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長崎異聞 44

 対岸では動きがあった。
 暴発した12£ナポレオン砲の砲身は千々に引き裂かれ、黒煙に包まれている。倒れていた砲手のなかから肝の据わった兵が、そのまま岸壁に投棄しようとしている。消火と延焼を防ぎたいのであろう。豪胆な兵もいたものだ。
 さらに後方より新規の火砲が引き出されている。
 それを見逃す益次郎ではない。
「伝令!」と叱咤するような命が飛んだ。
「よいか、先方政庁に電信せよ。以下が送り文である。同盟国として大日本共和国は、仏蘭西共和国に実砲にて支援いたす。ご照覧あれとな」
 こちらの火砲は既に炸薬を詰めて構えている。
 その砲身の先端は、市街地へ牙を剥いている。
 雲霞うんかの如くに迫る、小舟群に対してではない。
 あれは長州の水軍と益次郎は言った。
 元々は彼の郷里の地である。
 だが幕府に背反し、攘夷を継続した結果、亡国と成り果てた。その故地のひとつが東Marseillesとして仏蘭西に割譲され、そこを旧長州兵が攻め挙げている。
 乾坤一擲の、鬼気迫る武辺者の顔が透けて見える。
 さらに周囲を見やった。
 陣内の丸菱社員の動作は、素人のものではない。砲声にも沈着であり、統制が取れている。その正体は、益次郎の訓練を受けた砲兵であろう。
 さらに「伝令!」と次の兵を呼び寄せた。
「当方は後備の文民である。当然ながら支援には齟齬そごがある。万が一市街に被害を及ぼすことままある。不慮の事態あらば、ご勘如願う、そう打電せよ」
 時間差というものが、必要なのであろう。
 即座に砲手に向かって冷徹な指示をした。
「まずあの大聖堂を砕け、砲撃の邪魔である」
 かの大聖堂の威容が、赤紫の噴煙の彼方にある。
 薄闇の天に際し、黒々と屹立して見える。

 橘醍醐は、士分である。
 未だ初陣を完遂してはいない。
 しかし、鬼と呼ばれる参謀の指示には驚いた。
 この居留地の搦め手といえる、鋳鉄製の跳ね橋地点を護れという。
 跳ね橋とはいっても東Marseillesから、一方的に架橋される片側橋である。つまり戦時となれば、この居留地を孤立させるための、彼らの設備ではある。
 しかしこの局面では、攻め込まれるおそれがある。
 その防衛について益次郎は、長板橋をやってもらう、と言った。
「三国志演義における張飛ですな」と答えた。
 こちらにも臨時砲台が造作されている。
 砲兵、砲手として四名が配されている。
 さらに当方の岸壁に土嚢を積み上げて、先方から架橋しようとも、水平面は取れない。その傾斜があれば大兵力は渡りにくい。その橋を側射できる位置にガトリング砲が敷かれている。
 背では東Marseillesが砲火のもとにある。
 大聖堂を砲撃で倒したあと、益次郎が拠点砲撃を命じたのだ。
 本人がその脚で探った火薬庫である。数射の砲撃のあと大地を揺るがるほどの震動と、土煙と火炎の竜が立ち上った。その延焼が続いている。
 馬のいななく声と、耳慣れぬ悲嘆の声が、対岸に集う気配がする。
 遠目にも仏蘭西人の民草のようである。白いドレスらしき姿が散見できる。中には日本人使用人が混じっているのだろうか。
 はて、如何したものか。
 兵を討つのに躊躇ためらいはない。
 民草を殺すのは士道にない。

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