見出し画像

【短編小説】マダム

時給千円、九時から十八時まで、
パチンコ台を組み立てるアルバイト。

正しくゆっくり動く、とても長いベルトコンベアに流される透明色の大きな機械のような物を、正しくゆっくりと作り上げていく仕事。
一人ひとり役割は違って、アース線をフックに引っ掛ける人、穴にネジを入れる人、天井から吊るされた機械でネジを締める人、カゴから部品を一つ取り出して機械にはめ込む人、等がいた。多分四十人ほど。
各々のそれに徹することだけが仕事だった。

マダムは私とは違う線を、それまた違うフックに引っ掛ける役割だった。少し遠くの機械音で紛らわすようにして、マダムと私は時々お喋りをした。あまりお喋りが長いと、私たちの白い帽子とは違う青い帽子を被った人がいそいそと注意しにやって来るのだった。

マダムには夫がいたらしい。それと私より3つ下の娘がひとり。マダムの元夫は、優秀で会社をやっていて、”良い車”を持っていて、自分は”ブランド物のバッグ”を幾つも持っていたと言う。

「だってブランド物のバッグ一つ買えない主婦がこの世には存在するのよ」

信じられないよね、とマダムは心から驚いたかのように言った。言った側から新しく機械が流れてくるのでマダムはまた顔を私から機械に移して線を細くまとめてフックに押し込むのだった。

この辺りは畑と大きくて質素な家とコンビニの他には何もなくて、この工場に隣接するパチンコ屋とスーパーマーケットがコストコやイケアみたいに大きく見えた。
工場はどうやら期間によって作っているものが違うらしく、今ここにいる人達はパチンコ台を組み立てるためだけに集められているようだった。
私は目の前にある部分がパチンコ台の表なのか裏なのかも分からない。少なくとも側面ではない。だけど本物を見たことがない。

昼休みになると、広くて殺風景な部屋におばさん達のグループやおじさん達のグループが幾つもできて、やや強めの方言で他人の親が言いそうなことを言っていた。
恐らくもうここに来ることはないであろう単発派遣の若者が何となく居場所を失って、壁沿いの長テーブルにぞろぞろと着いた。私もその一人だった。二つ隣ではマダムが黙々と手作りのお弁当を食べていた。四角にアルミホイルで仕切られたお弁当。薄紫色の水筒には薄くなった名前シールがついていた。”キノシタ レイミ” マダムはレイミさんに見えない。何となくだけど。

私はお弁当代が給料から百五十円引かれてお弁当が支給されるので、ぬるくて水滴の付いた厚いプラスチックの薄い弁当箱を一つ手に取った。食べ終わった後で私は何を食べたのだっけ、と思った。
後から見ると弁当の入った箱の隣にはお椀と味噌汁の入った鍋が一つ置いてあった。気づいてしまうと味噌汁の味が恋しくなった。

それからまた二時間仕事をして、十分の休憩中にお手洗いに行った。ハンカチはバッグごとロッカーに置いていたのでズボンのポケットの中で手に付いた水気を取った。太ももがひんやりした。
そうして二時間後には夕礼をして、行きと同じくハイエースに十人が詰められた。カーテンのかかった窓の隙間からは緑と茶色の混ざった田んぼと、眩しい灰色の空が見えた。

ここの空気を思い切り吸い込んでみたいと思った。
あのワンピースで、飼い犬を連れて、走りたいと思った。

二十分かけて駅に着いたハイエースから散り散りになった人たちは、バスに乗り込んだり、電話をかけ始めたり、自販機でポカリスエットを買ったりしていた。
違う生活をした違う人たちだということをあの工場では思いつかなかったことが不思議だった。

マダムは今頃、”良い車”で帰路に着いているのだろうか。それとも、離婚をしたから”良い車”ではなくなったのだろうか。仕事以外では”ブランド物のバッグ”を持つのだろうか。今日はアフターヌーンティーという雑貨屋の名前が書かれたトートバッグからお弁当箱やスケジュール帳が出てきた。明日も同じ立ち位置で線をフックに引っ掛けるのだろうか。他の誰かにも元夫が賢い話をするのだろうか。

人生で初めて行った工場から持ち帰った七千八百五十円は、封筒に入れたまま机の引き出しに仕舞うと思う。
欲しいものはたくさんあるけど、それは今日のお金で買うものではない気がした。

そんなことより帰ったら課題を終わらせなくちゃ。
明日プレゼンで使うグラフに手こずったままなのだ。

サポートいただけると励みになります。よろしくお願いいたします。