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広告業10年、そろそろ自分語りをしてみる。その2(転職活動編)

新卒から広告関係の仕事を続けてきて早10年、割とユニークなキャリアになっているなと思い記事化してみた。主に就職活動でマーケティング関連職を目指す人、転職活動に迷っている人、人生の迷子になっている人に是非読んでもらいたい。その1(新卒~制作会社)はこちらから

見切り発車!

2014年。「STAP細胞はありまぁす!」という言葉が一世を風靡するちょっと前、僕は第2のスタートを切るつもりでデザイン会社を飛び出して新天地を探し始めた。とにかくインターネットに関連した仕事がしたくて、次の仕事が決まってもいない中で退職届を提出。東日本大震災から3年がたち、少しづつ日本の景気も上向いていて、それにつれて求人も増えていた。まだ若かった僕は何とかなると思っていた。
今考えたらなんと恐ろしい決断をしたものかと思うが、激務で転職活動を並行できなかったのだ。辞める直前に登録していた某大手求人エージェントにはインターネット関連の仕事がしたいとだけ告げ、とにかく求人票を漁ってもらった。「いんたーねっとかんれんのしごとがしたいのです」そんなアホの子のような漠然としたイメージでの転職活動のためやはり苦戦した。そんな僕に対して「インターネット関連の仕事はたくさんありまぁす!」と粘り強く付き合ってくれたエージェントの方には感謝している。全く顔も名前も覚えてないけども。その時に求人票をもとにインターネットといっても自分に色んな仕事の可能性があることを知った。

インターネットのお仕事

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その時もらった求人票は大別して3種類あった。1つ目がシステム系の求人。エンジニアとしての募集やSIerでの営業職などを紹介してくれた。SEは文系からSEになった友達の苦労話を聞いて敬遠してたし、システム会社での営業職はクリエーティブ関連の仕事への憧れが消えていなかった当時の僕には全く刺さらなかった。2つ目がweb制作会社のプロデューサー関連職の求人。営業や制作進行を紹介された。これらの求人が一番多かったし、前職の経験も生かせるので僕もこの道かなと漠然と思っていた。実際何社か受けてみて選考が進んで入社を考えた企業もあった。当時アニメーションなどでTOPページをゴリゴリ動かすwebデザインが多く、プリントメディア畑の僕の目には新鮮だったのもある。ただアウトプットよりも仕事そのものを変えたかった僕には決め手に欠けるものだった。そして3つ目がインターネット専業広告代理店。「専業」というのは文字通りインターネットを専門とした広告代理店という意味で、数は少なかったが何社か求人票をもらった。
その中にあった某インターネット専業代理店の「デジタルメディアプランナー」という求人票が目に入った。程なくしてその道を歩むことになる。

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転職

上記のグラフは本文とは全く関係がなく、国連による世界人口予測だ。こういった世界レベルの統計の読み方をファクトベースで再考しているベストセラーのファクトフルネスは名著なのでぜひ読んでもらいたい。
インターネット専業広告代理店への決め手はなんといっても「伸びているから」だった。プリント中心のデザイン会社で嫌というほど業界がシュリンクしていく雰囲気や、今期もボーナスは出ませんいう事を全社会で苦々しく語る経営者の姿を見てきた僕は、とにかく伸び盛りの会社に入りたかった。専業各社の決算を調べればYoYで+20%以上という恐るべき成長率で伸びており、人生の転機をベットするには十分な状況だと考えた。
入ってみてからも思ったが、インターネット広告といえば従来は検索連動型広告(SEM)が中心で少し地味なイメージだったが、ディスプレイ広告や動画広告などが開発されて、SNSも盛り上がってきている状況でまさにココからいくぞ、という爆上げ期だった。実際各社そこから数年に渡り過去最高益を毎年塗り替え続けるような急成長を遂げている。ちなみに選考開始から2週間ほどで内定までこぎ着けることができた。同時期に受けていた別の会社は1次面接の合否結果にそれくらいかかっていたので、そんなスピード感にも惹かれた。最終選考ではその場で入社の意思を聞かれたので即答した。そうして見切り発車してから3か月がたったころ、僕はインターネット専業広告代理店へ入社した。ちなみに転職活動当時の「いんたーねっとかんれんのしごとがしたいのです」から、ほぼアップデートされていないリテラシーで飛び込んでしまった。そこは「ありまぁす」「できらぁ」といった直観や思い込みが通用しない、ファクトフルネスな世界だった。

次回、広告業10年、そろそろ自分語りをしてみる。その3(インターネット専業代理店編)

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