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ケサランパサラン

 明け方に奇妙な夢を見た。
 私の夢は4Kのリアルなもので、しかも設定がしっかりとしている。

 中学生ながら、意識は今の自分が憑依していた。
 それは国語のクラスのようで、教師らしからぬ眼鏡をして、ボタンダウンを上二つ開けているような男性が教檀に立っていた。
 盛り場で煙草に似た何かを扱っている方が似合う男だ。痩せていて、頬骨が突き出して、それに緩くウェーブのついた髪がかかっていた。
 その教師はキャットウォークでも歩くみたいに小刻みに腰を浮かせながら、私の机に歩いてきて、ふうんと呟いた。
「キミさ。そこの問いは作者の言いたいこと、というのを書くんだよ。キミの解釈とか、意見とか、批評を求めているんじゃない。もっと問いに対してシンプルに書きなさい」
 それに私は無言だった。
 例題の、下手な文章の羅列に辟易していたからだ。
「確かにキミの文才は認めるよ。けどね世間ではそれを求めているんじゃない。受け入れなさいな」
 苛々しながら顔を上げると、対角線に座る紺色の制服が振り返って、少女がやり取りの行方を見ていた。襟の下に鮮やかな緋色のスカーフがある。しかし異様なのはその上にあった。
 頭から生成りの頭巾を被っていて、その頭巾の下から黒髪が流れている。それは艶々として背中を彩っている。
 目元まで頭巾に覆われており見えない。鼻梁は高そうだし、微笑みの形の唇が蜜を含んだようにしっとりとしているようだ。
 自信が持てないのは、その目元から顎までは絹のヴェールが掛けられていて、輪郭だけが透けて見えるからだ。それでも美しい少女であることは間違いない。
 その唇が何か動いている。
 教師はハッとして、私の机を離れて教壇へと戻っていった。

 放課後のことだ、と思う。
 私は自宅に向かう途中にある本屋に入っていた。
 本屋には埃なのか、印刷された紙の匂いなのか判然としない香りがこもっている。私はその匂いが大好きだったし、いつか自分の本もここに並ぶということを夢想していた。
 天井まで届く本棚を潜ると、そこには頭巾を被った少女がいた。
 どうも目線が合ったようで、同時に立ち竦んだ。え、あ、と互いに軽い驚きの声もその瞬間だった。
「あの・・・現国の時はありがとう」
「いえ、ちょっと嫌味な物言いだったから」
 想像以上に彼女の声音が高く、鈴が踊っているようだった。ヴェール越しでもそれがわかる。
 いつから彼女は頭巾を被っているのだろうか。そもそもクラスで素顔を見た記憶がない。
「そうだ、あの時何と言っていたの?」
 距離を取って手を振りかけた彼女に、追い縋るように聞いた。
「あ、呪文なの。気にしないで」
「いいから教えて」
「うん、ケサランパサラン・・って言ったの」
「どういう意味?」
「意味はわからないわ。困った時のおまじない」
「そうか。今度調べておくね」

 夜更けに覚醒して枕元のiPadを引き出して、その言葉を検索してみた。
 ちゃんとその言葉が存在している。
 そんなことも日常的に、ある。
 

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