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長崎異聞 12

 じわり、と首筋に走る物がある。
 それを醍醐はとくと噛み締める。
 それは敵視というもので、士分である以上避け得ない処のものだ。
 鯉口はまだ切らない。悪意のなかをどこ吹く風で歩く。
 それが彼の修練した天然理心流の神髄だった。
 かの剣筋は苛烈極まる。
 戦場でしか生きぬ剣である。
 先ずもって相撃ちは覚悟の上である。その引き換えに敵が致命傷に至る技ばかりが並ぶ。四肢のどれかが飛ばされても、敵の首が落ちればよい。数人で囲まれても、四肢がなくなるまでまだ首は三つは落とせる。そう表木刀で散々に打ち据えられたうえに、懇々と説諭を受けた。
 そのことばかりを学ぶ峻烈な少年時代だった。
 無論、共和国政府により学制は施行されており、醍醐とて尋常小学校には通った。帯刀したまま通う士分は学級に三人いた。いずれも幕臣である。

 醍醐は先頭を歩んでいた。
 朱塗りの柱が立ち並ぶなか、怪訝けげんな眼をした清国人がたむろしている。
 これ見よがしに極彩色の彫金が施された刃物を、ちらちらと見せている。そして甲高い笑い声を立てながら、壺から酒を呷っている。
 それで背後におい、と声をかけた。
「儂は不案内じゃ。後ろに隠れていても始まらんぞ」
 義顕が背中から首を出すようにして、ええと不満げな声をあげた。
「お主も士分であろう、何、余程の事なくば奴らは手は出さぬよ」
 嘘も方便、というものでもない。
 醍醐には妙に確信があった。

 かつてこの館内の太子堂に不逞清国人が立て籠り、寄せる奉行所役人に火縄銃で銃撃するなどの狼藉を働いたことがある。
 其の折にたまたま長崎に留学していた、林子平という経世家の学者がいた。彼は仙台藩の武士であり、後に露西亜ロシアが東方植民を狙っているという書物を書いた。その海国兵談という逸書により、幕府が開眼するに至る。
 だがその時期は一介の侍である。
 かつ新陰流を成していたという。
 彼は敢然と、単身でその太子堂の門前に立ち、そのかんぬきを剣を一閃して両断した。その隙間は刃が通るかどうかの細さである。更に閂は四寸程の太さはあろう。余程の剛腕でなくば、そうそう両断できるものでもない。
 門をたのみにしていた清国人はおそおののいて飛び退った。
 林子平に従うは奉行所十余名、そのまま斬り込んだ。かつ一兵を失うことなく、六十人からなる清国人を斬首、もしくは捕縛を行った。

「その折に、清国人は痛い目にあったのさ」
「成程、それはいつのことで」
「安永年間であるから、田沼意次様の治世よ」
 吾郎佐がひいと喚いて、早口に捲し立てた。
「もう百年も前でござる。清人は忘れてござろう。醍醐さま、ではなぜ先年に清兵が丸山で暴れたのでござる。血のお盆でござったぞ」
 両名に顔を寄せて、醍醐は顎をじわりと撫ぜる。
「だからよ。もう一度、奴らにしつけを為しに、儂がここに居る」
 彼は斬り込む気で、快哉と微笑んでいる。

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