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風花の舞姫 半裂 6

 大切なことを聞こうと思った。
「その巫女の名前とか、は残っていますか」
 甘利助教は、したりとした笑顔を見せた。
「ここに図画が残っています」とタブレット画面を見せた。 
 そこには古文書らしきものから撮影された図画があった。
 山城から平原を見渡す望台に十文字に磔になった女の絵がある。
 うついている顔には生気がなく、頰はこけ黒髪は解かれて、だらりと垂らしている。粗末な木綿の衣服は前が開かれて、辱めを受けている。幾分と年嵩のようで下腹にも肉がついている。いや、あれは飢餓からの栄養障害かもしれない。
 そして両腿から斜めに槍が突き立っている。左右から二人の武者が処刑を愉しんでいるようだ。槍の穂先は胴体を貫き、両肩や腋の下からぎらりと刃を光らせている。その醜悪な図画の左肩に文字が書いてある。
石女尼うまづめに・・・」
「恐らくこの処刑された巫女の名前と思います。そうして真田方にこの遺骸を晒し続けて挑発したのです。真田としては慎重にならざるを得ません。すぐに呼応すれば、この巫女が間者だと自白するようなものです。城攻めが沈滞した頃に、信玄が詰問状を出したのでしょう。時間稼ぎをして上杉方からの援軍を待ったのです。こうして雨飾城から尼飾城と呼ばれるようになり、後年になってこの逸話が宜しくないので、今は尼巌城となっています」
 頭痛を伴いながらその説明を流していた。
 石女尼、私はその名前に覚えがある。
 そうあれは江戸期の天和年間、堺から丹波へ向かう道中だったかもしれない。この時代まで生き永らえているとすれば、きっと私と同格の化け物だ。
 背骨に電流が奔り、突然立ち上がったので、甘利助教は驚いた顔を見せた。
 この槍の刺し傷の位置、それはあの田所さんの疱瘡と同じ場所だ。畳み掛けるように医師の言葉が蘇る。帯状発疹であれば片半身がわに発症する。しかし図画の彼女は対角線状に槍で貫かれている。両脚と両脇腹に血が滴っている。
 灰赤ほのあかく焔をはらんだ黒炭のような、赤黒く爛れた醜い皮膚は単なる病症の発現ではない。それが同じ場所ということには意味がある。
 呪いだ。
 八つ裂きにされても尚も殘る恨みだ。
 会議室の机に置いたスマホが、小刻みに振動している。立ち上がったままマナーモードのそれを取り上げて、着信先を見て戦慄した。
「病院からです。ちょっとすみません」と甘利助教に会釈をした。
 それから「はい。鳴神です」と電話を受けた。
 要件を聞いて、始まったと思った。
 入院中の色葉が発症したという連絡だった。 

 病床の色葉は冴ない顔色をしていた。
 制服からクリーム色の病院服に着替えている。点滴はもう外されていた。半身を起こして、両指を絡めて伸びをして「痛たた」と小さな声を上げた。
「・・ごめんね。流石に反省する」
「殊勝なものね。その気持ちを大事にして。でも安心なさい。あなたにはもう手出しはさせない」
「武者たちは視えたんだ。それが突然、途切れた。なんか怖い顔のオバさんがいる。邪魔をしているのは、そのひと」
「石女尼というらしいわ。私の古馴染みみたい、きっと強敵だと思う」
「闘うの」
「それは宿命みたいなものよ。あなたの身体も綺麗に戻してあげる」
 色葉は恥じらいもせず、右半身をはだけてみせた。薄いながらも形のよい乳房もぽろんと出てきた。その谷間にお守りを下げている。
 その腋の下から肩のあたりに血泥をり固めたような、痘痕が広がっている。あの艶のある柔肌に無残なものを刻んだ、それを私は許せない。
 その爛れた皮膚の、肩甲骨の腫れものに、眼球のように黒い塊がある。
 それが、ぎろりと動いた。
 視線が合った。はっきりとした眼球だ。
「どうしたの、六花姉?」と勿論、色葉には見えない場所だ。
「いえ。挑戦状みたいなもの、今、受け取ったわ。これは間違いなく馴染みね」
 色葉は、中空を向いて、はあとため息をついた。
「でも行かないで。ここから六花姉は闘えるわ」
「なぜ?」
「ボクの力で」と言いかけた唇を私は人差し指で抑えた。
「二度とは言わせないで。私はあなたを、私達のようにしたくない。喰うか喰われるかの定めなのよ。あなたは陽の当たる場所を歩いて欲しい。それが姉としても、唯ひとつのお願いよ」
 私は立ち上がり、色葉の額にキスした。
 凍らせてしまわないように、心を砕いた。

 尼巌城の登山口に着いた。
 翌朝のことだ。
 登山口の脇にある、小じんまりとした祠に結界を張った。
 ホテルでもう巫女衣装を纏っていた。案内をしてくれたのは建設課の橘係長だった。竹でもう結界の支柱は建てられていたので、縄を回して紙垂れを掛けていった。
 今朝は緋扇と鈴を使うことにした。
 神楽はない。また祝詞を詠うことにした。
 結界に入り、深呼吸をした。
 さあ始めよう。
 とんと踵で土を踏み、緋扇が舞い始める。
 硬質で涼やかな鈴の音が、綺羅星のように凛と響く。
 千早の衣擦れに、私の祝詞を織り成していく。
 春の雪溶けと桜花、夏の急流と夕焼け、秋の落葉と月影、冬の静謐と舞雪。それを緋扇で空に描いていく。
 これは訣別の舞だった。
 斃すか、斃されるか。
 これまでのような矮小な鬼が相手ではない。

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