、精神的にも不安定で気弱になっていたのだろうと思う。
でもこちらもちょうど反抗期だ。
更年期と反抗期の母娘が、
急にいっしょに暮らしていくのは辛い。無理がある。
こうした無理の関係は私が結婚して家を出るまで続いた。
というかこの関係性を断ち切るために結婚して家を出た。

こんな母娘関係を思えば、
母となった私と娘との関係は
至って穏やかだ。
娘はどう思っているかは知らないが。
27歳の今でもいっしょに出かけたり、お風呂もいっしょに入る。
いや、これはこれで問題なのかもしれない。

けれども1年間の韓国留学を
何の抵抗もなく送り出せ、
この1年間さして寂しくもないのはどういうことだろう。

それもこれもやはり、
幼少期からの母との異常な関係性の後遺症なのかもしれない。

母娘の関係性は自分の一生にずっと何らかの影を落としていくのだろう。


※タイトル画像は
movie-architecture.comより
お借りしています

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