長崎異聞 29
細目の眼が検分している。
橘醍醐はそれを微風を受けるかの如く、平然と椅子に座している。
まだ一言も交わしてはおらぬ。
江藤新平、彼も上背がある方ではない。
醍醐の上役と違い、官服で高飛車に出るのではなく、華美で沙羅な洋服を誂えているのではなく、着流しの和装である。ただ腰には一刀だけは帯びている。一見しては共和国政府の高官というよりも書生じみている。
かなり年嵩の書生で、すでに五十坂は越えていよう。髪も蓬髪で聊か後頭部が怪しくなっている。月代を剃っていた世代ではないので血筋によるものだろう。
だがしかし、醍醐は威風というものに気圧されている。
ただそれが剣の修練を積んだものではなく、硯と筆で精進したもののせいか、聊か黴臭い。
目前の要塞の如き堅牢な執務机で、両肘を突き親指で顎を支えて、不躾な視線を放っている男が、かの司法卿であるとは先程聞いた。だが彼がどんな理由でここに呼んだかを醍醐は訝しんでいる。
「貴君は、幕臣だな。そんな匂いがする」
声は高い、癇癪持ちにありそうな声だ。
醍醐の背が伸びて、はっとだけ応えた。
「飯はまだか、蕎麦は好きか」と彼は言う。
「それとも志那蕎麦で喰飯というものがあると聞いた。それは食べたことがあるのか」
「いえ。御座いませぬ」
「では蕎麦にしよう。日の本のものだ」
彼は矢継ぎ早に言葉を紡ぐが、その連打の応酬には意味がなく、心はもう定まったうえで会話をする人物らしい。
そこは長崎奉行所から下り、中島川沿いにある店だった。
出雲そばという暖簾が掛かっており、香りのよい蕎麦をだしていた。さらにそれに天ぷらというものを付けてくれる。
相対してそれをすするのが、政府高官でなければ愉しめたであろう。けだし彼の奢りでもあり、我が儘は義に欠ける。しかも奉行所に付け払いするでなく、袂の財布から支払いを済ませていた。
「貴君の腕な、相当なものだと聞いた。どこの道場だった」
「天然理心流でございます」
「ほお、それでは五稜郭の土方歳三卿の門人か」
「いえ、薨去されましたが沖田総司さまの門下生でございます」
「成程、その腕で陸奥邸の警固を務めて、さらに大村卿の警固もとな」
「大村卿は奇しき御縁でござる」
「どうじゃ、益次郎さんは。あれはあれで手が掛かろう」と笑いかけた。
意外でもあるが、道理でもある。
彼のこの距離感は大村益次郎に近いものがある。
「彼とはな長州攻めで後詰めしたのよ。儂には戦さは判らん。彼が全てを仕切った。我が藩は重砲を手配したに過ぎぬ」
長州を砕いた雄藩は、会津、薩摩、土佐、肥前とされる。特に会津藩は徳川慶喜公の覚えめでたく、中央政界に一大派閥ができている。
目前の江藤新平の出身である肥前は、元来が長崎警備を担当していた所縁もあり、奉行所には旧肥前藩士が数多くいる。
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